
世界最高峰のコンペティションであるショパン国際ピアノコンクールで第4位に輝き、国内外から注目を集めるピアニスト・桑原志織さん。幼いころに出会ったリストの作品が音楽人生の原点となり、勉強中心の中高一貫校から心機一転、東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校へと進学し、音楽の道を踏み出しました。
壮絶な戦禍のイスラエルでの演奏経験は、芸術が人の心の支えとなることを確信する大きな転機となったと語る桑原さん。ピアノとの出会いから、30歳になる年に受けたふたつの世界的コンクールでの挑戦、そして「音楽は人生でもっとも大切なパートナー」と語る現在まで、その歩みと音楽への思いをたっぷりうかがいました。
「この曲が弾けるようになるまで、ピアノをやめたくない!」

―― 何歳のころにピアノを始められたのでしょうか。
4歳になったばかりの10月に、自宅の近所にある音楽教室でピアノを習い始めたと両親から聞いています。ピアノより先にクラシックバレエや水泳、絵画教室なども通っていたので、習いごとのひとつとして加わった形でした。
―― ピアノを始めたときからピンとくるものがあったのか、習っていくうちに好きになったのか、どちらのタイプでしたか?
音楽自体は幼いころから好きでしたが、ピンとは来ていなかったと思います。ほかにもたくさん興味があり、そのなかのひとつという感覚でした。それが年月を経て、いろんな経験とともに少しずつ特別な存在へと変わっていったという感じでしょうか。

―― 特別な存在へと変わったきっかけがあったのでしょうか。
小学校5年生くらいのころに、いまでも一番好きな作品のひとつであるリストのピアノ・ソナタ ロ短調をCDで聴きました。すでにリストの作品を弾いたことがあったので、「同じリストなら弾けるだろう」となんとも傲慢な気持ちで譜面を買ってもらったのですが(笑)、すっかりこの作品のとりこになってしまい、幼心ながらに「この曲が弾けるようになるまで、私はピアノを絶対にやめない。ピアノをがんばろう」と思ったのです。これが最初の転機でした。
もうひとつは、中高一貫校に通っていた中学校2年生の終わりごろに藝高(東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校)を受けようと決意したことです。まさに大きなターニングポイントでした。当時の音楽の先生が藝大のご出身で、本当に親身になってくださったのです。通っていた中高一貫校の女子大の講堂にフルコンのスタインウェイがあり、そこで昼休みや放課後に練習させていただくなど、とにかく力になってくださいました。勉強ではなく芸術系で外部校を受験する人はほとんどいないので、多くの先生方に応援していただき、とてもありがたかったです。

―― 中高一貫校からの転校は相当な覚悟が必要だったのではないでしょうか。ピアニストとして生きていこうと考え始めたのはいつごろでしたか。
「いつ」と明確に意識した記憶はない、というのが正直なところです(笑)。藝高に入学してからは「突然飛び込んだ知らない世界」のなかで、目の前のことに追われながらひたすら一生懸命やってきたというのが、感覚としては一番近いですね。両親も手探りでいろいろと協力してくれました。「これでいける」と思った瞬間はありませんでしたが、気が付いたらたくさんの運やご縁に恵まれて、ここまで来られたという感覚です。

―― ピアノの道に進むと決めたとき、ご両親やご家族はどんな反応でいらっしゃいましたか。
すんなりと「はい、いいですよ」とはもちろんいかず、何度も家族会議を重ねました。当時は中学2年生で両親から見たらまだまだ子どもですし、私自身のやる気が本物なのか両親も確かめたかったのではないでしょうか。話し合いを重ねて、それでも「やる」と言い張ったので、最終的に「できるところまでやらせてみよう」となったようです。ちなみに父は私に医者になってほしいと思っていたそうで、幼少期は子ども向けの数学の本を与えられていました(笑)。
父は慎重派でしたが、母はそうでもなかったようです。母も子どものころピアノを習っていて、ショパンの《英雄ポロネーズ》を練習したところ、弾けるようにならなかったそうです。私は小学校6年生のころにすんなり弾けるようになったため、「もしかしたらこの子は才能があるのかも……」と思ったそうで、これは大人になってから聞きました。

戦禍のイスラエルで知った、芸術が人の心を支える力
―― 桑原さんがピアニストを目指し学ばれていくなかで、ご自身の音楽観が大きく変わるようなできごとはございましたか?
音楽への向き合い方に一番大きな影響を与えたできごとは、2021年にイスラエルのテルアビブで行われた、ルービンシュタイン国際ピアノ・コンクールのあとの経験です。
コンクール後は、約1か月にわたりイスラエル各地を巡る入賞者ツアーが予定されていました。ところがツアーの途中でガザ地区の情勢が急激に悪化し、フライトが次々と欠航、ヨーロッパへ戻ることが容易ではない状況になりました。
このツアーの中盤の演奏会が、ガザ地区に近いアシュドットという街で行われたのですが、リハーサル中に戦闘が始まってしまったのです。ミサイルが飛んでくるときは警報が鳴りますが、「それが鳴ったらなにをしていようと演奏会は即キャンセル」といわれ、本番ができるかどうかわからない緊迫した状況でした。「そもそも、こんなときにお客さまはいらっしゃるのだろうか」と不安でいっぱいでした。そんななか無事に私の出番が回ってきてステージに出ると、客席は1000人くらいのお客さまで埋め尽くされて満席だったのです。みなさんが熱い拍手をくださって、心にぐっときたことを鮮明に覚えています。
―― 想像を絶する状況です。そのご経験が、音楽に対する考え方を大きく変えたのでしょうか。
当時はコロナ禍真っただなかで、音楽は不要不急といわれていた時期です。しかし戦争と隣り合わせで生きてきた方々は、苦しい状況だからこそ「人間らしくいる」ため、「自身の尊厳を守る」ために芸術を必要とし、心の拠り所にされていると気づきました。「音楽には力がある」と私が心から信じられた瞬間でした。音楽家として自分なりの覚悟が心の底に芽生え、人生観に大きな影響を与えたできごとだったと思います。
そのときはラフマニノフのコンチェルトの第3番を演奏しましたが、状況がラフマニノフの人生や作品の背景と重なるところがあり、涙をこらえながら弾きました。
―― 壮絶な体験でしたね……。日本で暮らしていると、命の危険を冒してまで弾くというできごとは経験しませんものね。
それまではこのような国際情勢は「遠い世界のニュース」でした。この経験がいい経験のはずはありませんが、私の人生に本当に大きな影響を与えました。
もうひとつ、芸術の力を感じられたできごとがありました。イスラエル国内のツアーが途中で中止になってテルアビブに戻ると、比較的安全だといわれていたテルアビブでも空襲警報が鳴り響く状況になっていました。イスラエルはすべての建物に防空壕が設置されています。地下にある漆喰塗りの箱のような部屋で、外の爆撃音が響いて聞こえてくる空間です。一緒に避難した周りの方々はイスラエル人だったので、言語はもちろんヘブライ語。爆撃音とともに、まったくわからない言語しか聞こえない状況はとても心細くて不安でした。
そこにホームステイ先のホストマザーも一緒に避難しました。彼女は趣味で絵を描かれる方で、作品置き場としてその防空壕を使っていたので、壁に作品がたくさんかけられていたのです。真っ白で無機質な防空壕に、鮮やかに彩られた数々の絵があったおかげで、不安な心がどれだけ救われたか。あの絵がなかったら、心が病んでいたと思います。芸術から力をもらうということを、身をもって実感したできごとでした。
「今年が最後の大きなチャンス」覚悟の1年を振り返る
―― 2025年に行われた第19回ショパン国際コンクールでは、第4位に入賞されて大きな話題となりましたね。受賞の前後で生活は変わりましたか?
自宅で練習することにはあまり変わりがないので、相変わらず地味に暮らしています(笑)。でも演奏会のオファーをたくさんいただくようになり、とてもありがたいです。私は東京出身なので、東京以外で演奏する機会がほとんどありませんでした。受賞してからは各地で演奏してたくさんの方に聴いていただけて、演奏家としては「幸せ」のひとことに尽きます。
―― その少し前、2025年5月に行われた第21回エリザベート王妃国際音楽コンクールとは、準備期間などを考えるとほぼ同時進行だったかと思うのですが、どのようにコンディションや心の安定を保っていたのでしょうか。
エリザベートの直前まではエリザベートの準備を必死にしていたので、実は同時進行ではありませんでした。2025年は切羽詰まって練習していました。30歳になる年で、「これが最後の大きなチャンス」「今年はとにかくがんばらなくては!」という気持ちで走り抜けたように思います。余計なことを考える暇もなく、やるべきことだけに向き合った1年間でした。
―― 同じ年に世界的なコンクールふたつに出られましたが、違いや差などはどこで感じましたか。
多くのコンクールに言えると思いますが、参加者同士が仲良くなる機会はほとんどありません。入賞してから、入賞者ツアーでご一緒して初めて会話が生まれるくらいの感覚です。ショパンコンクールもある意味最後まで個人プレイで、それぞれが自分と戦ってベストを尽くすコンクールでした。
ですが、エリザベート王妃国際音楽コンクールはちょっと違って、最後に1週間コンテスタントみんなで過ごす時間がありました。それが非常に特別なできごとだったなとあらためて思います。インターネットもスマートフォンも禁止された環境だったので、みんなたくさんおしゃべりしました。ファイナリストのみなさん全員がいい方で、とても仲良くなれました。世界のトップを目指す同世代の方たちと、音楽ではない話もしながら一緒に過ごして仲を深められたことは、本当に特別なことでした。
―― エリザベートの「最後の1週間」は有名ですが、ショパンコンクールも「ショパンだけ」を弾く、ある意味特殊なコンクールですね。
ひとりの作曲家の作品だけを弾くコンクールは、実はとても少ないのです。でもショパンは、ショパンの作品だけでコンクールが成り立ってしまう。やはりピアニストにとって特別な作曲家であると実感しました。ポーランドに入ると周りから聞こえてくる音楽もすべてショパンですし、コンテスタントだけではなく、街の人もショパンだけに向き合っています。ショパンという作曲家の偉大さをあらためて感じるとともに、ピアノの世界にショパンの魂が生き続けていることを幸せに思いました。私自身、もしこのコンクールを受ける機会に恵まれなかったら、人生のなかでここまで深く全神経を注いでショパンと向き合うことはなかったかもしれません。そこがショパンコンクールの特別さでした。
―― お話ししていても、桑原さんの優しくて誠実な部分が演奏にも出ているなと感じます。コンクール期間中に自分でも一番よく弾けたと手ごたえのあった作品はどれでしたか?
一次予選がよかったかなと思います。ワルツやノクターンはコンクール直前まで悩みに悩んで練習したせいか、本番では奇跡の1回のようないい演奏ができました。一次予選の最後に弾いたバラード第4番は長く取り組んでいる作品ですが、音楽に没頭して演奏することができて、充足感を得たステージでした。
―― ファイナルでは出番が最後の最後でしたが、どんなお気持ちで結果発表を待たれていましたか。
ゲネプロのあと、遅めのお昼ご飯をいただいてからぎりぎりまで練習し、夕食を取る時間がないまま本番に挑みました。その後も「ショパン・トーク」に出演したりフォトセッションがあったりと、なんだかんだそのまま朝の3時に……もうお腹は空いたし、眠たいし(笑)。
それに加えて、表彰式のアナウンスがほとんどポーランド語で行われていたため、かろうじて「自分の名前らしきもの」だけは聞き取れましたが、なにがどう進行しているのか、なんの賞をいただけたのかまったく分からないというのが、結果発表のときの率直な状態でした(笑)。「なにかしらの賞はいただけたのだろう」と思っていたら、その後お声をかけていただいたり取材を受けたりで、初めて第4位を受賞したという状況を理解しました。
―― まさかのそんな状況だったとは。では本当に「なにがなんだか」状態でことが進んでいったのでしょうか。
はい、そうなんです。名前を呼ばれても状況がよく分からないまま、するするっと結果発表が流れていきました。さすがにエリック・ルーさんが優勝したことはわかりましたが(笑)。
―― ファイナルでは花柄のお衣装も華やかで印象に残っています。あちらはご自身で選ばれたものでしょうか?
3次予選までは単身でがんばっていましたが、ファイナルは母が日本からサポートに来てくれまして、そのときに持ってきてもらったドレスです。実は、予選で着ていたパンツとジャケットのセットアップしか持参していませんでした。
ファイナルで着たあの花柄のドレスは、ポーランドの方からの評判がとても良く、たくさんほめていただきました。着物みたいと言っていただいたり、ポーランドの国のお花であるパンジーの柄に見えた方もいらっしゃったようで、「このドレス、ショパンコンクールのために選んだの?」と、思いがけずうれしいお言葉もいただき、想像以上に多くの反響をいただきました。
―― とても印象に残るドレスですが、そんなうれしいできごともあったのですね。また、受賞されたことで一気に環境も変わったかと思いますが、変わらずにいたいと思っていることはありますか。
「初心忘るべからず」を肝に銘じています。作品と作曲家に向き合って、その作品をベストの状態でお客さまへお届けするのが本質なので、納得のいくまで練習することに尽きると思います。
何度弾いても「好きだ」と思える、ベートーヴェンという存在
―― 年が明けた2027年1月からはプラハ交響楽団との共演が控えていますね。こちらのお話が来たときはどんなお気持ちでしたか。

たいへん光栄です。実は過去にプラハで演奏したこともありまして、そのときの記憶がとても鮮やかに残っているので、「またプラハで、プラハの方々と演奏できたら」と思っていました。プラハ交響楽団のみなさまと共演できるということで、ひとつの目標が叶ってとてもうれしいです。
―― ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番《皇帝》を演奏されますね。ピアニストにとって定番のコンチェルトですが、これまでのキャリアでは弾いてこられましたか?
以前からのレパートリーで、最後に弾いたのは8年ほど前、藝大を卒業した春の新人演奏会でした。久しぶりに取り組めることが楽しみで、譜面を引っ張り出してチェックしています。年月を経て自分の解釈が変化している部分もあるので、みなさまとフレッシュに作り上げていきたいです。
―― 桑原さんにとってベートーヴェンはどんな作曲家ですか。
好きな作曲家を聞かれると、ベートーヴェンとラフマニノフは必ず挙げるほど大好きな作曲家です。幼少のころからなじみのある作曲家ですが、同じ曲を何回弾いても毎回あらためて深い感動を覚える作曲家で、わたしにとって興味の尽きない存在です。
ベートーヴェンの作品は美しいですが、人間そのもののむき出しの心情を表現しているところがあり、ベートーヴェンの作品を弾くときは「素の状態」で演奏する感覚があります。取り繕ったよそ行きの状態では上手く弾けないといいますか……。そのままの自分でベートーヴェンに向き合い、直球勝負で取り組むところが好きです。
音楽は人生でもっとも大切なパートナー
―― これまでに一番印象に残っているコンサートはありますか?
留学中の2020年、コロナ禍に聴きに行ったベルリン・フィルの公演です。運良く自粛明けの公演に行くことができました。10席に1席くらいの間隔でチケットが販売され、少人数しか入ることができなかった公演です。プログラムのメインはベートーヴェンの交響曲第6番《田園》。自粛続きで制限された世界だったので、ベートーヴェンの作品に広がる、自由で豊かな田園の光景に心から魅了されて、忘れがたい演奏会として心に残っています。

―― 目指している音楽家像をお聞かせいただけますか。
今後もさまざまな作品に取り組んで、演奏会で多くのお客さまに末永く聴いていただけるよう、息長く活動できる音楽家を目指します。そのためにも、私自身が多くの芸術や本、日々のできごとに感銘を受けながら、常に演奏をブラッシュアップして、お客さまにお届けしていきたいと思います。
これまでは本当にがむしゃらに取り組んできましたが、今後は視野も広く持って、内側の豊かさを自分自身で育てる努力をしたいです。いままで本当にたくさんの方に応援してもらい、ご支援いただいてここまで来られたので、今度は少しでも社会に恩返しできるような活動をしたいと思っています。
―― たくさんの興味深いお話をありがとうございました。最後に、桑原さんにとってのピアノ、そして音楽はどんな存在でしょうか。
人生でもっとも大切なパートナーでしょうか。ピアノを演奏すると、こちらの気持ちや感情が反映されるので、ある意味、人付き合いをしているような気持ちで接しています。ずっと支えてくれるパートナーのような感覚です。音楽に感謝しながら、これからも一緒に歩んでいきたいです。こうしてあらためて考えると、やっぱり「パートナー」という言葉がしっくりきますね。
<文・取材 浅井彩>

今後の公演情報
| 公演名 | 桑原志織 ピアノ・リサイタル |
|---|---|
| 日時・会場 | 12月10日(木) 19:00開演(18:30開場) |
| 会場 | 札幌コンサートホールKitara 大ホール |
| 出演 | [ピアノ]桑原志織 |
| プログラム |
【オール・ショパン・プログラム】 ワルツ第2番 変イ長調 Op.34-1 バラード第3番 変イ長調 Op.47 バラード第4番 ヘ短調 Op.52 ポロネーズ第7番 変イ長調 Op.61《幻想ポロネーズ》 舟歌 嬰ヘ長調 Op.60 ソナタ第3番 ロ短調 Op.58 |
| チケット | 全席指定:S席5,000円 A席4,000円 |
| 詳細 | 詳細はこちらから |
| お問い合わせ |
テレビ北海道 TEL:011-351-7277 |
| 公演名 | トマーシュ・ネトピル指揮 プラハ交響楽団 ニューイヤー名曲コンサート |
|---|---|
| 日時・会場 |
●2027年1月11日(月・祝) 14:00開演(13:20開場) 横浜みなとみらいホール 大ホール ●1月13日(水) 19:00開演(18:00開場) 東京芸術劇場 コンサートホール |
| 出演 |
[指揮]トマーシュ・ネトピル [ピアノ]桑原志織【1月11日、13日出演】 [チェロ]北村陽【1月11日出演】 [管弦楽]プラハ交響楽団 |
| プログラム |
【2027年1月11日(月・祝)公演】 ベートーヴェン:劇音楽《エグモント》より〈序曲〉 Op.84 ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 Op.104 B.191 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 Op.73 《皇帝》 【2027年1月13日(水)公演】 ベートーヴェン:劇音楽《エグモント》より〈序曲〉 Op.84 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 Op.73 《皇帝》 チャイコフスキー:交響曲 第5番 ホ短調 Op.64 |
| チケット | 全席指定:S席16,000円 A席13,000円 B席10,000円 C席7,000円 |
| 詳細 | 詳細はこちらから |
| お問い合わせ |
ジャパン・アーツぴあ TEL:0570-00-1212 |
桑原志織(Shiori Kuwahara)
—— 「なんという堂々とした風格、なんという力強い推進力、そしてなんという気高さ。アルトゥール・ルービンシュタインも、もしこの場に居合わせたならば、誇りに思ったに違いない。」
桑原志織は、第19回ショパン国際ピアノコンクールにおいて『グラモフォン』誌に上記のように高く評価され、第4位入賞を果たし、国際的な注目を集めた。詩情豊かで物語性に富んだ音楽づくりと、強靭な推進力、そして繊細な音色を兼ね備えた演奏で、聴衆を深く惹きつけている。
東京都出身。東京藝術大学に入学し、1年次に第83回日本音楽コンクールピアノ部門第2位および岩谷賞(聴衆賞)を受賞。同大学を首席で卒業し、安宅賞、アカンサス音楽賞、大賀典雄賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞した。
その後ベルリン芸術大学大学院に留学し、国家演奏家資格課程を最優秀で修了。あわせてスタインウェイ・ベルリン賞を受賞した。さらにコモ湖国際ピアノアカデミー(イタリア)でも研鑽を積む。
主要な国際コンクールでも着実に評価を重ね、ルービンシュタイン国際ピアノコンクール第2位(2021)、エリザベート王妃国際音楽コンクール(2025)ファイナリスト入賞のほか、ブゾーニ、ヴィオッティ、マリア・カナルス各国際コンクールでも第2位入賞を果たしている。
これまでにヨーロッパ、アメリカ、アジア各国に招かれ、A.ラザレフ、V.マルディロシアン、A.ボレイコ、小林研一郎、大野和士、高関健らの指揮のもと、イスラエル・フィル、ブリュッセル・フィル、ワルシャワ・フィル、日本フィル、新日本フィル、東京交響楽団ほか多数のオーケストラと共演。
2025年にはデビューCD『桑原志織ピアノ・リサイタル―ブラームス/シューベルト/リスト』をリリース。また、『題名のない音楽会』、NHKスペシャルなどメディアにも多数出演している。
2026/27シーズンには、日本各地でのリサイタルに加え、プラハ交響楽団との日本ツアーを行う。またドイツおよびポーランドの音楽祭にも招かれている。
桑原志織 公式サイト
桑原志織 公式X(旧Twitter)
桑原志織 公式Instagram
桑原志織 公式YouTubeチャンネル
















