
'02年、デビューCD『愛のあいさつ』がクラシック界では異例の2万枚を超える大ヒットを記録。以降、リサイタルはもちろん、ジャズやタンゴなど他ジャンルのユニットにも参加、さらに近年は子どもたちのための音楽会に注力するなど、幅広く活躍している奥村愛さん。NHK Eテレ『ららら♪クラシック』では、『名曲集~大作曲家たちの“恋愛模様”~』(2015年2月7日放送)で、クライスラーの『愛の喜び』を演奏。さらに2020年1月19日開催の『ららら♪クラシックコンサートvol.7』では生誕250周年を迎えるベートーヴェンの名曲を披露してくれる。
音色も弾き方も男!?
「『ららら♪クラシックコンサートvol.7』ではベートーヴェン特集ということで、『クロイツェル』を演奏させていただきます。この曲は、うかつには手を出せない気がしていて、実はコンサートで1回しか弾いたことがないんです。ベートーヴェンのソナタ自体、最近あまり弾いていませんでしたから、今回、演奏のきっかけをいただいてとても楽しみにしています。しかも共演者が素晴らしい方々ばかりなので、うかうかしていられないぞと(笑)。いつもはピアノと2人だけのコンサートが多いので、それ以外の編成で演奏できることもとてもうれしく思っています」 演奏のすばらしさはもちろん、自然体のトークや親しみやすいプログラミングで、常にリサイタルは大盛況の奥村愛さん。小柄で優美な姿とは裏腹に、「音色も弾き方も男だとよく言われる」と快活に笑う。 「自分では全然わからないんですけどね。でも、音色や弾き方には演奏者の性格が出ると言われますし、育ってきた環境の影響が大きいのかなと思っています」 父親がオランダ・アムステルダムのコンセルトヘボウ管弦楽団のヴァイオリン奏者だったことから、アムステルダムで生まれ、7歳まで彼の地で暮らしていた愛さん。ヴァイオリンを習い始めたのは4歳のときだ。 「当時は、近所の子どもたちと外で遊んでいたことばかり覚えていて、ヴァイオリンを一生懸命練習した記憶は全然ないんです」 とはいえ、父親の友人がダンボールで作ってくれたヴァイオリンで遊ぶ2歳頃の写真が残っていたり、コンサートホールで開催される、父親が在籍する楽団の家族に向けたクリスマス会に毎年参加したり、音楽は日常に当たり前のように存在し、「楽しく接していた」と振り返る。 「アムステルダムには路上で楽器を演奏する人や、手回しオルガンを演奏する人もたくさんいましたしね。私自身も路上で演奏したことがあるんですよ。女王記念日に、親たちが公園でフリーマーケットを開催したときでした。ヴァイオリンのケースを開いて置いておいたら、子どもが演奏しているものだから、みんな面白がって小銭を入れてくれまして。それが初めて自分で稼いだお金。好きなものを買っていいよと親に言われて、大きいバケツに入ったスライムを買いました(笑)」<
オランダ・アムステルダムでの演奏会。幼少時代は両親から「ヴァイオリンの練習をしなさい」と言われた覚えはなく、気づいたら弾いていたという。


クラシック音楽を身近に感じてほしい
同時期、クラシックコンサートにはこんな思い出がある。 「6歳のとき、弟の出産で母が入院した際、私一人だけ父に連れられて、父の出演するコンサートに行ったんです。一人で席に座って、オーケストラの生演奏を聴いたのですが、あの中で弾くのってカッコいいなって思ったことはすごく記憶に残っています。あと、知っている曲が演奏されたので、小さく鼻歌を歌っていたら、隣の席のオランダ人のおばさんに『この曲知っているの?』って話しかけられて、『お父さんがあそこにいるの』って、そんな会話をしたことも鮮明に覚えています」 とにかく、のびのびとクラシック音楽に触れ、楽しんで育った愛さん。現在、全国各地で『キッズのための初めての音楽会』に力を注いでいるが、そこには、「子どもの頃からクラシックの生演奏を聞いていれば、大人になってもクラシックを身近に感じてもらえるはず」という、自身の体験が生きている。 「じっとしていなければいけないとか、辛い思いが先に立ってしまうと、クラシックコンサートに行こうという気持ちにはなれませんよね。ですから、子どもたちには、とにかく『楽しいじゃん』、『意外と聴けるじゃん』と思ってもらえるようなコンサートを心がけています」 楽しいコンサート作りに関しては、自身のこんな体験も息づいている。 「8歳になる直前に、父の仕事の関係でアムステルダムから新潟に引っ越したのですが、その新潟で、父が大学時代の友人や後輩たちと室内楽のコンサートを開いたんです。その中にピアニストの羽田健太郎さんもいらっしゃって、羽田さんはおしゃべりは楽しいし、ビートルズの『イエスタデイ』や、カーペンターズの『イエスタデイ・ワンス・モア』などもアレンジして弾いてくださって、子ども心に本当に面白くて。私自身、クラシックコンサートはこうあるべきと思い込んでいたところがあったので、目から鱗でものすごく衝撃を受けました。当時はまだ、将来のことなど何も考えていませんでしたが、こんな楽しいコンサートをやってみたいなと、なんとなく思っていたことは覚えています」