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Program library Vol.1 セルゲイ・ラフマニノフ その魅力に迫る(後編)

Program library Vol.1<br>セルゲイ・ラフマニノフ その魅力に迫る(後編)
 コンサートをより楽しむには、その演奏される曲を理解しておくことが大切である。作品が世に出るまでのエピソードや人気の背景を知れば、コンサートがさらに楽しくなるだろう。そこで始まるのが、コンサートプログラムを簡単に予習する特集企画「Program library」。  今年はセルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)の生誕150周年・没後80年。  前編では彼の生涯と、ピアノ独奏曲やピアノ協奏曲などについてご紹介した。  後編では、交響曲をはじめとする管弦楽曲をはじめ、あえて「ピアノが中心ではない作品」に焦点を当てていく。

ラフマニノフの交響曲・管弦楽曲紹介

 1895年にペテルブルクで初演された《交響曲第1番 ニ短調》Op.13は、初演が大失敗し、ラフマニノフが神経衰弱を発症する原因となった作品として語られがちである。1945年にレニングラード(現・サンクトペテルブルク)においてパート譜一式が発見されるまで、長らく封印された作品であった。第1楽章冒頭の重々しい序奏のインパクトが強烈であり、この動機がさまざまに姿かたちを変えながら、4つの楽章すべての冒頭に現れるという独特の構成を採っている。華やかに響くオーケストレーションをはじめ、若きラフマニノフの作曲家としての意欲の高さがうかがえる作品である。  1908年に初演された《交響曲第2番 ホ短調》Op.27は、第1番とは対照的に、ラフマニノフの、そしてロシア人作曲家による交響曲の代表作に位置付けられている。陰鬱な低音から痛々しい透明感のある高音へと広がってゆく第1楽章の序奏からすでに、聴くものをとらえて離さない魅力がある。リズムを強調した「モチーフ」的なものが置かれやすい第1楽章の第1主題に、息の長い、歌うような旋律を充てていることは、ラフマニノフのメロディ・メーカーとしての腕前を示している。2拍子の軽快なスケルツォ楽章(※注釈②)に続いて現れる緩徐楽章(※注釈③)は、弦楽による旋律と、それに続くクラリネットのソロが、ラフマニノフの「旋律美」の頂点を成している。第4楽章は、タランテラ風の快活な動機で開始され、それまでの3つの楽章を回想しながら「闘争を経て勝利へ」という、交響曲の王道ともいうべきクライマックスを迎える。 注釈②:「スケルツォ」とは、イタリア語で「冗談」を意味する“scherzo”を語源とする、テンポが速くておどけた雰囲気の楽曲のこと。特にベートーヴェンによって、従来の「メヌエット」に代えて交響曲やピアノ・ソナタに組み込まれたことで定着した。 注釈③:「緩徐楽章」(かんじょがくしょう)とは、交響曲やピアノ・ソナタなど、多楽章形式の作品における、ゆっくりしたテンポの楽章のこと。  1909年に作曲した交響詩《死の島》は、アルノルト・ベックリンの油彩画をもとに作られた、マックス・クリンガーの銅版画に触発されて書かれた作品である。ここでも楽曲を支配するのは低音の重さ、陰鬱さである。さらに、この作品はほとんどの部分が8分の5拍子で書かれており、定まらない拍子感が波のうねりのような効果を与えている。民謡などを用いてロシアの民族主義的な作風を目指す「国民主義」からは距離を置いていたラフマニノフであったが、その一方でグレゴリオ聖歌の《怒りの日》の旋律を好んで用いており、この作品でも「死」の象徴として印象的に扱われている。  1936年にスイスのルツェルン湖畔で作曲した《交響曲第3番 イ短調》Op.44は、オーボエによって奏される第1楽章の第1主題に代表されるように、「イ短調」と銘打たれてはいるものの、旋法的な傾向が強い作品である。チェロが奏し始める第2主題は、ラフマニノフらしい朗々と歌われる旋律が特徴的だ。第2楽章はハープの伴奏をともなうホルン・ソロで開始され、ヴァイオリン・ソロがこれを受け継ぐなど、薄いテクスチュアの室内楽的な書法が特徴的である。第2楽章が緩徐楽章とスケルツォ楽章を兼ねているという点では、セザール・フランクの《交響曲ニ短調》をはじめとするフランスの交響曲の影響もうかがえる。リズミカルでタンバリンを多用した第3楽章は、それまでの暗さやもの悲しさとはうって変わって、ラフマニノフならではの力強いフィナーレがあらわれる。過去のふたつの交響曲以上に、テクスチュアと音量の急激な変化が大きく、色彩豊かで映画音楽的であり、人気を得る日も近いだろう。  1940年に作曲した《交響的舞曲》Op.45は、ラフマニノフにとって事実上最後の作品となった。3つの楽章から成り立っており、タイトルにあるとおり交響曲的な性格を持つ作品である。第1曲のみ、編成にアルト・サクソフォーンが加えられ、旋法的な音遣いの、切なく美しい旋律を歌い上げる。第2曲は緊張感に満ちたファンファーレで開始される、憂いを含んだワルツ。そして第3曲は、ラフマニノフお得意のリズムで畳みかけるフィナーレ。特に終盤の旋律、和声、シロフォン(※注釈④)やグロッケンシュピール(※注釈⑤)を多用したサウンドは、ウィリアム・ウォルトンやエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトといった、映画音楽の黄金期を支えた作曲家を想起させる「新しさ」を感じさせる。 注釈④:シロフォン(Xylophone)は、木製の音板を鍵盤状に並べた「鍵盤打楽器」のひとつ。いわゆる「木琴」のなかま。よく似た楽器であるマリンバに比べて、高く、硬くて鋭い音が特徴である。 注釈⑤:グロッケンシュピール(Glockenspiel)は、金属製の音板を鍵盤状に並べた「鍵盤打楽器」のひとつ。いわゆる「鉄琴」のなかま。鋭く、きらめくような音色が特徴である。

ラフマニノフの声楽作品紹介

 ラフマニノフは、ピアノ曲や管弦楽曲だけでなく、声楽を用いた作品も数多く手がけた。本稿ではまず、歌曲集《14のロマンス》Op.34をご紹介したい。  アレクサンドル・プーシキンやアファナーシー・フェートといったロシアの詩人の作品から13編を選んで曲をつけた《13の歌曲集》が1912年にまず仕上げられ、1915年には“ある曲”が付け加えられて《14のロマンス》となった。《13の歌曲集》として書かれた作品の多くは、フョードル・シャリアピンをはじめとするロシア人歌手に捧げられたが、第8曲〈音楽〉はモスクワ音楽院在籍中に親交を結んでいたピョートル・チャイコフスキーの思い出に捧げられている。  さて、この《13の歌曲集》に追加された“ある曲”がなんであるかといえば、〈ヴォカリーズ〉である。  ロシアを代表するソプラノ歌手のひとり、アントニーナ・ネジダーノヴァに捧げられたこの曲は、ホモフォニーとポリフォニー、単純さと複雑さの間を行き来する伴奏と、少しずつ変化するやわらかい響きの和音、そしていくつかの特徴的な動機を用いてとうとうと流れる旋律……どれをとってもラフマニノフの個性が詰まった作品である。そして独唱とピアノ、独唱とオーケストラというラフマニノフ自身の版による演奏だけでなく、ゾルタン・コチシュをはじめとするピアニストによるピアノ独奏編曲版、さらには独唱部分をヴァイオリン、チェロなどの器楽に置き換えたものから、クララ・ロックモア(※注釈⑥)によるテルミン版、冨田勲によるシンセサイザー版など、ラフマニノフの作品中もっともさまざまな編曲で演奏されている作品となっている。 注釈⑥:クララ・ロックモア(1911- 1998)は、リトアニア出身の音楽家。幼少期よりサンクトペテルブルク音楽院でヴァイオリンを学んだのち、レフ・テルミンが1920年に発明した新しい電気楽器「テルミン」と出会い、アメリカを中心にテルミン奏者として活躍した。  ラフマニノフの「鐘」といえば、《幻想的小品集》Op.3の第2曲が有名だが、もうひとつの「鐘」として、1913年に完成させた合唱交響曲《鐘》Op.35がある。推理作家エドガー・アラン・ポーの詩をロシア語に翻訳したものに曲をつけた作品で、ソプラノ独唱、テノール独唱、バリトン独唱、混声合唱、そしてオルガンを含むオーケストラという大規模な編成の作品だ。  青春の輝きを象徴する「銀の鐘」、愛の幸福を象徴する「金の鐘」、騒乱や恐怖を象徴する「真鍮の鐘」、そして弔いを象徴する「鉄の鐘」が、色彩豊かに歌い上げられる。プロコフィエフのカンタータ《アレクサンドル・ネフスキー》やショスタコーヴィチのオラトリオ《森の歌》、スヴィリドフの《悲愴オラトリオ》などへと続く、ロシアの管弦楽伴奏合唱曲の系譜の源流ともいうべき作品である。

ラフマニノフ作品の聴き方・聴きどころ

 ラフマニノフ作品の聴き方としては、まず、彼の「フィジカル」を意識してほしい。前編でも触れた通り、ラフマニノフは身長198センチで手も非常に大きく、ドの音から1オクターヴ上のラの音までの13度を楽につかめるサイズだったと言われている。ラフマニノフのピアノ書法は、横軸の音数の多さだけでなく、縦軸の音の幅広さと、瞬時に離れた音程を行き来することが特徴だ。こうした書法は、ラフマニノフの身長の高さと手の大きさに由来すると言えるだろう。  ラフマニノフ作品の聴きどころは、なんといってもまずは旋律である。交響曲であっても、ベートーヴェンの《交響曲第5番 ハ短調》(通称〈運命〉)のような、短い動機を徹底的に用いて構築していく手法ではなく、息の長い旋律の中のいくつかの動機を抜き出しながら、あくまでも「歌心」を失うことなく旋律を紡いでいくところに、ラフマニノフの作曲技法の特徴がある。  旋律と伴奏の和音とがぴったりと同期せず、わずかに「ずれる」ことで生じる非和声音も、ラフマニノフの作品が聴く者の琴線に触れる要因だろう。やわらかい不協和音と協和音とが織り成す響きは、切なく、甘く、ときにもの悲しく我々の胸を打つ。  また、本稿の前編では意識的に「コンポーザー・ピアニスト」という語を用いてきた。  ラフマニノフが生まれる以前から、すでに「作曲家=優秀なピアニストでもある」という図式は崩れつつあった。リヒャルト・ワーグナーはピアノが不得手であったと伝えられているほか、《幻想交響曲》で有名なエクトル・ベルリオーズは、まったくピアノが弾けず、ある時期まで自宅にピアノがなかったことで有名である。  「作曲家」と「ピアニスト」の分業が進んだ19世紀後半から20世紀初頭にあって、自作のみならずさまざまな作曲家の作品をピアニストとして取り上げ、演奏活動と作曲活動の両面で活躍したという点では、ラフマニノフは紛れもなく「コンポーザー・ピアニスト」である。しかしその一方で、すでに触れて来たとおり、「コンポーザー・ピアニスト」というイメージや枠組みに収まってしまうような人物ではないことも、また事実であろう。ピアノという楽器に縛られず、交響曲をはじめとした、ピアノから離れた作品においてもすぐれた作品を残していることは、ラフマニノフの才能の豊かさの象徴である。

まとめ

 本稿では、メモリアル・イヤーを迎えたセルゲイ・ラフマニノフについて、その生涯と作品、そして聴き方と聴きどころを紹介した。  作曲家に光が当たる最大のきっかけは、やはりメモリアル・イヤーであろう。ふだんはなかなかコンサートで聴く機会がない作品も、今年(2023年)なら演奏され、聴く機会がある。  これを機に、ラフマニノフのさまざまな作品に触れ、彼の魅力を存分に実感・体感していただけたら幸いである <文・加藤新平>

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