2020年12月25日の放送は、同年3月27日に放送した「踊るシュトラウス・ファミリー〜次男・ヨーゼフの視点から〜」の再登場でした。没後150年を迎えたヨーゼフ・シュトラウス。彼の視点から19世紀ウィーンに“ワルツ王朝”を開いたシュトラウス一家の背景が繙かれる中で紹介された、シュトラウス一家の「ワルツ」をキーワードとして選んでみました。
ヨーゼフの兄、ヨハン・シュトラウスII世の像。ウィーン市内にて
ウィーンのワルツ
ワルツの原型は、ドイツのバイエルン地方やオーストリアの山岳地方の歌ヨーデルから生まれた、緩やかな旋回をくりかえす三拍子の
レントラーやドイツ舞曲で踊るフォークダンスだと言われています。ベートヴェンの「6つのレントラー」(WoO.15)やシューベルトの「12のドイツ舞曲」(D790, Op.171)は、この踊りのための音楽です。シュトラウス1世を自分の楽団に誘った
ヨーゼフ・ランナーは、実用的な踊る音楽を次々と世に送り出す中で、
ウェーバーのピアノ曲「舞踏への勧誘」を参考に、1840年頃には《序奏》―《ワルツ(5種)》―《コーダ》で演奏する形を定着させます。何番目のワルツを誰と踊るか決める目安があるので、踊る客にとっては分かりやすい形なのですね。2人1組で踊るレントラーは次第に足を滑らせるようなステップが加わり、テンポも上がり、現在知られるワルツへと発展を遂げていきます。熱中する人々の需要から、巨大なダンスホールがウィーン中に立ち並び、各地を演奏して回ったシュトラウス・ファミリーによる無数のヒット曲が生まれました。こうして洗練された“ウィーンの”ワルツは、国際秩序回復を図った
ウィーン会議開催の地での流行だということもあり、ヨーロッパ全土に旋風を巻き起こしました。
タイトルで踊る
“ワルツの始祖”ランナーは、タイトルのないドイツ舞曲に「チロル・レントラー」という曲名をつけて、ウィーンの大衆の関心を掴んだのだとか。“ワルツの父”シュトラウス1世は、酒場の庭園<2羽の鳩亭>で演奏するので「小鳩のワルツ」(Op.1)など、演奏する場所に由来するタイトルを付けたそう。“ワルツ王”シュトラウス2世は献呈する相手に因んで、ジャーナリスト協会コンコルディアに「ジャーナリスト」(Op.321)、ウィーン大学医学部学生に「発作」(Op.189)などなど、それぞれバラエティーに富んでいます。そういえばシュトラウス1世は世相を表すタイトルもつけています。彼は1873年のコレラ騒ぎの混乱と
株式大暴落で停滞した世情に「コレラ・ギャロップ」「破産ポルカ」で活気を求める人々のニーズに応えました。体を激しく動かすことで時を止めようとしたか、それとも困難を踊り明かそうという「ウィーン気質」からか。いずれにせよ、ありとあらゆるものが踊りになるところがウィーンならではですね。
参考文献:
「ウィーン精神 : ハープスブルク帝国の思想と社会 1848-1938 1」[原著] W.M.ジョンストン, [訳]井上修一 ほか, みすず書房, 1986
「ウィーン大研究 : 音楽都市(「大研究」シリーズ, 3)」, 春秋社, 1992
(文・武谷あい子)