©Kiyotaka Saito(SCOPE)
日本を代表するバイオリニストとして活躍している千住真理子さん。Eテレ「ららら♪クラシック」では、名曲とのすばらしい出会いをテーマにした「おもいで編~人生を彩った名曲たち~」(2013年8月31日放送)に出演し、ルー大柴さんを支えたバッハの名曲「G線上のアリア」を愛器ストラディヴァリウス「デュランティ」で披露。「G線上のアリア」は、千住さんが長年、力を注いでいる老人ホームやホスピスなどへの訪問ボランティア演奏でもリクエストが多く、また、千住さんにとっても思い出深い楽曲だった。
10代、20代は苦しみの連続だった
「番組に出演したのは、母が亡くなった直後でした。そんな時、母との思い出がとても深く、また、ひじょうに神聖な気持ちになれる『G線上のアリア』を偶然にも番組で演奏することになり、個人的な思いが重なって、これまでの演奏とはまた違う音を奏でられた気がします。よく私は演奏家である自分のことをミルフィーユみたいなものとイメージするんです。クラシックの曲を小さい頃からずっとずっと重ねて演奏してきて、その一層一層に自分のパーソナルな思い出が積み重ねられ、気づくとひじょうに分厚い、その楽曲への思いができている。演奏家はそれを音にするわけですが、あの時の番組での演奏もまた、自分の中でひじょうに大切な一つの層になったと思っています」 バイオリンを習っていた2人の兄に憧れて、千住さんがバイオリンを始めたのはわずか2歳3か月のとき。当時は家族の誰もが、将来、千住さんがプロのバイオリニストになるとは思っていなかったと笑う。 「両親は嫌ならいつでもやめていいという考えでした。むしろ、始めた後に、両親はバイオリンが高価なことを知ったようで、ある時期から、なんとかやめさせようという空気を子供ながらに感じたこともありました(笑)。私としては、なんとかやめさせられないように、いかにバイオリンが好きかということをアピールするつもりで、一生懸命練習して見せていましたね」 その努力によって天賦の才は瞬く間に開花。千住さんは12歳のときにNHK「若い芽のコンサート」でNHK交響楽団と共演し、プロデビュー。15歳で日本音楽コンクール最年少優勝も果たした。だが、「天才少女」と呼ばれ、華々しい活躍をみせる一方で、デビューしてからの10代、20代はプロの演奏家として「苦しみの連続だった」と振り返る。 「バイオリンは大好きでした。けれど、間違えてはいけないとか、ちょっとでも完璧な演奏をしなければいけないとか、聴いてくださる人から何か言われてしまうかもしれないとか、そういう思いがものすごく大きくなってしまって、ステージが怖くて、音楽をそれまでのように“楽しい”に変化することができなくなってしまったんです」芸術は苦しんでいる人のためにこそある
長く苦しんだ末、約2年間、バイオリンを弾くことを辞めてしまった千住さん。そんな彼女を再び演奏家としての道に戻したのは、たまたま頼まれたことから始めたホスピスや老人ホーム、身体障がい者施設、孤児院への訪問ボランティア演奏だった。 「2年間まったく練習をしていませんでしたから、最初の頃は、それはひどい演奏でした。でも、皆さんとても喜んでくださって、涙を流してくださる方もいて。ボランティアの場で、人々の温かさが私の傷を癒してくれるとともに、音楽って苦しいものじゃない、生きているって素晴らしいということを、バッハやベートーベン、ブラームス、チャイコフスキーなどなど素晴らしい音楽たちが気づかせてくれたんです。そこから、だんだん私は何をやっていたんだと思うようになりましてね。例えば練習しながら鳥肌がたってしまうくらいチャイコフスキーの何とも言えない感動的なメロディーを感じたとき、自分はこれを同じように聴いてくださる方々に感じて欲しいんだと思うようになったんです。そして、そのために私がやるべきことは、聴衆が最終的にチャイコフスキーってすごいねって思ってくれることであって、千住真理子は間違えなかったね、うまかったねということではないということに気がついた。その発想の転換、価値観の変換ができたとき、私は変われました」 「プロのバイオリニストとして本来の勘を取り戻すまでに7~8年かかった」と千住さんは言う。しかし、デビュー以降、苦しんできた経験は、今、確実に、プロ・バイオリニスト千住真理子の血や肉となり、人々の心に響く音を生む源となっている。 「同じように芸術を追い求めようとしている兄たちと、芸術は、幸せの中にうららかにいる人のためというよりも、苦しんでいたり、嘆いていたり、絶望のどん底にいる人のためにあるのではないかということをよく話すんです。でも、苦しむとはどういうことなのか、どのくらいの痛みがあるものなのかということは、自分が感じた経験がなければわかりません。その意味では、私自身があそこまで苦しんだのは、今となっては必要なことだったのではないかと思えます。だからといって、バイオリンを今、勉強している人たちに、テクニックは二の次と思ってもらわれては困るんですが、演奏家として、乗り越えるべきものを乗り越えた先に、そういうことがあるということを若い人にはわかってほしいと思います」 恩師・江藤俊哉氏の教えから、健康管理にもひじょうにこだわりを持っている千住さん。毎朝、必ず生卵を3個丸飲みし、肉を食べ、演奏直前には集中力をアップさせるためにハチミツを飲んでいるのだとか。 「江藤先生には、小さい頃から、プロは40℃の熱があっても、コンサートをキャンセルしてはいけない。そして一歩ステージに踏み出したら、具合が悪いということを決してわからせないような演奏をしなければいけないと言われてきましたから。長いステージをこなすためには、身体づくりはひじょうに重要なので、水泳も週に3~4回は通っています」
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