昨年のジュネーヴ国際音楽コンクールでの優勝からおよそ半年。上野通明は今、世界中から注目を集めるチェリストです。わずか5歳で自らの意思でチェロを始めた上野。その当時のことを今でも鮮明に覚えている彼の中に、変わらず残っているそのピュアな思いとは? チェロという楽器と出会い、まるで導かれるように歩んできたこれまでのキャリアについて、たっぷり話を伺いました!
ヨーヨー・マが弾くバッハにくぎづけに
――チェロを始めたきっかけを教えてください。
もともと音楽に囲まれているほうの家庭だったと思います。僕自身、小さい頃は歌が大好きでした。家に三大テノール
*のビデオがあって、家族でよくそれを見ていたのを覚えています。母もピアノ科を出ていて、姉が2人いるんですけれども、それぞれピアノとヴァイオリンを習っていました。小さい頃、姉のヴァイオリンを借りて遊んだりもしていましたね。
*ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスの3人のテノール歌手。
ある時、家でヨーヨー・マの『インスパイアド・バイ・バッハ』というビデオ
*を見ました。その中でヨーヨー・マがスケートのアイスダンスとコラボレーションをしていていました。バッハの《無伴奏チェロ組曲第6番》を弾いていたのですが、それを見たときに「チェロってかっこいいな」と思ったのです。深みのある音色をとても魅力的に感じました。
*ヨーヨー・マがバッハの《無伴奏チェロ組曲》の全6曲を弾きながら、6人の各界のアーティストとコラボレーションしたもの。
――チェロを習われる方のなかには最初にヴァイオリンを習って途中からチェロを始める、というパターンもありますが、上野さんの場合は初めからチェロだったのですか?
そうですね。でも、すぐに始めさせてもらえたわけではなくて。両親からは早々に気が変わるんじゃないかと思われていたみたいです(笑)。実際に楽器を手にしたのはそれから1年後でした。
弾きたくて仕方がなかったバッハ
――それで上野さんは、1年間待ち続けられたわけですね?
はい、クリスマスの頃にようやく初めて自分の楽器を買ってもらいました。近所にたまたまチェロの先生がいらっしゃって、いろんな条件がそろってようやく始めさせてもらえました。
――その頃のことって覚えていらっしゃいますか?
5歳になったばかりでしたが、チェロが弾けることがとにかく嬉しかったです。そして、実はその頃からバッハが弾きたかったんです。それで先生に「バッハが弾きたい!」と伝えたところ、「もう少ししてからね」となだめられてしまいまして…(笑)。しばらくはスズキメソードを使って基礎的なことを学びました。ただその約半年後、父の仕事の関係でバルセロナへ行くことが決まり、そこで新しい先生に就くことになりました。
――バルセロナでのレッスンはいかがでしたか?
バルセロナで就いた先生は「バッハが弾きたいならやればいいじゃない」とおっしゃって、バッハを弾かせてくださったんです! それで、バッハの《無伴奏チェロ組曲》を1番から順番に弾き始めました。
あともう1つ、僕はどうしてもヴィブラートが弾けるようになりたいと思っていました。これもバッハと同じく日本ではまだ早いということで教えてもらえなかったのですが、スペインでは特にそういったこともなく、「こうやるんだよ」という感じで(笑)教えてもらうことができました。
――上野さんが当時からとても主体的にチェロを学んでいらっしゃったのがよくわかります。ご家庭では何かアンサンブルをする機会などはありましたか?
母がアレンジしてくれたクリスマスキャロルやカタロニア民謡を、姉とピアノ・トリオを組んで弾いていました。それからスペインには10歳ごろまで住んでいました。
©Anne Laure-Lechat
人前で演奏することの「楽しさ」
――とても自由な環境でチェロを習うことができたのですね。その後演奏家になることを意識されたのはいつ頃になるのでしょうか?
振り返ってみて、あまりこうはっきりした節目というものがなかったように思います。小学校の卒業文集で将来の夢は“チェリスト”と書いていたみたいで、その頃から一生チェロを弾いていたいという思いがあったのだと思います。
――その思いはどこから来ていると思いますか?
冒頭でお話しした、あのヨーヨー・マのビデオに尽きると思いますね。その後の経験を振り返ってみても、やはり彼の演奏が自分にとっては一番印象的でした。
――演奏活動が増えてきたタイミングはいつぐらいからですか?
小学校高学年の頃に、毎年サントリーホールで行われている「こども定期演奏会」のオーディションに応募したことがあります。1年目はオーケストラのメンバーとして参加し、翌年はコンチェルトのソリストとして呼んでいただきました。その頃から少しずつコンサートの機会が増えていきました。
――ステージに上がる感覚について、当時と今で何か変わったことはありますか? それともずっと同じなのでしょうか?
人前で弾くことは小さい頃から大好きでした。今ももちろん大好きです! ただ、小さい頃の方が無邪気にというのでしょうか、評価される心配をせずに演奏していたところがありますね。今も楽しいんですけれども、きちんと音楽を届けるんだという気持ちを持って取り組んでいます。
さまざまなフェーズで感じる、弾くことの「難しさ」
――少しずつ人前での演奏が増えていくなかで、壁にぶち当たったりした経験はあったのでしょうか?
演奏を続ける中で、人前で演奏することへの怖さが出てくることはありましたね。ただ、だからといって、人前で演奏することが嫌だなと思ったことは一度もありません。
――怖さの正体とは、どんなものなのでしょう?
高校生くらいになると、人から自分の演奏を評価される場面が増え、そこから出てきた感覚のように思います。でも自分の中ではその「怖さ」がありつつも、結局は「楽しい」が勝っている気がします。
――いい意味で緊張感が出てきた感覚なのかもしれませんね。
そうですね。あと、当時は好きなように音楽をやろうとしてもどうしても技術に意識がいってしまう傾向にありました。100%音楽に身を委ねるよりも、技術的な確かさを求めてしまって、結果的に良い演奏ができていなかったように思います。それがある程度、感覚と技術のバランスがとれるようになってきてからは、自分の思う音楽や曲の魅力を表現することに注力できるようになってきました。
――音楽性も技術も兼ね備えた上野さんにとって、演奏するうえでの「難しさ」ってどんなところにあるのでしょうか?
高校生の頃は音程やレガートのことだったりとか、表現するツールとしての技術だったんです。今は「音楽をどのように構成するか」であったり、「この曲がどういう意味で作られているか」を考えたうえでいかに表現するか、という風に考えるようになりました。ただ同時に、それがとても難しい作業だと感じています。
あと、もちろん今でも技術的に難しい曲もあります。例えばジュネーヴ国際音楽コンクールのセミ・ファイナルで演奏したクセナキスの《コトス》という作品です。これは弾くのがほぼ困難な曲なので(笑)。いっぽうで、同じセミ・ファイナルで演奏したシューベルトの《ロンド》(原曲:ヴァイオリンとピアノ)は、ヴィルトゥオーゾの要素がありながらもどのように楽曲の内容を伝えるか、ということを固めるのに苦労しました。
コンクールでの優勝と海外での学び
©Anne Laure-Lechat
――お話にもありました、上野さんのお名前が一躍世界に知れ渡ったのが、やはり昨年のジュネーヴ国際音楽コンクールだと思います。セミ・ファイナルでは1時間のプログラムでしたが、どのように組み立てていかれましたか?
デュッセルドルフで就いている、ピーター・ウィスペルウェイ先生と相談しながら決めました。全て新しく取り組む曲で、先生からはリスクがあるんじゃないか、とも言われたのですが、結果的に自分がやりたい曲を軸に選びました。
――先ほども出てきた「評価を気にする」というマインドについて、こうしたコンクールの場ではそうならざるを得ないと思うのですが、自分のやりたい曲で押し通したのはどんな思いからだったんでしょうか?
今回の要項に「奏者のオリジナリティーを求める」という一文があったのです。そこで、個性を発揮するには自分のやりたいことを素直にやるほうが、かえって評価につながるのかなと考えていました。
――コンクール後と前で何か変わったことはありますか?
普段あまり自信がないほうなので、前よりも多少自信がついた気がしますが、大きくは変わってないように思います。コンクールをあまり意識しすぎなかったのが良かったのかもしれません。というのも、聴衆の方もとても温かくて普段のコンサートのような感じがしました。
――なるほど、いつも自然体でいらっしゃる上野さんらしい答えだと思います。コンクールでもアドバイスをくださったというウィスペルウェイ先生ですが、先生からは普段のレッスンも含めてどのようなものを吸収されていますか?
ウィスペルウェイ先生には6、7年ほど就いています。先生は独特な感性を持っていらっしゃって、それを強固に表現されます。人柄が音楽性と全く同じなんですね。そこが素晴らしいと思っています。世界中で演奏されている彼の背中をみながら音楽を吸収できるのは、とても幸せです。
ウィスペルウェイ先生の他にも、ベルギーではゲイリー・ホフマン先生にも就いています。ホフマン先生はとてもロジカルで、毎回ひとつの講義のようなレッスンを受けています。例えば、先生のレッスンを受けると「どういう理由でそのような表現になるのか」を突き詰めて考えないといけないなと思わされます。曲に対する向き合い方において、とても勉強になっています。
日本で演奏を楽しみにしてくださっている方へ
――上野さんの演奏を聴く機会が増えてきたことは日本のファンにとっても非常に嬉しいことです。コンサートについて教えてください。日本と海外のコンサートの違いはありますか?
やはりヨーロッパの方がクラシック音楽が文化や生活に深く根付いていますね。ただ、演奏会ではどちらのお客様からも温かい雰囲気を感じることが多いです。
音楽が生活に根付いているといえば、僕は今ドイツのケルンに住んでいますが、毎日ライン川の側を通りながら通学しています。「ここへシューマンが飛び降りたんだよなぁ」…とか(笑)、自分が演奏する作品を作った偉大な作曲家たちがが暮らした街に、今こうしていられるということは、僕にとって大切なことです。
他にも国立の広い公園があるんですけれども、19世紀の様子を想像したりしながら散歩をすることもあります。
――これから上野さんのコンサートを聞きにいらっしゃるお客様へのメッセージをお願いできますか?
音楽をより身近に感じていただけるように、作品の魅力を届けられたらと思っています。音楽は文字通り音を楽しむものだと思いますので、会場では音や色、そして雰囲気を楽しんでもらえればなと思います。純粋な気持ちで、身を委ねていただきたいですね。
これからについて
――最後に今後やってみたいこと、あるいはビジョンがあれば教えてください!
チェリストのレパートリーでもある、ベートーヴェンやブラームスの作品、そして彼らの人生を僕の一生をかけて勉強していきたいです。あと、現代曲にも素晴らしい作品がたくさんあるので、その存在を広めていきたいですね。
また、すでに取り組んでいることになるのですが、今、バッハの《無伴奏チェロ組曲》をレコーディングしています。収録している教会がすばらしくて、弾いていてとても気持ちいいのです。そこから色んなインスピレーションを受けられたら、とも思っています。思い入れがある作品だけに怖くもあり、楽しみでもあり、という気持ちですが、今年中にリリースすることを目指しています。
――バッハといえば、上野さんにとって大事な作曲家ですよね。5歳の頃から向き合っていらっしゃるバッハですが、どのようになりそうですか?
この曲に取り組む一番大きな理由はやはり曲が好きだという点です。また、昔はそれだけでしたが今は向き合い方も変わってきました。その後いろんな先生から頂いたアイディアなど、表現の引き出しが増えました。これが完成形ではなく、人生を重ねていくことでこの先演奏も変わるでしょうし、むしろ変わっていってほしいです(笑)。今の時点で僕が思うバッハを形にしたいと考えています!
――ありがとうございました。上野さんのバッハ、そしてこれからのますますのご活躍を楽しみにしています!
(取材・文 北山奏子)
今後の公演情報
PMF2022
関⻄フィルハーモニー管弦楽団
第12回城陽定期演奏会
日時 |
8月21日(日) 14:00開演(13:00開場)
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会場 |
文化パルク城陽
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出演 |
[指揮]藤岡幸夫
[チェロ]上野通明
[管弦楽]関西フィルハーモニー管弦楽団 |
プログラム |
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調
ラフマニノフ:交響曲第2番 ホ短調
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チケット |
全席指定 4,000円
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詳細 |
こちらから |
お問い合わせ |
関西フィルハーモニー管弦楽団事務局
TEL:06-6115-9911 |
上野通明 チェロ・リサイタル ピアノ:北村朋幹
日時・会場 |
■8月25日(木) 15:00開演(14:30開場)
長野・軽井沢大賀ホール
■9月29日(木) 18:45開演(18:00開場)
愛知・三井住友海上しらかわホール
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出演 |
[チェロ]上野通明
[ピアノ]北村朋幹 |
プログラム |
ブリテン:チェロ・ソナタ ハ長調
シューマン:5つの民謡風小品
ドビュッシー:チェロ・ソナタ ニ短調
ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番 イ長調
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チケット |
全席指定
■長野公演:SS席 完売 S席4,500円 A席3,000円 B席(2階立見席)2,000円
■愛知公演:S席5,000円 A席4,000円
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詳細 |
■長野公演はこちらから
■愛知公演はこちらから
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お問い合わせ |
■長野公演 軽井沢大賀ホール TEL:0267-42-0055
■愛知公演 CBCテレビ事業部 TEL:052-241-8118(平日10:00~18:00) |
上野通明チェロ・リサイタル 伊藤恵を迎えて
日時・会場 |
■9月25日(日) 14:00開演(13:00開場)
調布市グリーンホール
■10月8日(土) 14:00開演(13:30開場)
米原市民交流プラザ(ルッチプラザ)
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出演 |
[チェロ]上野通明
[ピアノ]伊藤恵 |
プログラム |
J.S.バッハ:ヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタ第3番 ト短調 BWV1029
メンデルスゾーン:無言歌
ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番 イ長調
ショパン:チェロ・ソナタ ト短調
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チケット |
全席指定
■東京公演 4,000円
■滋賀公演 3,500円 中学生以下1,500円
滋賀公演は7月27日発売開始
|
詳細 |
■東京公演はこちらから
■滋賀公演はこちらから
|
お問い合わせ |
■東京公演 チケットCHOFU TEL:042-481-7222
■滋賀公演 市民交流プラザ TEL:0749-55-4550 |
富士山静岡交響楽団第114回定期演奏会
~ハイドンシリーズ vol.8 by ユーフォニア~
日時 |
10月15日(土) 14:00開演(13:30開場)
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会場 |
しずぎんホールユーフォニア
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出演 |
[指揮]原田幸一郎
[チェロ]上野通明
[管弦楽]富士山静岡交響楽団 |
プログラム |
ハイドン:チェロ協奏曲第2番
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チケット |
全席指定 A席4,500円、B席3,500円、B席学生1,500円
※当日500円増(B席学生は前売と同額)
※未就学児入場不可
※B席学生は25歳以下の大学生まで
7月22日発売開始 |
詳細 |
こちらから
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お問い合わせ |
富士山静岡交響楽団
TEL:054-203-6578(平日9:30~17:30) |
B→C 上野通明
上野通明
2021年ジュネーヴ国際音楽コンクールチェロ部門日本人初の優勝、併せてYoung Audience Prize、Rose Marie Huguenin Prize、Concert de Jussy Prizeと3つの特別賞も受賞。
パラグアイで生まれ、幼少期をスペイン、バルセロナで過ごす。13歳で第6回若い音楽家のためのチャイコフスキー国際音楽コンクールに全部門を通じ日本人初の優勝、第6回ルーマニア国際音楽コンクール最年少第1位、ルーマニア大使館賞、ルーマニアラジオ文化局賞を併せて受賞、第21回ヨハネス・ブラームス国際コンクール優勝、第11回ヴィトルト・ルトスワフスキ国際チェロコンクール第2位と次々と国際舞台で活躍し、これまでにソリストとしてワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団、スイスロマンド管弦楽団、ロシア交響楽団、 読売日本交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団等国内外のオーケストラと多数共演。また、ジャン=ギャン・ケラス、ダニエル・ゼペック、ホセ・ガジャルド、堤剛、諏訪内晶子、伊藤恵等、著名なアーティストと共演し好評を博す。NHKBS「クラシック倶楽部」、NHKFM「リサイタル・ノヴァ」、「ブラボー!オーケストラ」、テレビ朝日「題名のない音楽会」等に出演。
桐朋学園大学ソリストディプロマコース全額免除特待生として毛利伯郎に師事し、2015年秋よりオランダの名チェリスト、ピーター・ウィスペルウェイに招かれ渡独。デュッセルドルフ音楽大学にてコンツェルトエグザメン(ドイツ国家演奏家資格)を満場一致の最高得点で取得、2021年よりベルギーのエリザベート音楽院にも在籍しゲーリー・ホフマンに師事。更なる研鑽を積みながら、主にヨーロッパと日本で活発な演奏活動を行なっている。
公益財団法人日本演奏家連盟宗次エンジェル基金、ロームミュージックファンデーション、第44回江副記念リクルート財団奨学生。岩谷時子音楽文化振興財団より第1回Foundation for Youth賞、第6回岩谷時子賞奨励賞、京都青山音楽賞新人賞受賞。令和3年度、文化庁長官表彰を受彰。使用楽器は1758年製P.A.Testore(宗次コレクション)、弓は匿名のコレクターよりF.Tourteをそれぞれ貸与されている。(オフィシャル・HPより)
上野通明オフィシャル・HP