
母や叔父の影響で音楽に囲まれて育ち、アメリカでの本格的な音楽教育を経て、日本音楽コンクール優勝を機に演奏家としての道を歩み始めたピアニスト・三舩優子さん。長年の演奏活動に加え、京都市立芸術大学で後進の指導にも携わっていらっしゃいます。
「音楽には物語がある」と語る三舩さん。デビューから30年を過ぎたいまも、新たな作品に挑み続けています。これまでの歩みと音楽への思い、そして「新たな作品に挑む」リサイタルについてうかがいました。
音楽に導かれるように歩んできた
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―― 音楽との出会いからおうかがいできますか。
母が若いころピアノを弾いていたことと、叔父である母の弟、芳志戸幹雄がクラシックギタリストでしたので、いつも音楽を聴きながら育ちました。叔父はピアノも弾いていたので、音楽に包まれた環境でした。
―― ギターやほかの楽器ではなく、ピアノの道に進まれたのは理由があるのでしょうか。
叔父が子ども用のギターを作ってくれましたが、なぜかぜんぜん興味を持たなかったようです(笑)。
幼稚園に行くと、先生がオルガンを弾いてくれますよね。先生の横へ行って、じーっと手を見ていた記憶があります。どの音をおさえているか、なんとなく覚えて家に帰って、音を探して自分で弾いていました。
ピアノは押せば音が出る、というのも大きかったと思います。ギターは指板を押さえるのも子どもの小さい手では大変ですし。叔父がステレオでバッハやモーツァルト、ショパンなどを流していましたが、それらをなんの曲かわからないまま、耳で聴いた音を探して弾き始めたのがピアノを始めたきっかけでした。
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―― その後、お父さまのお仕事の都合でアメリカに渡られたとのことですが、幼少期の音楽教育をアメリカで受けられたのは大きな影響があったのでしょうか。
とても大きかったと思います。最初は現地にいらっしゃる日本人の先生に習いましたが、バイエルのような入門の教則本を飛ばして、いきなりツェルニー30番やバッハから入ってくださったので、練習が嫌になることもなく、弾きたい意欲がどんどん湧きました。
その後はジェローム・ローエンタール先生に師事しましたが、コンサートピアニストとして大活躍されていたころだったので、「音楽とはなにか」といった壮大なスケールのレッスンを受けました。小学校4年生くらいで「一生弾く曲だからいまから始めなさい」とショパンのエチュードやベートーヴェンを与えてくださり、ピアニストとしてのご指導をしてくださったのはとても大きいと思います。音楽的・歴史的背景もいっしょに調べて、「この曲を書いたときモーツァルトはどこにいて、その時代はどういうことが起きていたのか」まで考えさせられました。子どもながらに衝撃的でした。
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―― 音楽大学のレッスンのようですね。
そうです、まさにいま自分が教えているような内容でした。
―― 日本には小学校6年生で帰国されたとうかがいましたが、戸惑いはありませんでしたか。
現地の6年生をアメリカで終えて、夏前くらいに日本に帰ってきましたが、戸惑いだらけでした。地元の小学校に2~3学期だけ通わなければいけなかったのですが、そのころから背も高かったうえにパーマをかけてハイヒールを履いていたので、父といっしょに校長先生に会いに行っても、子どもだと気づいてもらえなかったんです(笑)。
帰国後はアイザック・スターン氏のご紹介で、井口秋子先生につきました。
―― 井口先生のもとでは、いわゆる「日本のピアノ教育」を受けられたのですか?
そうですね。音楽高校を受験することになり、受験に向けた曲を勉強し始めました。両親が音楽家ではないふつうのサラリーマンの家庭でしたし、先生にお任せする形で進めていったら、あれよあれよと受験することになっていきました。
―― 大学卒業後はまたアメリカへ行かれますが、やはり子どものころにいたという経験は大きかったのでしょうか。
実はロシアに行きたかったのですが、当時はまだソビエト連邦でしたし、紆余曲折を経てアメリカにシフトしました。言葉の心配もないし、土地勘もある。幼馴染やニューヨークに住む別の叔父もいて、居心地のよい環境もそろっていました。

―― 音楽を仕事にしていこうと決心したのはいつごろでしたか。
きちんと決心はしていませんね、たぶん。昔の作文を見返すと「ピアニストになりたい」と書いてはありますが、なんとなくそう書けば親が喜ぶと思って書いていたのではないかと(笑)。でも、自分からピアノを辞めたいと思ったこともないですし、自然な流れで、当たり前のように生活のなかにピアノがありました。先生に勧められてコンクールを受けて、幸いにも優勝できて、その流れでお仕事の依頼をいただけて……。「あぁ、これが仕事になるんだな」とキャリアがスタートしました。

―― やはり日本音楽コンクールがきっかけでしたか。
そうですね。というか、実は日本ではそれしか受けてないんです。若いうちから多くのコンクールを受けるいまの時代では、ちょっと考えられないような話ですよね。日本音コンは2回受けていますが、最初の年で三次までいけたので、「じゃあ来年は絶対優勝しなきゃね」という意気込みで翌年はがんばりました。

「私はコンクールアンチ派」―― 若いピアニストに伝えたいこと
―― 長らく京都市立芸術大学で教鞭を執られていますが、いまの若い世代にどんな変化を感じますか。
時代は変わったなと感じています。まず、いまの若い子たちはほぼ全員が小さいころから山ほどコンクールを受けていますよね。私の時代だと、中学生・高校生くらいで全日本学生音楽コンクールを受けて、それ以上受ける人は日本音楽コンクール、という流れでした。いまはたくさんコンクールがありますし、みなさんとても気軽に受けている印象が強い。運試し的に「ちょっと弾いてみたいからコンクール受けます」のような形で受ける学生さんが多いですが、受けるからには1位を目指さないと意味がないと思っています。
私はコンクールアンチ派なんですよ(笑)。「1位を取るぞ」の気持ちで受けなくても、落ちるとやっぱり傷つくじゃないですか。無駄に傷つく必要ないと思うんですよね。講評も本当にいろいろなことが書いてあるので、そのたびに小さな挫折を何度も味わって、自信を失っていくケースが多いのではないでしょうか。
―― 多くのコンクールを受けるのは「場慣らし」のような印象も受けますが、確かに無駄な挫折を味わう必要はありませんよね。
最近の若い子たちはとても真面目です。真面目すぎるかなという印象も受けます。そしてこれは場所柄もあるかもしれませんが、京都市立芸術大学に通う学生は関西にとどまっていたい子が多いので、東京や海外に出ていくのはほんのひと握りです。もっと世界は広いんだということは知ってほしいですね。自信を持たせる作業もけっこう難しいです。
―― では、20年くらい前の学生と比べてみていかがですか?
テクニック的には弾ける子が増えたように思います。これは世界的にですが、いまはとにかく弾ける人が山ほど出てきています。オリンピック選手のごとくガンガン弾けるけれど、その目的というか、意義が見えてこない。ほかの楽器をはじめ、クラシック以外のさまざまなジャンルの音楽も聴くと、もっと幅が出てくる気がします。
あとはダントツにレパートリーが少ないですよね。小学校のころからずっとコンクールを受け続けているので、そのために曲を仕上げる作業を続けている。そうすると、1年間で1~2曲しかやらないペースになっていきます。大学に入った時点でやっていなければならないような作品を、ほとんど弾いていない傾向があります。本当は1週間に1曲仕上げるくらいのペースでやってほしいのですが、なかなか難しいです。
私も実際に桐朋にいたころは、年に2回の試験の合間に少し曲をさらって、という具合でした。ですがジュリアードに行くと、毎週違う曲を持っていくのがあたりまえ。日本だとコンチェルトを2か月くらいかけてやりますが、これも1週間で仕上げなければいけない。

―― コンチェルトを1週間で!
そうなんです。必死で毎晩遅くまで練習していましたし、逆にやる気が湧いてきて、あれも弾きたい、これも弾きたいとなっていました。なので、いまはなるべくバラエティーに富んだ曲目を与えるようにしています。
―― 技術以上に伝えたいものはございますか。
ピアノはどうしても音数が多いので、弾くことに夢中になってしまいがちです。「音」だけ弾いていてもなんの意味もありません。音楽には物語がある。自分でその物語を語ってほしいです。
―― さきほどおっしゃっていた、「音楽以外の経験」が大きく関与しそうですね。
そうですね。日常生活もそうですし、映画を見たり、本を読んだり、すべてが想像力の引き出しになります。アルバイトなどなるべくいろいろな体験を通して、たくさんのことを経験してほしいです。
―― 音大でアルバイトOKの先生はめずらしいのではないでしょうか。
どんどんアルバイトしなさい派です(笑)。職種もさまざまでおもしろいですね。
―― ちなみに三舩さんはどんなアルバイトをされていましたか?
月曜日から金曜日までは家庭教師で英語を教えて、土日は朝の6時からセブンイレブンで働いていました。品出しから棚卸しまで全部やっていましたよ。音楽以外の世界でいろいろな人と触れ合って、その社会のルールを守ったり、ときには怒られることも必要です。学生にはいろいろな世界を見てほしいといつも思っています。
―― 教えることはご自身の演奏にも影響を与えていますか?
「教えることは学ぶこと」という言葉は本当にその通りで、影響はとても大きいです。言語化することによって自分のなかであらためて再確認できるので、隣で弾いた方が早く伝わることもありますが、「弾いて聴かせるだけ」にならないよう気をつけています。「なぜここはこう弾くのか」という裏付けが大切なので、それを言語化して再確認するのは、自分自身にとっても非常に学びになります。
―― 学生さんが弾いている曲にインスパイアされることもありますか?
けっこうありますね。あとはコンクールで聴いて「これいいかも」と思うこともあります。教えているうちに自分のイマジネーションが大きくなったものは、「じゃあ私も弾いてみよう」と取り組んでいます。いい相乗効果が生まれてありがたいです。
技巧を聴かせようと思わなくなった、いまだから弾ける音楽
―― ここからは2026年10月28日(水)におこなわれる公演「三舩優子 ピアノ・リサイタル」についておうかがいします。バラエティーに富んだ選曲が目を惹きますが、どのような観点で選ばれたのでしょうか?
今回はテーマを決めずに、なるべく雰囲気の違う作品を集めました。プログラムの最初にあるバッハ/ブゾーニ編の《シャコンヌ》と、最後のヒナステラのピアノ・ソナタ第1番は絶対にやりたいと思っていて、そこから決めました。そしてバッハのあとにはブラームスの《3つの間奏曲》を入れましたが、この流れはすごくいいでしょう? そして後半はヤナーチェクの《霧の中で》からスタートしますが、ヤナーチェクはこれまであまり弾いてこなかった作曲家なので、いつかやりたいと思っていました。
―― バッハ《シャコンヌ》は、ヴァイオリンの名曲中の名曲をブゾーニがアレンジしたものですね。
《シャコンヌ》は若いころからよく弾きました。もともとヴァイオリン作品を聴くことが大好きで、ヴァイオリンへのあこがれ的な選曲になっています。ブゾーニ版はヴァイオリンの原曲が綿密に再現されているので、テクニック的にはスケールの大きなものになりますが、どちらかというとヴァイオリンの演奏に寄せて、シンプルに演奏したいと思っています。
―― バッハの《シャコンヌ》はこれまでに何度も弾かれているとのことですが、作品への感じ方や向き合い方に変化はございますか。
どんな曲でも気持ちや印象は常に変化していきます。
私の場合、年月を経て「技巧を聴かせよう」と思わなくなったことがいちばん大きいかもしれませんね。自分の思うペースで自分の思う音楽を弾けるようになったことは、年齢を重ねた重みかなと思います。
―― これらの選曲も生徒さんからインスピレーションを受けたのでしょうか?
少しはありますね。ヒナステラは学生も弾きたがりますし、教える機会も多いんです。ヒナステラの民族性は独特なので、自分自身の解釈で弾いてみたいとずっと思っていました。
―― ブラームスと、ラヴェルの《ラ・ヴァルス》はいかがですか?
ブラームスはコンサートで弾くのは初めてなんです。そして、《ラ・ヴァルス》は一度も取り組んだことがなくて、今回が初です。
―― 譜読みからされたということですか?
そうです。譜読みから始めました。
―― 意外でとてもおどろきました。
《ラ・ヴァルス》、実はすごく避けていました(笑)。「私は一生この曲は弾かないだろうなぁ」なんて思い続けてきました(笑)。作品として惹かれる部分が正直ありませんでしたが、あるとき突然、光が降ってきたかのように「あ、これ弾きたい! いいかも!」と……。本当にそんな衝動で選びました。
《ラ・ヴァルス》はラヴェルのほかの作品ともまた少し違う、シンフォニックな要素が強い作品です。華やかでありつつ案外サラッと終わるので、前半の最後にちょうどいいなと思い、ここに入れました。
―― ベテランの域になっても新たな作品に取り組む姿勢がすばらしいと思いました。
プログラムを作ることは好きなのですが、「自分が弾く」ことを想定しないで作ってしまうので、いざ弾くとなると大変です(笑)。しょっちゅうリサイタルを開いているわけではないので、「せっかくだから新しいものを」と毎回思うようにしています。
聴いてくださる方の感情の波に響くものがあったらうれしいですね。
ピアノとともに歩む
―― これまでに聴いたコンサートのなかで一番印象に残っているものはどんな公演でしたか。
アメリカにいた小学生のころは、よくカーネギー・ホールなどに連れていってもらいました。そのなかでもラザール・ベルマンがアメリカデビューをした公演は印象的でしたね。当時40代だったと思いますが、あごひげがすごく長くて。ステージに出てきた瞬間、母に「ジーザス……」と言ったらしいです(笑)。本当に神さまのような出で立ちで、ヌッと出てきたことを覚えています。
弾き始めると、もう、音が衝撃的で……! 深い音でゆったりとしていて、でも本人は無表情に近くて、とにかく神さまみたいに見えたことが記憶に残っています。

―― 長年ステージに立たれていますが、いまも本番では緊張されますか?
もちろんです、毎回緊張しています。いくつになっても緊張はしますが、若いころとの変化は「ここまで持っていけばある程度は大丈夫」という目安がわかってきたこと、自分の気持ちの持ち上げ方を理解できたことでしょうか。
―― 東京と京都を行き来するお忙しい生活が続いているかと思いますが、練習時間はどのように確保されていますか。
京都には週3日ほど行っていますが、レッスンや会議で夜にならないと時間が取れないことも多々あります。体力的にもヘトヘトになることも多くて、事前に「この時間は絶対に練習する」としっかり決めていないと難しいですね。
ですが、もうひとつの居場所があることはいい意味で気分転換になっています。新幹線のなかでの時間はとても貴重で、「新幹線に乗ったらやること」を山のようにためておいて、そこで作業しています。家でやろうと思うとなかなかはかどりませんが、これが2時間半と決まっているとメリハリがつくものです(笑)。
―― おこがましい質問になりますが、この先の目指す姿、目標を教えていただけますか。
まだもう少しがんばらなきゃいけないと思っています。まずは大学の任期まできちんと全うすること。
自分の演奏に関しては、まだまだ新しい曲をやりたいです。新しい曲は常に「出会い」であるため、出会いの波を止めたくないですね。具体的にはヒナステラのコンチェルトを死ぬまでに1回やりたいと思っていますが、そもそも肉体が元気じゃないと弾けない曲なので、希望は捨てずにがんばっていきたいと思います。
―― 今後も教える活動は続けていかれますか?
大学に入る前も教えていたので、ご要望があればもちろん教えていきたいですね。これまで教わってきたすばらしい先生方のレガシーを残すためには、私が伝えていかなければ。
―― ありがとうございました。最後に、三舩さんにとってのピアノはどんな存在か教えていただけますか。
「mate(メイト)」って感じですね。チームメイトなどのmateです。肩を組んで一緒に歩む「連れ」のイメージです。体調や気持ちも音に出てしまいますし、自分自身の鏡のような存在ですね。
<文・取材 浅井彩>
今後の公演情報
| 公演名 | 三舩優子 ピアノ・リサイタル |
|---|---|
| 日時・会場 | 10月28日(水) 18:30開演(19:00開場) |
| 会場 | Hakuju Hall |
| 出演 | [ピアノ]三舩優子 |
| プログラム |
J.S.バッハ/ブゾーニ:シャコンヌ ニ短調 BWV1004 ブラームス:3つの間奏曲 Op.117 ラヴェル:ラ・ヴァルス ヤナーチェク:霧の中で ヒナステラ:ピアノ・ソナタ第1番 Op.22 |
| チケット | 全席指定:6,000円 |
| 詳細 | 詳細はこちらから |
| お問い合わせ |
ジャパン・アーツぴあ TEL:0570-00-1212 |
三舩優子(Yuko Mifune)
幼少期をニューヨークで過ごし、市原光子、ジェローム・ローエンタールに師事。帰国後、アイザック・スターン氏の紹介で井口秋子に師事。
桐朋学園在学中、日本音楽コンクール第1位。奥村洋子、安川加壽子に師事。首席卒業後、文化庁派遣研修員としてジュリアード音楽院へ留学、マーティン・キャニンに師事。1991年にアメリカデビュー、フリーナ・アワーバック国際ピアノコンクール優勝後、カーネギーホールなどでも公演。
帰国後は、国内外のオーケストラとのツアーに参加するなど国際的に活躍。
ラジオのパーソナリティやNHK「週刊ブックレビュー」で司会を務めるなど、メディアでも活躍。教育分野においてもマスタークラスやワークショップを国内外で開催し、アウトリーチにも力を注いでいる。
2014年よりドラムの堀越彰と「最小にて最大のオーケストラ」と称するOBSESSIONを結成。クラシックピアノとドラムという他にない組み合わせで新境地を開拓。幅広いレパートリーに定評があり、華のあるダイナミックな演奏はファンを魅了し続けている。
京都市立芸術大学教授。















