2020年8月17日(月)、サントリーホールでららら♪クラシックコンサートVol.8「4手6手ピアノ特集」〜夢の競演でたどる音楽史〜が開催されました。元々は風薫る5月9日に予定されていましたが、新型コロナウイルスの感染拡大のため延期され、猛暑日が続く、真夏の開催になりました。
コンサートのタイトルである「4手6手(ヨンシュロクシュ)」とは今回の企画で生まれた造語で、2台のピアノの4手、3台の6手の演奏の意味。選曲はバッハからジャズ、現代音楽まで縦横無尽に古今東西の名曲が登場し、鍵盤が織りなす華麗な音の世界が繰り広げられました。
オープニングは、バッハの『ブランデンブルク協奏曲』より第3番。バロック音楽特有の気品ある節制と躍動感が特徴のこの曲を近藤嘉宏さんと金子三勇士さんが演奏。そしてモーツァルトの『2台のピアノのためのソナタ 二長調』を初共演の上原彩子さんと近藤嘉宏さん。「バッハのこの編曲は、実は何気に嫌な感じがして、弾きにくいのです。地味に難しい。編曲者からチクチク、チクチクいじめられている感じなんです(笑)。一方でモーツァルトの方は、今回初めて上原さんと共演させて頂きました。お互いの音色のやり取りを楽しめました」と近藤さん。それを受けて上原さんも「音楽を通して会話ができ、二人で弾く事で更に音の広がりを感じ、とても楽しかったです」。
そして、それぞれの出演者のソロ演奏へ。これは延期開催となったお詫びに急遽追加されたプレゼント企画。トップバッターは、NYブルーノートレーベルで最年少リーダー録音記録を樹立し、ヨーロッパ各国でも高い評価を得ている松永貴志さん。選んだのは自身で作曲した『神戸』。小学生のころ阪神淡路大震災し、復興した神戸の夜景をイメージして作られたもの。「気持ちを込めて演奏できたら…」と一言。困難の後の力強く復活した輝きが表現されたメロディーは今のこの時へのエールのようでした。
中野翔太さんが選んだのはグラナドスの『12のスペイン舞曲』より第5番「アンダルーサ」。賑やかな音に力強いリズム、哀愁が濃厚に立ちこめるような旋律を見事に表現。クールな表情の中に潜む熱い魂がにじみ出るような演奏でした。
金子三勇士さんはシューマン『子供の情景』より第7曲「トロイメライ」。ドイツ語で夢想、夢見心地を意味するトロイメライ。ひとつひとつの音を愛しみ、豊かな音楽性がほとばしる演奏は圧巻。
上原彩子さんはチャイコフスキー『18の小品』より第16曲「5拍子のワルツ」を選曲。チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門において、女性初かつ日本人初の第1位を獲得した上原さん。ステージに登場した時の穏やかな表情が鍵盤に触れた瞬間に一変、内なる世界の魂と対話するように口元が動く…、その演奏は息を吞む迫力で、まさにライブならでの醍醐味を味わうことができました。
ラストは近藤嘉宏さんのラフマニノフ『幻想的小品集』より第2曲「鐘」。ロシアの作曲家ラフマニノフがモスクワ音楽院を卒業して最初に書き上げた作品のひとつ。クレムリン宮殿の鐘の音にインスピレーションを受けたとも言われる通り、厳かに響き渡る鐘の音が見事に表現されていました。若き作曲家の自信溢れるメロディーを、的確かつ情熱的に演奏し、ソロのパートを締めくくりました。
オープニングの挨拶では「前後左右に人が居ないのは寂しいですが、ソーシャルディスタンスを守る為に必要ですね。こんな時だからこそ豊かな時間を大切に…」と神妙な面持ちだった司会の高橋克典さんだが、素晴らしい演奏が続き、ホール全体に興奮の拍手が沸き起こる頃にはいつもの笑顔に。茶目っ気たっぷりに出演者のユニークな一面を引き出すトークが炸裂します。上原彩子さんはチャイコフスキーコンクールの当時を振り返り「力強さを求められる曲の演奏前にバナナを半分食べた所で呼び出しがかかり、食べ残したバナナを今でも思い出します」とエピソードを披露。それぞれの椅子の高さ調整について金子三勇士さんが「必ずしも身長とは関係なく、落ち着く高さがありますね」と語ると、中野翔太さんは「低めが好きでしたが年齢とともに高くなってきました。この先どこまで高くなるのか…」と笑うと松永貴志さんは「僕は椅子にこだわりはないですね。実際段ボール箱に座って演奏したこともありますよ」と海外公演で実際に起きたシーンを語ってくれました。
続いて、中野翔太さん、松永貴志さん、金子三勇士さんの6手で、チャイコフスキーの3大バレエのひとつ『くるみ割り人形』より第2幕お菓子の国で踊られる2曲「こんぺい糖の踊り」と「トレパーク」。
そしてムソルグスキー『展覧会の絵』より「プロムナード」とプロコフィエフ『戦争ソナタ』より第7番 第3楽章を同時に弾いてしまうという中野さんと松永さんの「ロシアンRemix」。Remixとは、DJが2枚のレコードを同時に再生し、混ぜることで新しい音楽を創りだすときに使われます。展覧会の絵の冒頭の著名な旋律にプロコフィエフの戦争ソナタがジャズ風にアレンジされ、全く新しい世界が創造されました。ジュリアード留学時代の中野さんに、バックパッカーでニューヨークを訪れた松永さんが声をかけた出会いから続く関係。クラシックとジャズという互いの世界に刺激を受け続けた2人が生み出すエネルギッシュな演奏でした。心地よいカオス(混沌)に包まれてコンサート前半が終了。
後半のスタートはドビュッシー『ベルガマスク組曲』より「月の光」を上原彩子さんと近藤嘉宏さんの4手で。淡い月の光が静かに降りそそぐ光景…2人が紡ぐ音が重なると美しい響きが無限に広がるような雰囲気を醸し出し、優しく詩情溢れる月の光を見事に表現してくれました。
そしてラヴェルの『ボレロ』。上原彩子さん、中野翔太さん、金子三勇士さんが演奏。1928年に作曲されたバレエ音楽で、同一のリズムが保たれる中、2種類のメロディーが繰り返されると言う特徴的な構成。穏やかで柔らかな4手の旋律に、立ったままの金子さんが手を伸ばしてピアノの弦を押さえて音を奏でる特殊技法でスタート。やがて今度は中野さんがピアノのボディを指の関節でコツコツ叩いてリズムを刻んだり、交互に両手の手のひらで太鼓のように叩いたりと様々な音の饗宴。そして3人の総力を結集した力強い演奏でフィナーレ。編曲した中野さんは「ピアノは鍵盤だけではなく、いろんな美しい音を奏でる事ができる楽器だと思います」。弦を触ることを許されたピアノは1台のみだったそうで、有り難い、貴重なひとときでした。
続いて、カプースチン『シンフォニエッタ』Op.49を近藤嘉宏さんと松永貴志さんで。今年7月2日、82歳で亡くなったカプースチンは近年特に急速に存在感を増した作曲家です。近藤さんは「カプースチンは僕が学生の頃(1990年代)は殆ど知られていませんでした。留学(ミュンヘン)した時に乗ったタクシーの中で聴いたコンチェルトに新鮮な驚きを感じた事を覚えています」。クラシックにジャズがプラスされたと評される作曲家に対するオマージュといえる2人の共演でした。
トリはガーシュウィン『ラプソディー・イン・ブルー』を近藤嘉宏さん、中野翔太さん、松永貴志さんが。ラプソディー(狂詩曲)とは、形式のない自由奔放なファンタジー風の楽曲とも言われるが、まさに明るく陽気な演奏で、飛び跳ねて踊りたくなるような華やかさにサントリーホールが包まれました。
アンコールはお互いが近づく連弾も含まれる為、出演者全員がマスクを着けて登場。上原さんのピンクとブルーの花柄のドレスと同じ柄のマスクが何とも可愛らしい。5人が3台のピアノを交代しながら最大10手で、坂本龍一の『戦場のメリークリスマス』を奏でるというユニークな演出。感染防止のためブラボーの掛け声はだせなくても、心からの盛大な拍手が送られました。
次回の「ららら♪クラシックコンサート」第9弾は、「躍動するバロック音楽~大編成アンサンブルの絢爛なる響き」と題して、10月14日(水)18時30分から東京文化会館大ホールで開催されます。