2021年の1月22日のららら♪クラシックは「天才×遅咲き“スペイン交響曲”〜サラサーテとラロ〜」でした。番組では、ラロが、天才ヴァイオリニスト、サラサーテと出会い作曲した《スペイン交響曲》がメインに取り上げられました。ヴァイオリン独奏とオーケストラによるこの作品は、まさしく“ヴァイオリン協奏曲”の様相を呈しています。しかし題名はスペイン“交響曲”。番組の冒頭では、高橋さんが「なぜこの曲のタイトルが“交響曲”なのか?」という疑問を投げかけ、その謎を解明していく形で番組は進行しました。ということで今回は、“ヴァイオリン協奏曲”の様相を呈したこの曲がなぜ“交響曲”なのか?というところをもう少し掘り下げてみます。
演奏家と作曲家の出会い
上に述べたように、ラロの《スペイン交響曲》は、サラサーテという天才ヴァイオリニストの演奏に惚れ込み作曲された、実質的にはヴァイオリン協奏曲です。この曲のように、素晴らしい演奏家に触発されて良い作品が生まれる、というのは音楽史上非常によくあることです。
フランクの《ヴァイオリン・ソナタ》もイザイとの出会いによって作られましたし、ベルリオーズの交響曲《イタリアのハロルド》はパガニーニとの出会いから生まれた作品です。優れた演奏家に触発されて作曲するという例は、昔から現代に至るまで、名曲が生まれるきっかけの多くを占めています。ただし、優れた演奏家に出会ったとき、作曲家はただただ、その演奏家に寄り添った曲を書く、というのではありません。当然自分の書きたい明確なイメージを持って、そのベースの上に、その演奏家の音を重ね合わせるのです。
ラロの場合、番組内でゲストの江口玲さんが解説していたように“協奏曲”としてサラサーテのヴァイオリンを引き立たせるだけでは飽き足らず、「自分の持っているすべてをささげた大作に挑戦したかった」という側面があります。ここに《スペイン交響曲》が「なぜ“交響曲”なのか?」という答えを見出すことができます。というのも、この《スペイン交響曲》、ヴァイオリン独奏とオーケストラによる作品ということで、その編成は紛れもなく協奏曲の体を成していますが、楽曲の構成を見ると明らかに交響曲を意識したものであることがわかります。全5楽章から成っており、第1楽章はソナタ形式による重厚なアレグロ楽章、その後スケルツォ、インテルメッツォ、緩徐楽章、ロンド・フィナーレと続きます。第3楽章のインテルメッツォを除けば標準的な交響曲の形式です。ラロが以前から書きたかった“交響曲”の構想にヴァイオリン独奏を輝かしく共演させた、という印象です。
ラロの時代のフランスの交響曲事情
さて、ラロが《スペイン交響曲》を作曲した1870年代のフランスでは、オーケストラ作品と言えば交響曲よりも、交響詩が圧倒的に多く作られています。そうしたシンフォニー離れの原因の一つは、普仏戦争の敗北によるドイツ音楽への反発だという指摘もあります。前時代でフランスは、ドイツの交響曲を模倣することにより音楽を発展させていきましたが、同時に交響曲は“ドイツ人の音楽の象徴”として刷り込まれていくこととなりました。そのような中、ラロは自身が奏者として弦楽四重奏団に参加し、ベートーベンやモーツァルト、さらにはメンデルスゾーンといったドイツの室内楽作品を積極的に紹介しています。《スペイン交響曲》が“交響曲”として作曲された背景には、ラロのこうしたドイツ音楽への傾倒が少なからずあったでしょう。
“ドイツ的な”交響曲を敬遠していた当時のフランス社会にも、交響曲を積極的に作ろうという気運はありました。しかし、そこに求められていたものは、あくまでもフランスの伝統に即した、“フランス的な”交響曲の作曲でした。フランスでは、ベルリオーズが《幻想交響曲》をはじめとする異例の交響曲群を残しています。上に挙げた交響曲《イタリアのハロルド》も、ヴィオラ独奏を伴い、交響曲としては異例な形です。その意味では、ラロの《スペイン交響曲》も、その《イタリアのハロルド》の例を踏襲した、“フランス的”交響曲といえるでしょう。ドイツ音楽に傾倒しつつも自国の伝統にも向き合い、さらにはサラサーテという名演奏家に魅せられ、それらが結晶となって生み出された作品、それが《スペイン交響曲》なのです。
参考文献:
大崎滋生『文化としてのシンフォニー』
(文・一色萌生)