
幼いころに出会ったクラシック音楽に魅せられ、指揮者を夢見るようになった坂入健司郎さん。音大や留学を経ず一般大学を卒業し会社員となり、ぴあ株式会社や中央省庁での勤務を経験したあと、指揮者の道へと進みました。
音楽に専念する決意へと導いたのは、偶然の出会いと、そこから生まれた縁だったそう。現在も古楽器や料理などへの好奇心を広げながら、「人と人にしかできない音楽」を追い求めています。その歩みと、音楽への尽きない好奇心についてお話をうかがいました。
同じ曲でも、音楽は変わる―― 幼少期に芽生えた探究心

―― 音楽を始めたきっかけからおうかがいできますか。
幼稚園のころ、クラシックの作曲家を紹介するCD付きの週刊分冊百科を親に買ってもらいました。これがすごく楽しくて、全巻そろえたことが音楽への入り口だったと思います。作曲家の歴史や人生を知ることがとてもおもしろくて、どんどん興味が広がっていきました。ちなみに両親はクラシックに特段熱心だったわけでもなく、ごくふつうの家庭です。
そのころ、誕生日にドヴォルザークの交響曲第9番《新世界より》のCDをもらったのですが、両親からと祖父母からで、なんと同じ曲のCDが被ってしまいました。指揮者やオーケストラは違ったので聴き比べてみたら、同じ曲でも音色や表現が違うことに気がつきました。「それなら自分はこうしたい」という願望が芽生え、いまにいたります。
―― 幼稚園児で《新世界》の聴き比べとは、すごいですね。
そうかもしれませんね(笑)。そのころから「指揮者になりたい」という夢が漠然とありました。
僕はいろんなものに興味がありますが、あまり長続きしないことも多いタイプなんです。そんななか、ずっと続いているのがクラシック音楽。たまたま入り口があの週刊分冊百科だったわけですが、そのおかげで生涯大好きなものに出会えました。
―― チェロもお弾きになられるとのことですが、こちらはどういったきっかけだったのでしょうか?
中学校に入学したとき、学校が偶然チェロを備品として購入したばかりで、それを借りて弾き始めました。ほかの楽器も試しましたが、チェロの魅力が頭から離れなくって……。音の響き、弦の振動が楽器を通して胸に伝わる感覚に感動して、これは続けられそうだと思ってチェロを選びました。

―― なるほど。幼いころから一貫して音楽が大好きで、一直線だったのですね。初めて指揮を振った作品やきっかけは覚えていらっしゃいますか?
オーケストラの作品だと、中学校3年生のときのビゼー《アルルの女》の〈ファランドール〉かな。そのときにもらった初めての「ブラボー!」がもう忘れられなくて、ここで音楽の沼から抜け出せなくなりました。
―― これだけ熱意があると音楽高校・大学が選択肢に入ってきそうですが……。
中学校から私立に通っていたこともあり、音大を受験し直すことは金銭的にもあまり現実的ではありませんでした。ウィーンで指揮を学んだ経験のある高校の音楽の先生から「指揮者になるなら、一般大学で教養を学ぶことも大切だよ」と助言を受けたこともあります。また、海外には一般大学を卒業して指揮者になり、巨匠と呼ばれるようになった方も多くいらっしゃいます。そうしたこともあって、そのまま付属の大学へと進学しました。
留学ももちろん考えました。高校生のときに、大好きな指揮者であるロシアのウラジーミル・フェドセーエフ氏に弟子入りをお願いしたら、「すべてのリハーサルに来てもいいよ」と言ってもらい、その後ウィーンやモスクワにもついて行きました。そのまま留学したい思いもありましたが、経済的にも自立して、自分のお金で行きたいという気持ちが強く、いったん就職しました。

会社員から指揮者へ
―― なかなかクラシック業界では「一般企業に就職」したお話を聞くことがないのでおどろきました。会社員時代はどういったお仕事をされていたのでしょうか。
出版やチケット販売などを手がけるぴあ株式で、最初はウェブマーケティングをしていました。どういったメールマガジンを発信したら、公演に興味をもって、実際にチケットを買ってもらえるかを考える仕事です。そのあとはいわゆる営業職に就き、ぴあでチケットを取り扱ってもらうために取引先を奔走する毎日でした。その後、アーティストのファンクラブサイトを運営する新規事業の立ち上げメンバーにもなり、いわゆる「推し活」のような、どうしたらファンに喜んでもらえるサービスを提供できるかを常日頃考えていました。
―― それはクラシックではなく、一般的なポップスのアーティストだったのですか?
そうです。むしろクラシックだと僕自身のこだわりが強すぎて、演者に近い立場でもあったので、ほかのジャンルにしてほしいとお願いしていました。なので、韓流やロックバンド、映画や演劇も担当しましたよ。
―― 本当にいわゆるふつうのサラリーマンですね。いまは指揮の活動に専念されていますが、そこまで活躍されたなかで会社を辞めようと思ったきっかけはなんだったのでしょうか。

いろいろありましたが、留学したいと思っていたタイミングに中央省庁(スポーツ庁)へ出向が決まったことが大きかったです。
出向先ではスポーツビジネスに携わっていましたが、中枢の国家公務員たちと仕事をすることは、感覚が磨かれて非常に勉強になります。いろんな人たちと触れ合っているうちに独立したい気持ちが出てきて、なんでもいいので「音楽がしたいな」と思いつつ日々を過ごしていました。
そんなときに友人と渋谷でお酒を飲んでいたら偶然、著述家でプロデューサーの湯山玲子さんが隣の席に座っていらっしゃいました。テレビで見かける方がクラシック音楽の話をしていたので、居ても立ってもいられず思わず話しかけたのです。そうしたら「今度一緒になにかしよう」とお声がけいただいて、東急プラザ銀座でシェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》の連続公演を企画してくださり、僕が指揮することになりました。
この演奏を聴いてださった日本コロムビアの方からお声がけいただき、なんとCDデビューが決定。デビューアルバムのような形でリリースされたのが2020年1月、コロナ禍の直前です。その後、プロのオーケストラなどから声をかけていただく機会が増え、「このタイミングしかない」と思い、クラシック音楽に専念しようと仕事を辞めました。
退職後、指揮者として本格的にプロのオーケストラにデビューしたのが、名古屋フィルハーモニー交響楽団との公演でした。2021年のことです。
―― コロナ禍どまんなかですね。なかなか勇気がいる決断だったのでは。
本当に勇気がいりましたね。ですが、スポーツ庁に行った関係で最後の仕事が東京オリンピックに関わる職務だったので、オリンピックを終えたこのタイミングしかないなと決断しました。
―― 名フィルデビューではなにを振られたのでしょうか。
チャイコフスキーの交響曲第4番でした。ほかにもいくつか候補がありましたが、僕にとって思い入れの深い曲で、高校のオーケストラ部の定期演奏会で1年間リハーサルをして指揮した作品です。隅々まで知りつくした思い出の曲ですね。
すばらしい出会いに恵まれて
―― ここまでお話をうかがって、とてもいいタイミングでいい選択をされてきたんだなと感じました。

そうですね、出会った人に恵まれてきたと思っています。
中学校のとき、夏の自由研究で指揮者について調べる機会がありました。当時は個人情報の管理がいまほど厳しくない時代で、音楽年鑑に演奏家の住所が載っていたので、片っ端から「インタビューさせてください」と指揮者の方々へ往復はがきを送りました。そうしたら、唯一「炎のマエストロ」こと小林研一郎さんが返事をくださったんです。リハーサルを見学させていただいたり、指揮法セミナーを受講させていただいたりと、本当にお世話になりました。
その後も井上道義さんや飯守泰次郎さんなど、要所要所ですばらしいマエストロに出会えて、経験を積めたことはありがたかったです。そういう意味では強運の持ち主かもしれません。
―― いまは指揮や音楽監督もされていますが、今後目指している姿はございますか?
指揮は一生続けたいです。音楽監督を務めているオーケストラは、大学時代からの仲間たちと活動しているオーケストラなので、今後も一緒に成長し続けていきたいですね。これからは彼らとオペラにも取り組みたいと考えています。
夢としては、世界各国のオーケストラとの共演があります。日本はもちろん、オーストリアやチェコ、フィンランド、スペイン、さらには南米など、さまざまな国にそれぞれのローカルな音があると思うので、それらを知るためにいろんな国のオーケストラに会いたいですね。訪ねた国や地域が持っている、その土地特有の音を知ることができるような旅を、これからの人生でしていきたいです。
そして、それらで得た経験をいろんな人たちとシェアできる人間になっていきたい。自分主体ではなく、お客さまやオーケストラの仲間たちともっと分かち合えて、喜んでもらえたらうれしいです。というのも高校生のころ、自分のエゴを押し付けて、リハーサルで大失敗したことがあるので……(苦笑)。
オーケストラのメンバーと一緒に、アイデアをアウトプットする作業がとても楽しいんです。上手くコミュニケーションを取ると、もとからあった自分のなかでの100%の理想が、120%にも150%にも高まっていく。それがオーケストラを指揮する醍醐味でもあります。
―― 音大や留学を経ず、会社員として働いた経験を経て指揮者になったご自身の歩みを、いま振り返るとどのように感じますか。
「あれをやったからいまがある」「これをやったからたどり着けた」というものはありませんし、難しいですね。まちがいなく言えるのは、社会人経験で培ったコミュニケーション能力や人間関係は大きかったということです。音楽はみんなのものですから、「音楽家になりたい!」というエゴが抜けたタイミングで、たまたま僕は指揮者になれて、夢も叶った。
実は、あまり達成感を得たことがないんですよね。なので、指揮者になれた感動よりも、「そのオーケストラでいい音楽を作るにはどうしたらいいのかを考えていたら、指揮台に立っていた」というのが一番しっくりくるかもしれません。
迷いよりも増えていく「知りたい」という気持ち
―― ららら♪クラブではたびたび人気投票をおこなっておりまして、「日本人指揮者 人気ランキングTOP30【2026年版】」で坂入さんは第13位に入られました。ご自身の人気や知名度が上がっていくことに対してもどうお考えですか。
びっくりしました! 友だちに教えてもらって知ったのですが、なんだかすごく恥ずかしくって(笑)。本当にありがたいことですよね。仲間やお客さまをこれからも大切にしていきたいです。
―― 周りからの反応も変わってきましたか?
「アンケートで13位に入っているよ」といろんな人から連絡が来ました。錚々たるマエストロが名を連ねるランキングなので、緊張してしまいます。
―― 2026年で38歳ということで「不惑」が視野に入ってくる年代になりますが、ものの考え方や音楽のとらえ方などに迷いはなくなってきましたか。
音楽家として「疑問」は常に持っていた方がいいと思うので、新たな視点や知的好奇心はますます増えているような気がします。
最近、古楽器も始めました。チェロに似ているかなと思ってヴィオラ・ダ・ガンバを始めたのですが、弓の弾き方、持ち方も真逆でぜんぜん違うんです。古楽にはさまざまな決まりごとや意味があって、例えば「ここで半音階が使われるのはこういう意味がある」といった表現上の約束ごとがあります。もちろんモーツァルトやベートーヴェンはそれを知ったうえで作曲している。古楽を勉強しながら古典派の作品を見直してみると、気がつくことが増えて楽しくなるんですよね。知らないことがいっぱいあったんだと、もっと知りたい意欲が出てきます。
知的好奇心に関しては「不惑」ではなく増えていますね。
―― そういった意味では学びたいことが増えて、逆に「迷い」は増えそうですね。
だからといって、いままでの解釈に迷いが出たというわけではなく、新たにどう取り入れていくかを常に考えています。そういう選択肢が増えたことはうれしいことですね。

音楽とともに、世界を知る
―― コロナ禍にデビューされているので音楽配信もご経験されていると思いますが、このあたりにはどのようなお考えをお持ちでいらっしゃいますか。
いろんな方にクラシックを知ってもらういい機会ですよね。ただ、それを充分に収益化できていない部分が非常にもったいない。質の良い映像やライブ配信を有料化することは、絶対に必要だと思っています。
コロナ禍の最初のころはよかったのですが、それが「毎日配信を続けよう」とルーティン化してくると、コンテンツの価値が失われてしまうというか、無料で視聴することだけを目的としたフリーライダーのようなファンばかりが集まるようになってしまうのは、もったいないと思うんです。クラシック音楽の価値を、もう少し保っておいてもいいのかなと思いました。
ちなみに僕は、コロナ禍の真っただなか、仕事がなくなってしまったメンバーを集めて、配信ではなくCDを作りました。ぴあでの経験もあり、きちんと良いコンテンツに仕上げて、有料のパッケージにすることは、常に考えて活動していました。
例えばベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は有料の映像配信を続けています。世界最高峰のオーケストラが、時代や環境の変化に対応しながらも、価値を保ち続けている。こうしたロールモデルは常に見習いたいなと思いますね。
―― これまでに多くのコンサートに行かれたと思いますが、一番強く印象に残っている公演について教えてください。
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキが最晩年に、オーストリアのザンクト・フローリアン修道院で指揮した、ブルックナーの交響曲第8番の演奏です。現地で聴きました。この曲の終わり、最後のコーダの部分に差しかかった静謐な場面で、図らずも遠くから大聖堂の鐘がゴーンと鳴ってきたのです。そして、そこからコーダが始まったときは、もう感動でした。ふだんなら外から聴こえるノイズであるはずの鐘の音がきっかけで、感涙を通り越して全身が震えましたね。こういうことこそ音楽体験の究極、奇跡なんだろうと思いました。本当に神が舞い降りてきたような感覚で、感動しすぎて拍手ができなかったくらいです。
ザンクト・フローリアン修道院はブルックナーの聖地でもあり、地下室にブルックナーの棺があります。これを実際に見たことも衝撃的な体験で、演奏会と相まってとても記憶に残っています。この修道院にあるオルガンでブルックナーは作曲していましたし、「ここに来ないと真のブルックナーの響きは体験できないんじゃないか」と思うくらい、常に感動していました。
教会という場所は、人間と神さまとの距離を音楽によってぐっと近づける場所でもあります。そういう感覚はふつうのコンサートホールではなかなか得られないのですが、どんな場所でもこういう体験を共有できるようにしたいと、演奏家として常に考えています。
音楽のとらえ方すら変わるくらいの、衝撃的なコンサートでした。
―― 最近はまっていることはございますか?
料理でしょうか。ドイツ料理、スペイン料理、アルメニア料理、中華料理など、いろんな国の料理を作りますよ。料理も音楽と関連してくるんですよね。
例えば、世界各国のユニークな民謡なんかが気になってくると、その地域の食への興味にもつながってきます。フランスのなかでも、パリなどの都市部と、ケルト文化の影響が色濃いブルターニュ地方では全然違う。そういった現地の音楽と料理の関連性が気になって、レシピを取り寄せて実際に作ったりします。
チェコの作曲家であるヤナーチェクが大好きなのですが、ブルノに行ったときに、ヤナーチェクの家で働かれたお手伝いさんが作っていた料理を紹介するレシピ本を見つけて、「ヤナーチェクはこういうものを食べていたんだ」と感動しました。食べ物は、その作曲家自身を形作ってきた「そのもの」ですから。
最近はどんな言語でもスマホのカメラで簡単に翻訳もできて、いい時代になりましたよね。だから言葉がわからなくても、とりあえず本を買ってしまいます。音の楽しみ方と食の楽しみ方ってやはりよく似ていて、「塩をひとさじ入れるかどうか」の判断と、指揮者がリハーサルで下す判断には共通している点があると思います。アウトプットの感覚やさじ加減が、音楽と料理には共通点がありますね。
人と人でつくる音楽、その先へ
―― 今後目指している姿や抱負もおうかがいできますか。
海外への進出は常に考えています。あとはコロナ禍を経て、オーケストラのメンバーとのコミュニケーションの取り方についても考えますね。学生オーケストラを指揮することもありますが、以前は毎日飲み会をして学生たちと若いノリでコミュニケーションを取ったりしていました。でもいまはそういう時代ではありません。どうやって心の距離を縮めるかということは常に考えなくてはいけませんし、世代によっても違うことなので、意外と簡単じゃないんですよね。
いろんな人と100%通じ合うことは誰にとっても難しいことですが、できる限り100%に近づけるような心の通わせ方を、もっと考えていきたい。AIが台頭してきている時代に、人間と人間にしかできないことがオーケストラの合奏でもあると思います。
ライブエンタメもまさにそうで、パソコンやスマホを通じて自宅で音楽を聴けるのに、わざわざ会場まで行って時間もお金も使って音楽を聴くって、不思議なことですよね。でもそれはやっぱり、生身の人間との触れ合いを求めているからだと思うんです。時代とともに変わっていく「コミュニケーション」を常にアップデートしていくことは、僕のなかの課題です。そのコミュニケーションの輪を、海外にも広げていきたい。音楽は今後もまちがいなく続けていくと思うので、その音楽をどうやっていろんな国や世代の人々と共有していくかは重要ですね。
―― 今後振ってみたい作品はありますか?
たくさんあります。ブルックナーやマーラーのような大作も演奏することができましたが、1回やったから終わりではなく、2回目3回目と演奏を重ねることで成熟させ、自分のなかで考えを広げていきたい。あとは会社員をしながらだとオペラに取り組むことが難しかったので、これからはオペラの指揮はたくさん取り組みたいですね。来年2027年の1月に《カルメン》を指揮するので、これを足がかりにいろんなオペラにチャレンジしていきたいです。
ヤナーチェクとベルクが大好きなので、いつかふたりのオペラを指揮することが夢です。どうしてもハードルが高めではありますが、近現代のオペラは、古典派やロマン派によくある王族や神話の物語ではなく、僕たちの生活に近いような筋書きの作品も多くて、大好きなんです。
―― たくさんの楽しいお話をありがとうございました。最後に、坂入さんにとっての音楽は、どういった存在でしょうか。
どう言ったらいいかな……ものすごくベタですが、「人生の根幹」「生きる源」ですね。衣食住+音楽、みたいな。音楽がないと僕は生きていけないかもしれません。酸素に近いような存在です。だから食の世界にも興味があるのかも?
<文・取材 浅井彩>
今後の公演情報
| 公演名 | YMfg もみじニューイヤーコンサート2027 |
|---|---|
| 日時 | 2027年1月9日(土) 15:00開演(14:00開場) |
| 会場 | 広島文化学園HBGホール |
| 出演 |
[指揮]坂入健司郎 [ピアノ]黒木雪音 [管弦楽]広島交響楽団 |
| プログラム |
【オール・チャイコフスキー・プログラム】 歌劇《エフゲニー・オネーギン》Op.24より〈ポロネーズ〉 バレエ組曲《くるみ割り人形》Op.71a ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 Op.23 |
| チケット | 全席指定:S席5,500円 A席5,000円 B席4,500円 U25(25歳以下)1,500円 |
| 詳細 | 詳細はこちらから |
| お問い合わせ |
もみじ銀行 営業統括部 TEL:082-241-3022 |
坂入健司郎(Kenshiro Sakairi)
神奈川県川崎市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。13歳の時に初めて指揮台に立つ。指揮を三河正典、山本七雄の各氏に、チェロを望月直哉氏に師事。また、指揮講習会等を通じてV.フェドセーエフ、飯守泰次郎、井上道義、井上喜惟、小林研一郎各氏の下で研鑽を積んだ。
2008年には東京ユヴェントス・フィルハーモニーを結成。J.デームス、G.プーレ、舘野泉など著名なソリストを迎え、一方、数多くの作品の日本初演・世界初演も行なっている。
15年、ミューザ川崎にてマーラーの交響曲第2番「復活」を指揮、注目を集めたことが契機となり、かわさき産業親善大使に就任。同年5月には、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンに出演。MOSTLY CLASSIC誌が選ぶ「注目の気鋭指揮者」のひとりとなった。
16年、新鋭のプロフェッショナルオーケストラ・川崎室内管弦楽団の音楽監督に就任。朝日新聞が「旬」欄にてその活動を紹介した。
18年には東京シティ・フィルに初客演、オルフの「カルミナ・ブラーナ」を指揮し、公演を成功に導いた。同じ年には、マレーシア国立芸術文化遺産大学に客演するなど海外での指揮活動も行なった。
20年、日本コロムビアの新レーベルOpus Oneよりシェーンベルク「月に憑かれたピエロ」をリリース。ほかにも多くの録音を発表しており、「レコード芸術」誌の特選盤に選出されるなど高い評価を得ている。
21年6月の大阪響に客演。さらに8月の名古屋フィルとの共演(東京オペラシティ)は、スタンディングオヴェーションの鳴り止まない熱演となり、音楽界の話題を集めた。同年、大阪フィルとも共演を果たした。22年以降にもモンテカルロ・フィル、日本フィル、新日本フィル、神奈川フィル、仙台フィル、山形響、群馬響、名古屋フィル、セントラル愛知響、愛知室内、京都市響、兵庫芸術文化センター管、九州響などと共演。また、22年9月より2年をかけて大阪響とブラームスの全交響曲演奏会を敢行。
23年8月、読売日響と人気企画「三大交響曲」「三大協奏曲」で共演。24年5月にはN響と共演。
執筆、メディア出演も多く注目を集める存在となっている。















