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医師・ピアニスト、沢田蒼梧が挑む二刀流

医師・ピアニスト、沢田蒼梧が挑む二刀流
医師とピアニスト――常人にはとても成し遂げられないような二刀流をこなしている人物が、沢田蒼梧だ。「勉強をしっかり続けながらピアノもきちんと練習する」を実現するために地元愛知県で進学・就職し、医業をこなしながら国際コンクールに挑戦する、とてつもないピアニスト……いや医師である。 地元の音楽教室から生涯の師との出会い、ピアノを続けながら6年間首席を貫いた中学校・高校時代のお話や、医師として勤務しながら公演を続ける現在まで、たくさんのお話をうかがった。

始まりは音楽教室から

1歳8カ月、自宅のピアノで遊ぶ
―― ピアノを始めたきっかけを教えてください。

もともと自宅にアップライトピアノがあって母が弾いてくれたり、僕も遊びで弾いたりしていました。ピアノを始めた直接的なきっかけは、母が子どもを音楽に触れさせたかったそうで、2歳のときにヤマハ音楽教室に入会したところからです。グループのみんなで歌ったり、音で遊んだり、エレクトーンを弾いたりするようなふつうの教室に通っていました。実際にきちんとマンツーマン指導のピアノレッスンが始まったのは小学校に入学してからです。
―― 小さなころからピアノがあるお家だったのですね。

そうですね。でも、母が子どものころにピアノを少し習っていたくらいで、「音楽一家」みたいにちゃんと音楽をやっている家ではなかったです。
―― その後、中部地方屈指の名門進学校、東海中学校・高等学校に進学されていますが、そのころからお医者さんを目指していたのでしょうか?

そういうわけではないのですが、もともと小児喘息持ちで通院していたのでお医者さんにあこがれはあったんです。勉強をしていく中で「自分が何をやりたいか」を考えたときに、「あのときの先生かっこよかったな」ということを思い出しました。
2歳5カ月、自宅のピアノで遊ぶ
―― さらに中高6年間首席だったと……その上でピアノの練習時間を捻出されていたということで、常人には想像もつかない世界です。

勉強はほとんど学校と通学時間で終わらせてしまって、家にいる時間は基本的にピアノの練習をしていました。平日も家に帰ってから4~5時間くらいは練習していたかな。中学校に入学した時点ピアノ以外の習いごとはしていなかったので、学校が終わってからはずっとピアノの練習に充てていました。

医学と音楽、二刀流を極める

―― ピアノ1本の道を考えたことはありますか?

ピアノだけで生きていこうと思ったことは一度もないです。ただ、医学の勉強と同時にピアノも続けたかったので、家族のサポートを受けられるように家から通える名古屋大学を選びました。ジュニアのころも全国大会での上位入賞はありましたが、音大生と競い合うコンクールで高校2年生のときに1位を取れ、師匠からも「国際コンクールを目指そう」と言っていただいけたので、ひとり暮らしをしながら大学にも通って……というのはちょっと厳しいだろうなと。師匠のご自宅も隣県の岐阜市内ですし。
あとは、臨床医として働くにはきっと地元のネットワーク的なものが活かされるかなとも思っています。
高校2年生の夏、コンクール結果発表前夜に銀座で関本先生と打ち上げ
―― 医学部に進まれてからは勉強もますます大変になるかと思いますが、それでも毎日の練習は欠かさなかったのでしょうか?

そうですね、テスト直前をのぞいて毎日練習していました。ただ中学・高校時代に比べると授業も遅くまであったし病院実習も多くて、中高生のときのように長時間の練習はなかなかできませんでした。短時間で集中して練習することを意識していましたね。
研修医として勤務し始めると、やっぱり学生時代のように毎日きちんと練習時間を確保するのが難しくなってきました。というのも1週間に一度は必ず救急外来での当直が入るので、生活リズムもくるってしまうんです。当直明けは一応勤務は休みですが、心身ともに疲れきって、帰宅してからも1日中ぶっ倒れているような感じで、根詰めて練習するのはなかなか厳しいです。
―― ちょうどこの春から研修医も2年目に突入します。どの道を究めるかは考えていらっしゃるのでしょうか。

学生のころから小児科かなと考えています。今はいろんな科をローテーションしていますが、その上でより小児科に行きたい気持ちが強くなりました。子どもってすごい。みんな大変な治療をしているけれど、なんというか、こっちがエネルギーをもらえます。子どもたちの力になりたいと思うことが多いです。
―― 現在の職場はピアニストと医師の“二刀流”はご存じなのでしょうか?

はい、知っています。病院全体というと語弊があるかもしれませんが、病院長も応援してくれていますし、同期もわざわざ遠征してコンサートに来てくれたりと、みんな暖かく見守ってくれています。
―― 今後はどんなお医者さん、そしてピアニストを目指していきたいですか?

具体的に目指したい像があるわけではないんです。ただ、患者さんや患者さんのご家族にきちんと寄り添えるようなお医者さんになりたいと思っています。ピアニストとしてもありがたいことにさまざまなところから演奏機会をいただけているので、ひとつひとつの機会に真摯に向き合いながら、きちんと丁寧に演奏していきたいです。
ただ「今後目指していきたい」というよりは、これまでもずっとこのスタンスでやってきているので、自分としては社会人になったからといって変わったわけではないんです。目の前のことひとつひとつに精一杯努力するという、これまでの姿勢をこれからも続けていきたいですね。
もちろん演奏活動についても地元愛知県の公演に限らず、スケジュールの兼ね合い次第で今後も全国どこの場所でも演奏していきたいです。
―― なんだか、漫画「コウノドリ」の主人公・鴻鳥サクラ先生みたいなだと思いました。

ふふふ、実はよく言われるんです。さすがに演奏中に突然立ち上がって病院へ行くのは難しいですが(笑)。

音楽の世界の“つながり”のお話

小学校4年生の秋、初めてピアニスト(清塚信也氏)からサインをもらったとき
―― 初めて行ったコンサートは覚えていますか?

覚えていないなぁ……。でも初めてサインをもらったコンサートは覚えていて、清塚信也さんの公演でした。地元の知多半島に来てくださって、公演後にサイン会があったことをよく覚えています。写真も撮ってもらったのですが、清塚さんはサングラスをしていました。
その後、地元の楽器店が開催したコンクールに審査員で来られていて、そのときにいただいた講評がすっごくほめてくださっている内容のものでうれしかったです。
僕が10歳か11歳くらいのころなので、2009年ごろかな? まだ今のようにテレビに出る前の話だったと思います。その後映画「さよならドビュッシー」に出演されていたのを見て、当時びっくりしていました。
―― 清塚さんなら沢田さんのことを覚えてらっしゃると思いますよ。「あぁ、あのときの上手い小学生! 君だったのか!」と。

いやいや、さすがに小学生だったので確実に僕のことは覚えていないと思いますし、そもそも僕の存在自体知らないと思います(笑)。
―― では、印象に残っている演奏会は?

アレクサンダー・ガヴリリュクが紀尾井ホールに来たときの公演です。感動のあまり「ブラボー!」と叫んだ記憶がありますね。
あとは、尊敬する師匠の関本昌平先生の演奏が大好きで、コンサートでもいつも感動しています。もちろん音楽自体も関本先生から大きな影響を受けています。
医学部卒業記念リサイタル終演後に関本先生と打ち上げ
―― 少し時間はさかのぼりますが、15歳から関本昌平さんに師事されています。市内音楽教室からどのような経緯で関本門下生になったのでしょうか。

音楽教室時代、地元の講師の先生の毎週のレッスンに加えて、月に1回国立音楽大学の山脇一宏先生のレッスンを音楽教室で受講していましたが、僕が中学に入ったころ、地元の講師の先生がご体調を崩され、毎週のレッスンを受けられなくなってしまいました。中学校の3年間は月に1回音楽教室で山脇先生のレッスンを受け、月に1回僕が愛知から神奈川の山脇先生のご自宅へうかがう形を取っていたのですが、だんだん勉強が忙しくなって、レッスン時間の確保が難しくなってきまして……。
高校1年生の秋に、学業と両立したい僕の都合に合わせて、レッスン時間を柔軟に対応いただけるご指導者を紹介してほしいという意向で、ピティナ(全日本ピアノ指導者協会)からご紹介いただいのがピアニストの関本昌平先生で、今にいたります。

関本先生にはそのころからずっと、夜の21時から日付を超えるあたりまでみっちりレッスンしていただいています。それこそ最初のうちは週2回通っていました。大学に入ってからは、授業が終わって学校からレッスンへ直行のときもありました。
―― SNSを拝見すると、関本さんとは生徒と師匠の枠を超えて仲がよさそうな雰囲気が伝わってきます。

僕、関本門下の中でも古株なんですよ。15歳からずっと見てくださっているし、ピアノ以外の話をしていても楽しいです。先生、お酒飲みたがりなので(笑)、いつもご飯をご一緒しながらいろいろなお話しをしています。
―― 関本さんとのエピソードで印象的だったものはありますか?

ショパン国際ピアノコンクールのときのエピソードがありまして。予備予選前に、ワルシャワ留学中のピアニスト仲間から練習場所を提供してくださる日本人の方を紹介していただいたのですが、本選出場が決まって、その日本人の方とメールのやり取りをしているうちに、実はその方は関本先生が第4位に入賞されたときのホストファミリーだったということが発覚しました。
本当に偶然のできごとで、「あの関本くんの生徒さんだったんですね」と大盛り上がり!
現地のお宅からは当時の写真が出てきて、思わず写真の画像を撮影して日本に持ち帰り、先生に見せました(笑)。すごいご縁ですよね。
KAWAIのShigeru Kawai
―― そういえばショパン国際ピアノコンクールでは日本人で唯一Shigeru Kawaiを選ばれていましたね。

純粋に、Shigeru Kawaiは自分と相性がいいと思っています。あの独特のタッチが好きなのと、関本先生のレッスン室にShigeru Kawaiがあるので、よく弾いていて慣れているのも大きいです。なので自然な流れでこちらのピアノを選びました。
日本人で選んだのが僕だけだったのもあって、KAWAIの方にもとても良くしていただきました。
―― 今後コンクールは考えていらっしゃいますか?

今は研修医としての仕事が忙しすぎてそれどころじゃないというのもありますが、環境とスケジュールが許せば海外の国際コンクールには挑戦していきたいですね。まだまだ具体的にはまったく決めていませんが。

―― ぜひぜひ、楽しみにしております!

若手実力音楽家たちと贈る、豪華なプログラム

―― ここからは2024年4月13日(土)に横浜みなとみらいホール 大ホールにて開催される、「タクティカートオーケストラ  第1回定期演奏会」についておうかがいします。タクティカートオーケストラは若手音楽家が集まった新進気鋭のオーケストラですが、共演にいたるきっかけがあったのでしょうか。

これまでにも何度かお声がけいただいていたのですが、やっぱり日程がどうしても合わず、なかなかご一緒できなくて……。今回は幸いにもスケジュール調整が上手くいきまして、「僕でよければ喜んで出させていただきます」とお返事しました。
―― 病院がお休みの、土曜日の公演ですね。横浜みなとみらいホールのステージには立ったことはありますか?

今回が初めてです。中学校のとき、第2位に入賞した全日本学生音楽コンクール全国大会がみなとみらいホールの小ホールだったかな。大ホールでの演奏は初めてですが、良いホールだといろんな方からうかがっているので、とても楽しみです。
―― 指揮の岡本陸さんは沢田さんと同い年だそうです。実力を持った若い指揮者とソリストがそろった公演も、なかなかお目にかかる機会が少ないかと思います。

そうですね。確かに歳上のマエストロがほとんどなので、どんな相乗効果が生まれるのかこちらも非常に楽しみです。
―― チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を選んだのは沢田さんですか?

僕の希望ですが、もともとコンサートのお話をいただいた時点で、オケ曲はチャイコフスキーの交響曲第5番をやることが決まっていたので、プログラム的に統一感が出るかなと思って選曲しました。大好きな作品ですし、これまでに2度演奏もしているので、オーケストラ・指揮・会場も含めてそのときとの違いも味わいたいと思います。
チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番は本当に大好きな作品です。出だしは有名なのでどなたも一度は聴いたことがあるかと思いますが、実はそのあとがメインだったりします。第1楽章から第3楽章までコロコロと表情が変わっていくところもおもしろいので、それぞれの場面場面の移り変わりも楽しんでいただきたいですね。
―― お客さんに音楽を届けるにあたって、心掛けていることはありますか?

ちょっと誤解を招く表現かもしれませんが、楽譜どおりに弾いて満足するだけではダメで、作曲家が表現したかったことの“意図”をとらえることが大切だと考えて弾いています。フォルテと書いてあるからそのまんまフォルテで弾く、というのはアプローチとしてはちょっと違うと思っていて、そのフォルテに何の意味を込めたのかが重要なのではないでしょうか。
すべての表現を一度自分のものに落とし込んで、その上で作曲家が言いたかったことを再現するために、そこを重視して譜面を読み込んでいます。
―― たくさんのお話をありがとうございました。最後に、ららら♪クラブの読者や、コンサートを楽しみにしているお客さんへメッセージをお願いします。

個人的なこだわりとして、コンサートホール全体にどう音を飛ばすだとか、音色の違いをどう全体に広げるかなど、ホールでしかできない表現に重点を置いています。同じ人が弾いていても、部屋で隣に座って聴くピアノとはまた違うと思うのです。そういった部分に耳を傾けていただけると、また違った楽しみ方ができるのではないでしょうか。
“クラシックコンサートを聴く”ということ自体がエンターテインメントですよね。演奏会が終わったあとに「楽しかったな」「また来たいな」と思ってもらえるような、そんな空間と時間を過ごしてもらえるように願いを込めて、いつもピアノを弾いています。

(取材・文 浅井彩)

©武藤 章


今後の公演情報

タクティカートオーケストラ 第1回定期演奏会

日時 4月13日(土) 14:00開演(13:15開場)
会場 横浜みなとみらいホール 大ホール
出演 [指揮]岡本陸
[ピアノ]沢田蒼梧
[管弦楽]タクティカートオーケストラ
プログラム 藤重侑宇:委嘱新作(世界初演)
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番、交響曲第5番
チケット 全席指定:S席6,000円 S席学生3,000円 A席4,000円 A席学生2,000円
詳細 こちらから
お問い合わせ タクティカート
TEL:03-5579-6704(平日12:00~17:00)

沢田蒼梧(Sohgo Sawada)

1998年生まれ。愛知県在住。6歳よりヤマハ音楽教室にてピアノを始め、15歳より関本昌平氏に師事。現在、上原彩子氏の指導も受ける。医学との二刀流で数々の権威ある国際コンクールに出場し、NHK「ショパンに挑みし者たち~2021ショパン国際ピアノコンクール~」出演を始め、TV・新聞・雑誌など多くのメディアで取り上げられる。
2021年第18回ショパン国際ピアノコンクール本大会二次審査進出。2018年ジュネーブ国際音楽コンクール最年少ベスト16入選。2019年仙台国際音楽コンクール出場、審査員アンドレア・ボナッタ氏推薦によりピアノアカデミーエッパン(伊)プロフェッショナル部門参加、グスタフ=マーラーホールにおける選抜演奏会出演。ポーランドシレジアフィル、東京シティフィル、名古屋フィル、中部フィル、大阪交響楽団、広島交響楽団等と共演。紀尾井ホール、住友生命いずみホール、三井住友海上しらかわホールを始めとする国内各地およびワルシャワにてソロリサイタル開催。東海中学校・高等学校6年連続首席卒業。名古屋大学総長顕彰受賞。2023年3月、名古屋大学医学部医学科卒業。

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