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テノール歌手・西村悟が語る "オペラ" と "歌曲"の話

 オペラ歌手として華々しい活躍を見せてきたテノールの西村悟(さとし)。そんな西村がこの度、ドイツ語の歌曲(リート)のコンサートを開催する。これまでオペラをやってきた西村がなぜ今、「歌曲」に取り組むのだろう。その理由は、彼のキャリアを「オペラ」と「歌曲」の両方を絡めて紐解くことで、よりはっきり見えてきた。華麗な受賞歴にあぐらをかくことなく、地道にコツコツ積み上げることの大切さを知っている、そんな西村の語るまっすぐで熱い話が、実に面白い。

イタリアオペラの歌い手がドイツオペラを歌う

――西村さんといえば「オペラ」、とりわけイタリアものに精通されていらっしゃるというイメージがあるのですが、今回ドイツ歌曲に取り組もうと思われた経緯について、教えていただけますか? (オーケストラの演奏と共に、舞台上で歌手が役柄を演じる「オペラ」に対して、「歌曲」の多くはピアノと歌手のみで演奏される。)
《椿姫》(2015年)
僕と「歌曲」との出会いって、意外と最近の出来事なんです。僕は長らく「オペラ」を歌ってきて、イタリアへ留学もしました。「オペラ」を歌う上で必要な声量というものにコンプレックスを抱えていて、それを克服し、声を鍛えるためにイタリアを選んだのです。そしてオペラ歌手としてデビューしてイタリアオペラを歌ってきた訳ですが、その歩みの中にまだ「歌曲」は出てこないんですね。 学生時代もイタリア歌曲を歌うことはありましたが、これも同じく声を鍛えることが目的でした。一方、ドイツ語作品は「第九」くらいしか歌っていませんでした。ドイツ語に関しては、自分の声に合っていないと思い込んでいました。 そして、2016年にびわ湖ホールの芸術監督である、沼尻竜典さんからワーグナーの《ラインの黄金》でローゲ役のオファーを頂いたことがありました。よくイタリアオペラしか歌ってこなかった自分にオファーが来たな、と思いましたけどね(笑)。 ――・・・確かに(笑)。ドイツオペラの中のオペラ、ワーグナー作品ですが、どうでしたか? もちろん、出演するかどうか悩みに悩みました。しかもいきなりワーグナーでしょう・・・。でも結局、「合っている」と言われ、決意しました。そこから1年間、徹底的にローゲ役の練習をして、最終的に演出家のミヒャエル・ハンペさんから大絶賛されたのです。「君のドイツ語は完璧だ」と。そして「 Loge Wunderbar(ローゲ・ヴンダバー/素晴らしいローゲ役)」だと言われました。
びわ湖ラインの黄金出演者と / 《ラインの黄金》(2017年)びわ湖ホール
ちなみに、「発声」って言いますが、実はしっかりと「発音」することなのです。そういう風に自分の理解が変わった瞬間でもありました。言葉のアクセントや音色をしっかり「発音」をすることが「発声」なのです。つまり、「発音」ができていなかったがためにドイツ語作品を避けていたのですが、「ドイツ語、歌っていいんだ」って思いましたね。 このローゲ役を引き受けたことを機に考え方が変わり、積極的にドイツオペラのオーディションを受けに行くようになりました。そしてモーツァルトの《魔笛》や、オラトリオ*を歌うことができました。これまではイタリアもののプッチーニの《ラ・ボエーム 》のロドルフォや、ヴェルディの《仮面舞踏会》のリッカルドをやるべきだと思っていたのですが、使える言語が1つ増えた訳ですから、できる役も広がりましたね。 (*聖書や宗教的な題材を元にした合唱曲。独唱、合唱、オーケストラで演奏される。)

「オペラ」を歌ってきたからこそ分かる、「歌曲」の難しさ、そして奥深さ

――ローゲ役を経験されたことが、ドイツ語の作品と向き合う1つのターニングポイントになっていたのですね。 はい、それをまずは「オペラ」でやりました。でもまだまだ、「歌曲」は出てこないんですよ(笑)。実は、「歌曲」はオペラほど難しいものとは思っていませんでした。けれども、もう1つそんな僕の意識を変えてくれた出来事があるんです。一昨年、クラウス・フロリアン・フォークト*の「歌曲」のコンサートを聴いたときです。 その時、フォークトはコンサートの最初から最後まで非常に美しい声で歌い通し、その歌声に圧倒されました。その後ワーグナーの《ローエングリン》を控えていたにも関わらず、ですよ。 (*当代最高のワーグナー歌手の一人。主要なオペラハウス、音楽祭からのオファーが後を絶たない。)
《仮面舞踏会》(2015年) 藤原歌劇団
――ワーグナー歌いの最高峰と言われるフォークトの、「オペラ」とは真逆の歌声に驚かれたと。 はい、こういう声もありなんだ、と思いました。「歌曲」ってもともとは小さなサロンで音楽を楽しむことを目的としているので、2000人のホールで歌う必要はないんですね。だからこそ、テクニックがものすごく必要で、声を操っているという感覚を身につけないと形にはなりません。例えば、同じフォルテでも、ただ大きく歌い続けるものだけではなく、小さいところから声を大きくしていくフォルテもあったり。それは、自分の声帯と声をコントロールして初めてできることなのです。 ――それは「オペラ」ではあまり使わない? 当時の僕の認識では、「オペラ」はオーケストラもいるからその中で声がきちんとお客様に聞こえないといけない。発声が違うということではないのですが、そもそも、「オペラ」と「歌曲」では競技が違うと思っていました。「オペラ」って、多少言葉を犠牲にしてでもきちんと高い音を出すことが大事というところもありますが、それに対して「歌曲」は真逆で、きちんと言葉を発することが大切だと思います。 ――他に、「オペラ」と「歌曲」の違いはありますか? 「オペラ」って、オーケストラ、衣装、照明、舞台装置など、歌手を助けてくれるものがたくさんあります。例えば、プッチーニのオペラ《トスカ》でカヴァラドッシが処刑台に向かうシーン(♪〜「星は光りぬ」の冒頭を歌ってくださる西村さん)。仮に明るい声で歌ったとしても、お客様には悲しいように聴こえるのです。一方、「歌曲」は助けてくれるものはピアノしかないし、言葉の使い方だけで表現しなければいけない。 ――こうして「オペラ」と「歌曲」の対比することでより2つの違いが際立ち、興味深いです。そしてワーグナー歌いのフォークトの「歌曲」を聴かれてから、そこで「歌曲」が登場するのですね。 そうなんです。ドイツオペラに取り組むようになってからフォークトを聴いたときに、「歌曲」ってすごいなと衝撃を受けて、「僕もああいうものを歌いたい、挑戦したい」と思いました。でもね、実際やってみるとびっくりするくらいまあ歌えなかった(笑)。どれだけ自分の声をコントロールできていなかったのかを思い知りました。 またコロナ禍では、自分を見つめ直し、自分の声をコントロールできる歌手になりたいと、新たに思いました。

バスケ選手、音楽教師を夢見るも…イタリア留学を経て歌手に

――ようやく「オペラ」から「歌曲」への繋がりが見えてきたところで、ここで少し西村さんのこれまでのキャリアのことについて、聴かせてください。高校時代までバスケット選手を夢見る少年でいらっしゃったそうで、インターハイ予選落ちがきっかけで、中学の音楽の先生を目指されたとか。 はい、先生をしながらバスケ部の顧問をすることが夢で、ただただそれだけでした。 ――西村さんにとってバスケットと音楽は、全く別物ですか?それともどこか繋がりはあるのでしょうか? それはもうね、繋がってると思います。僕は、「音楽はスポーツ」だと思っていますから(笑)。バスケのシュートもドリブルもタイミングが大事なように、高い声を出すのも全てタイミングが大事です。また走り幅跳びで助走をつけてジャンプするのと似ています。とりわけ音楽の中でもスポーツと音楽は距離が近いのかも知れないですね。見た目は180度違うかも知れないけど、体を使って何かをやる、という意味においては、僕は全く違うとは思わないですね。 また、バスケをやっていたから、音楽の常識を知らなかった。これはこういうものだ、という先入観がなかったからこそ、何にもとらわれないものの見方ができたのかも知れません。そうやってこれまで飛び出してきたトゲトゲしたものを整えているのが、今の人生だと思っています(笑)。今となっては、固定観念を持たなかったことでかえって、独自の音楽表現ができていたと思います。 ――歌手になろう、と意識されたのはいつぐらいからでしょうか? 大学時代は歌手になるとは思っていませんでした。「藝大の大学院を受けてみたら?」と言われたくらいの頃から。イタリアに留学してから、もうこれはやるしかない、と思いました。 ――藝大大学院の在学中に第36回イタリア声楽コンコルソ・ ミラノ部門にて大賞(1位)を受賞され、ボローニャ国立音楽院へも留学されています。その後も日本音楽コンクール1位の受賞など、目に見えて大躍進をなされました。イタリア留学は、西村さんにとってどのようなものでしたか? 一言で言うと、声の引き出しがいっぱいになった経験でした。映画「千と千尋の神隠し」に出てくる釜爺(かまじい)って分かります?釜爺がものすごい数の引き出しから最適な薬草を取り出すイメージに近いです。例えば、今日は体がこういう感じだから、だったらここから声を出そう、そういう感じです。イタリアで先生が、顔のパーツを見せながら今自分がどこで声を出しているか教えてくれた経験のおかげで、今では自分の不調の原因が分かります。
イタリア留学時代。リッカルド・ザンドナーイ国際声楽コンクールにて
――イタリアでも充実した経験を積まれたのですね。スターへの階段を一気に駆け上がってこられた訳ですが、挫折の経験なんかはなかったのでしょうか? 当然ありますよ、それは。声が出なくなることもあったくらいです。当時は自分が歌えないことが面白くなかったんだと思います。ただ単に実力がなかっただけなのですが、それが受け入れられなかった時期があって。テクニックがないのに自信しかなかった。でもこれ、両方ないとダメなんですね。そのバランスが崩れた経験だったと思います。 でも、そのおかげで、もう一度自分と向き合うことができました。向き合って初めて自分の足りないことがいろいろ見えてきたので、もう一度着実に積み上げるようになりました。そうしたら、前回よりも強力なものが出来上がりました!前回は地盤が脆かったのですが、今回はしっかりしていますから、これからどんどん積み重ねていける。ちょうど神様からも「お前、歌をなめんなよ」と言われた気がしました。この挫折がなかったら、「歌曲」のコンサートなんてやっていなかったかも(笑)。

初めての「歌曲」リサイタルへ向けて

――これまでの西村さんの演奏家人生を伺ったことで、今、「歌曲」のコンサートをされることがごく自然に思えてきます。ご自身にとって初となる「歌曲」のリサイタル、心境はいかがですか? 自分らしい歌を聴いていただきたいなと思っています。もちろん歌曲をずっと歌ってこられた歌手の方もいらっしゃって、恐らくベートーヴェンのスタイルや、シューマンのスタイルがあると思いますが、あえて僕は誰かの真似をするのではなく、言葉や楽譜に沿った自分の捉え方を大事にし、自分の音楽を表現したいです。オペラ歌手が歌う「歌曲」として、あまりこじんまりとせず、大胆に表現したいなと思っています。 ――ずばり、今回のコンサートの聴きどころを教えてください。 歌手のいろいろなテクニックが楽しめるところでしょうか。距離も近いですから、こんなこともやってる、あんな風にして声を出してる、というのが分かりやすいと思います。そしてそこが僕もやりながら追求している部分でもあります。 ――プログラムはベートーヴェンとシューマンということで、こちらはどんな風にして選ばれたのでしょうか。 ベートーヴェンのほうは、実は昨年の生誕250周年に合わせて準備していたものなんです。でも、新型コロナウイルスの影響で機会がなく、ずっと温めてきました。シューマン の《詩人の恋》は今年の2月に仲道郁代さんと共演した際、手応えを感じ、これはこの2つを組み合わせるしかない、と思いました。また、シューマン は今回演奏するベートーヴェンの《遥かなる恋人に寄す》をすごく聴いていたそうです。 ――今回は全て愛の調べを歌われますが、取り組んでみて、苦労された点はありますか? やはり言葉の使い方ですね。例えば「僕は君を愛す」というフレーズがあったとして、音楽ではどこを強調すべきか。「”僕は”君を愛す」なのか、「僕は”君を”愛す」なのか「僕は君を”愛す”」なのかを考えるのです。もちろん、楽譜に書いてあることを守った上で、大事にする言葉を決めていきます。 ――「歌曲」では助けてくれるものが少ないからこそ言葉の使い方が重要なのだ、という先ほどのお話にも繋がりますね。また、季節柄「春」ということもあり、愛の歌はぴったりな気がします。 そうですね。また、今のコロナ禍にあって、どこも縮小傾向にありますから、こうしたピアニストと歌手だけによる物語の世界も合っているかも知れません。 ――なるほど。とことん言葉を大事にされていらっしゃること、そしてピアニスト井出德彦さんと一緒に舞台を作り上げることにかける熱意が、チラシに掲載された西村さんのメッセージからも読み取ることができます。 " 世界には様々な違いがある、ただ⼀つ共通するもの、それは「⾔葉」を使うということ。 その「⾔葉」で表現する究極の芸術、それが歌曲だ。 ピアノに井出德彦さんを迎え、たった2⼈で作る世界。 唯⼀⼈間に与えられた「⾔葉」を使って最⾼の⾳楽をお届けしたい。 " (公演チラシより一部抜粋) ――実際に、井出さんとのコンビネーションはいかがでしょうか? 彼はウィーンで6年間ドイツ歌曲の伴奏法を学んだスペシャリストです。先日も一緒に練習したんですが、もう2人のアイディアが溢れ出てしまって。それも「歌曲」の醍醐味ですね。
練習風景より
井出さんはまた言葉も詳しいし、「歌曲」の専門であるのですが、僕が「こうしたいんだけど」というと、井出さんは「それもありですね」と演奏に取り入れてくれたり。専門に勉強していらっしゃった方だから、僕も嬉しくなっちゃって(笑)。ここでも先入観なしでやっています。 ――まさに、2人で作る世界ですね、井出さんからの提案もありますか? はい、彼の場合は音楽でそれをしますね。弾けば分かります。僕からしてみれば「ほう、そうきたか」という感じだったり。ただね、性格は真逆なんです。僕はチャラけるとか笑わせることが好きなのですが、彼は寡黙な感じです。違う人間同士が音楽をやるからこそ面白いのだと思います。

歌手・西村悟の現在地点とこれから

――今の西村さんにとって「歌」とはどんなものでしょうか? 僕、今年で40歳になるんです。決定的に今までと違うのは、もう馬力だけでは歌えない、ということです。これまでは多少テクニックが追いついていなくても勢いだけでやってきたところがありますが、体力の衰えと共にだんだんそうもいかなくなる。今はちょうどその境目にいるような気がします。60歳、70歳まで歌い続けるためにテクニックを磨くことは大切だなという思いが強くなってきています。そう言う意味でも、「歌曲」って必要だったのかも知れないですね。
《ランメルモールのルチア》(2017)藤原歌劇団
――「歌曲」と「オペラ」はこれからも両方やっていきたいですか? もちろん!実はね、これが相乗効果があるんですよ。「歌曲」で培ったテクニックが実は「オペラ」でも使えるのです。幅広いテクニックを駆使しより繊細に表現できることが「歌曲」だと思います。 ――西村さんにとって理想のコンサートはありますか? いつも考えていることなのですが、とにかく分かりやすく、というのでしょうか、どういうことを歌っているかをお客様に伝えることを重視しています。説明によってではなく、歌や雰囲気で分かる、ということをこれまでもやってきたし、これからもやっていきたいです。僕の歌を聞いて、「なんかもう一度聴きたいな」と思ってもらえたら嬉しいです。 ――最後に、西村さんのモットーを教えてください! 「物事に真摯に向き合う」ということでしょうか。「練習は裏切らない」という言葉もありますが、失敗したときは、自分に何か甘えがあったからだと思います。苦しいけど、真摯に向き合ったものは、なんだかんだ上手くいってると思います。 ――歌手って、華やかな世界に見えますけれども・・・ いやもう、ものすごい地味です。自宅の音楽室にどれだけ篭ることか(笑)。僕、ほとんど家から出ないことだってありますよ。楽譜見たり、言葉調べたり、練習したり。その繰り返しです。 ――ステージ上での姿はこれまでの積み重ねの上に成り立っているものなのですよね、実は。 そう、その積み重ねがあるからこそ、自信やオーラとなってお客様に映るのだと思います。「オーラあるでしょ?」っていう振る舞いをするのではなく、どれだけ音楽と向き合ったかが大事だと思います。 ――だからこそ、これまでローゲ役をはじめ、きちんと結果を残してこられたのだと思います。 小手先ではどうしようもできないですから。真摯に向き合ったんでしょうね、きっと。こうやってコツコツ積み上げることが、こう見えて好きなんですよね(笑)。 (取材・文 北山奏子)

今後の公演について

<プラチナ・コンサート・シリーズ Vol.6> ~ 春の宵に恋の詩 (うた) ~ 「遥かなる恋人に寄す」「詩人の恋」 西村悟 テノール・リサイタル

日時 2021年3月31日(水) 19:00開演 (18:15開場)
会場 Hakuju Hall
出演 [テノール]西村 悟 [ピアノ]井出 德彦
曲目 【第1部】 ベートーヴェン: アデライーデ Op. 46 アリエッテ《くちづけ》 Op. 128 あきらめ WoO 149 想い WoO 136 優しい愛(君を愛す) WoO. 123 連作歌曲集《遥かなる恋⼈に寄す》 Op. 98 【第2部】 R.シューマン: 連作歌曲集《詩⼈の恋》 Op. 48
詳細 こちら
お問い合わせ ジャパン・アーツぴあコールセンター 0570-00-1212 (営業時間 11:00-16:00)

西村 悟(テノール)
日本大学藝術学部、東京藝術大学大学院修了。リッカルド・ザンドナーイ国際声楽コンクール第2位、日本音楽コンクール第1位。山田和樹&スイス・ロマンド管とメンデルスゾーン「讃歌」、佐渡裕&ケルン放響「第九」、小林研⼀郎&名古屋フィルとヴェルディ「レクイエム」、高関健&東京シティ・フィル「ファウストの劫罰」、山田和樹マーラーシリーズの第8番等で共演。2016年には大野和士指揮バルセロナ響にて欧州デビュー。2020年鈴木優人指揮バッハ・コレギウム・ジャパンとJ.S.バッハ「ミサ曲ロ短調」を共演。オペラでは「ラ・トラヴィアータ」「蝶々夫人」「仮面舞踏会」「ルチア」「ラインの黄金」「魔笛」等に出演。五島記念文化賞オペラ新人賞受賞。出光音楽賞受賞。藤原歌劇団団員。                             「ジャパン・アーツ公式HPより」

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