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ヴァイオリニスト成田達輝 彼はいかにして作品の真髄に近づくのか?

 クラシック音楽を聴くようになったばかりの頃からずっと、ひとつの疑問が解決することなく頭のなかに留まり続けている。  同じ曲であっても「スッと頭のなかに入ってくる演奏」と「集中して聴くのも一苦労な演奏」とでは何が違うのだろうか? 20年近く考えてみたが、少なくとも単なる上手い下手の差ではないし、楽譜に忠実だからとか、演奏者の個性が発揮できているからとか、そういう問題だけでもなさそうである。  だからこそ一度、彼にじっくりと話を聴いてみかった。成田達輝のヴァイオリンはいつだって、どんな作品であろうと音楽そのものがスッと頭のなかに入り、「ああ、そういうことなのか!」と腑に落ちる経験をさせてくれるからだ。20代後半という若さで、これほどまでに説得力を持てるようになれた理由を今まさに、本人から伺ってみたかった。
©Marco Borggreve

考え方を吸収しながら

――成田さんは本番にむかって、練習をする時、どのように作品と向き合っていらっしゃるのでしょうか? ご質問に答えさせていただくために、まず頭に思い起こされるシーンがひとつありまして……。韓国の平昌(ピョンチャン)で行われた音楽祭で、チャイコスキー作曲の弦楽六重奏曲《フィレンツェの思い出》を演奏しまして、その時のメンバーがファースト・ヴァイオリンは韓国人、セカンド・ヴァイオリンは僕(日本人)、ヴィオラふたりがロシア人で、チェロふたりがドイツ人とオランダ人という5つの国籍、異なるバックグラウンドを持っていたんですね。  その時のリハーサルで解釈の違いが、ヴィオリストとチェリストの間に起こったんです。第3楽章に間奏曲みたいな曲があるんですけれど、全体を弾く時にロシア人のヴィオリストの方が「これは平原を……」とか「これは戦争だ!」とか、言葉ひとつで何か大きなイメージを表すような直観的な言葉をチェロの方にかけたんですよ。そうしたらチェロの方が「それは何故だ!?」って言い出したんです。   国別にというか、もちろん個人個人による違いもあると思うんですけど、これは目の前にあるものを直観的に捉えるのか、論理的に捉えるのかとか、そういう違いがあるなと思ったんです。 ――単なる意見の違いではなく、認知の仕方が既に違っていると。   そういう経験もあって、一昨年あたりからいわゆる国民性の違いっていうものを研究していたんです。もちろん、チャイコフスキー(ロシア)とかブラームス(ドイツ)が生きていた当時は、今のようにグローバルな世の中ではなかったわけですから、国民性ってものがもっと色濃かったのではないかっていう前提があるからですけど。   それで読んでみたのが、精神科医のユング(1875~1961)が書いた『タイプ論』(1921)という本なんです。医学書だから結構難解で、僕は本当にかじった程度なんですけど。「直観(※背後にあるものを無意識的に察知すること)/感覚(※対象そのものを知覚すること)」「思考(※論理性や合理性をもとに考察すること)/感情(※個人の気持ちをもとに判断すること)」の4タイプあって、ユングは患者を分析する時に枝分かれしていくんだと書いています。そのやり方が、作曲家の言わんとすることにたどり着くプロセスとして、とても有効かなと思いまして。今のところこの方法がすごくしっくりきているというか。
梅田俊明マエストロ、札幌交響楽団とのリハーサル(2019)
もちろん、これまでも色んな方法を試したり、影響を受けたりして、全部演奏に絡めているんですけど……。もしかしたら僕の場合は、そんなに“直観”が鋭くないからかもしれないですけど、言わんとすることに気づくまでは、やっぱり何回も演奏してみたりとか、音楽以外で当時書かれた文学とか美術とか色んなものを、本当に多面的に見ていかないと分からないことがあるんです。 ――メタ認知(※自分がどのように認知しているか、を認知すること)の領域まで考えていらっしゃるのですね……。もうちょっと具体的な例をお聞かせいただけませんか? 去年か一昨年くらいにベートーヴェン(1770~1827)のコンチェルト(ヴァイオリン協奏曲(1806))を弾いたんですけど、そのためにゲーテ(1749~1832)から28歳で亡くなったノヴァーリス(1772~1801)まで、勉強というか色々読んだんですね。岩波書店から出ている日本語訳でノヴァーリスの『青い花』(1800~01/未完)を読んだんですけど、この小説の文章の構築の仕方は、ひとつの枠をどんどん突き詰めていくっていうか、どんどんフォーカスが合っていくんです。 これをベートーヴェンのコンチェルトの演奏の際に、自分なりに生かしてみたんですよ。でも、どうやって生かしたかって言われると、うーん……よく分からないんですよ(笑)。影響のされ方は、本当にその人次第だと思うんです。 ――まさにメタ認知の領域ですから、ノヴァーリスとベートーヴェンがどう関係しているのかを言語化することが難しいとしても、成田さんの脳のなかではシナプスが繋がったんでしょうね。先程のユングの例でいえば“直観”に、あてはまるような気がします。
オフィシャルTwitterより@narita_tatsuki
他の例でいくと、いまはブラームス(1833~1897)のコンチェルト(1878)を練習してますけど、哲学者ライプニッツ(1646~1716)が書いた『モナドロジー』(1714)を読み返すと、なんて自分は怠惰な生活をしてたんだって気付かされるくらいに、やっぱりこの本の内容の持つ説得力ってのは、すごく論理的で的を得ているんです。 そもそもは指揮者のチェリビダッケのインタビューを読んだ時にこの本のことを知ったんですけど、要は「その瞬間はひとつのことしか考えられない」んだと。「次の思考にいくには、それを完全に満たしてからしか次に行くことしかできない」っていうんですね。それが自分の中では、ブラームスの音楽の作り方にすごく似ているんです。   いつも練習していると、その前のフレーズが完全でないと、やっぱりその後もうまくいかないっていう感覚があるんですよ。1小節目から、有機的に2小節目が生まれて、そして3小節目が生まれていくっていう感じ。種がどんどんどんどん成長して、時間とともに広がっていく。 ――成田さんとっては、練習を重ねるなかでブラームス作品に抱くようになった漠然とした“感覚”を、“思考”的に捉えるヒントになったのがライプニッツだった……という感じでしょうか。ブラームス作品を有機的なものとして捉えるのは、シェーンベルクが「発展的変奏」という言葉で説明している考え方にも近いんじゃないかとも思いました。   色んな人から、色んな話を聞いたりとか、本を教えてもらったりして、「そういえば、これってあれと通じてるな」っていう風に、自分の中でどんどんシナプスが繋がって、向き合い方が徐々にまとまってくるっていうんですかね……。もちろん、完全にまとまることはないし、それは期待してないんです。完璧になろうとして、どんどん煮詰まっていけばいくほど、自分が凝り固まってないか心配になってしまうので。

疑いながら、でも自分には素直で居ながら

――ここまでは成田さんが作品と向き合う際に、第三者の視点というか、別の分野から考え方を援用して理解の手助けにする……という例をお話しくださったわけですけど、楽譜そのものと向き合う時にはどんなことを心がけていらっしゃるのでしょうか?
パリ同時多発テロの翌々日にフィルハーモニーホールで行われた演奏会(2015)
いつも、“反証〔反証テスト〕”をするようにしています。もし、ここにフォルテ(強)じゃなくてピアノ(弱)が書いてあったらどうなのか? ディミヌエンド(だんだん弱く)じゃなくて、クレッシェンド(だんだん強く)だったらどうなのか? これが高い音じゃなくて低い音だったらどうか?……っていう風に、全てにおいて書かれている指示とは異なる場合を想定して弾くことで、そのものの価値がより伝わってくるようになるので。それをベートーヴェンの音楽でも、一柳慧さんの音楽でも実践していますし、演奏に生かしていけたらと思うんですよね。

 

――どんなきっかけで、そのように考えるようになったのですか?   何がもとだったのか、明確には分からなかったりするものだと思うんですけど、おそらく5~6年ぐらい前にヴァイオリニストのイヴリー・ギトリスのインタビューを――しかも日本語に訳されて、一部を切り取ったものをどこかで読んだ感じなんですが、「大きい音を弾くときは、小さい音のことを想像するんだ」って書いてあって、「へー、そんなこと考えたことないな」と思って。それを自分なりに学び取ろうとしたんですね。   作曲家が書いた音符が、そうでなかった場合に、どんな意味が消えてしまうのかっていうことを考えて、ありのままの作曲家が書いた状態がいかに優れているかってことを検証する……っていう行為を覚えたっていうだけです(笑)。音楽を演奏するためだけのものじゃなくて、いろんなことに役立てられる考え方だと思うんですけど。 ――それが成田さんの演奏に説得力をもたらす根源になっているのかもしれませんね。   でも若い頃はそんなことは思いもしなくて。2012年にエリザベート王妃国際音楽コンクールで2位を受賞した時、僕は20歳だったんですけど、当時を振り返ってみたら何も考えていなかったですし、それこそ直観的に捉えることしか出来なかったと思うんですよね。 それに対して今は、20歳の頃よりも体がちょっと痛くなって、ヨガをやんなきゃいけなくなったりとか。そういうのも含めて、色んな面から考察しないと凝り固まってしまうっていう状況になったので。20歳の時なんて、朝起きてすぐにパガニーニとか弾きましたけど、今そんなことやったらもう3日ぐらい弾けなくなるかもしれない(笑)。
地元札幌で在籍していたHBCジュニアオーケストラのリハーサルより
  ――(笑)。では、幼い頃からコンクールで優勝されるようになるまでだと、どんな意識でヴァイオリンを弾かれていたのでしょうか? 小さい頃から書道とか水泳とか習い事を色々やって、その中のひとつにヴァイオリンがあったんですけど、ヴァイオリンだけは辞めなかったので、親はびっくりしてて。「なんか好きみたいだし、続けたいって言ってるから続けさせてみよう!」みたいな感じだったんです。   僕は小学生の頃からなんとなく理屈のない自信みたいのがあって、きっと自分は何者かになれるだろうみたいな、そういう変な自信があったんですよ。誰にもそれを言葉では伝えなかったですけど。   それで中学生になって、全日本学生コンクールに出場して、たまたまその年から東京大会の3位までを全員、全国大会に上げるっていう風に変わって。そのお陰で全国大会に出られて、全国では1等賞をもらえて……。そしたら、そこで初めて親が「趣味でやるつもりじゃなかったんだね」っていう感じになって。親は音楽家じゃなくて、普通のサラリーマンの家庭だったから、それから本格的に応援してくれることになったんです。 ――ご本人の意識としては大きく変わらずとも、そこからご両親の考え方が変わったのでしょうね。   実家に帰った時に父親と日本酒を酌み交わしていたら、父は野球部で甲子園を目指してたんですけど、ドラフトで選抜される人たちを見てると「あんな豪速球を投げられる体格や体力があるから羨ましかった。好きな野球が職業でないのが残念だ」と思ったっていうんですよ。そして「自分が好きなことを仕事にして生きていけるというのは素晴らしいことなんだよ」って、これは何十回も言われましたね。あとはどれだけ健康を保って、身体を壊さずに続けられるかっていうのが課題かな。 僕が桐朋学園時代に習った藤原浜雄先生は、読売日本交響楽団のコンサートマスター(2012年に退団)としても素晴らしかったですし、私が言うことではないんですけれど、ソロリサイタルで毎年上達されていて、本当にたゆまぬ努力をされてるんだなって、ものすごく感銘を受けています。僕が中学生か高校生ぐらいだった時に、先生が「俺は80、90で死ぬまで弾くんだ」っておっしゃってたのが、本当に素晴らしいなと思って。僕も常々そうありたいなと思ってます。 ――凝り固まらないことを大事にされているというお話にも繋がってきますね。成田さんのお話をうかがっていると、飾らない誠実さも伝わってきます。   嘘つけないんですよね、昔から。嘘をつこうとしても下手だねって言われて。それが良いのか悪いのか分かりませんけど……。でも、ヴァイオリニストのレオニダス・カヴァコスさんとお食事をさせていただいた際に「達輝、君の繊細さは大切にした方がいい」と、何故かっていうと「人は繊細であればあるほど、より大胆になっていくんだ」とおっしゃってくれたんですね。繊細さと大胆さは表裏一体だと。自分はこのままでいいんだって思って、すごくホッとしたのを覚えています。

固定観念に縛られず、良いものは良いと言いたい

――ここまで挙げてくださった文学や哲学だけじゃなく、美術的な側面からウェーベルンの音楽を「共感覚で観る」動画を自作してみたりとか、はたまたレトロゲームに熱中しているとインタビューで答えていらっしゃったり……と、成田さんはとにかく興味の範囲が広いですよね。   成田さん自作のウェーベルンの弦楽四重奏を再構築する動画。「Webern’s music × Synesthesia 共感覚で観るウェーベルンの音楽」   昔は「趣味は?」って聞かれても「寝ることかな?」ぐらいな感じだったんですよ。でも僕は不器用だし、自分の頭の中も、出てくるのもゴチャゴチャしているから、何か趣味くらいあった方がいいんじゃないか。何かやった方が楽しいよな、と思って色々やってみることにしたんです。とはいえ「今の趣味は何?」って聞かれても、本当に三日坊主なんで……。もう何でも手当たり次第にやってみて、色んなものから全部良い影響を受けている気がします。   テレビゲームだと最近、『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』を最後までクリアしたところなんです。2017年のゲームだから3年遅れでやってるわけですけど、本当に面白くって。『ゼルダの伝説』って1986年に始まったシリーズなんですけど、スーパーファミコン、NINTENDO64、Wiiとかを通って、今はNintendo Switchとハードウェアが移り変わってきて、何がすごいって『ブレス オブ ザ ワイルド』以前は、ダンジョンを抜け出そうとするとゲームって、どうしても壁に向かって走ってるようになってしまっていたじゃないですか。それが全くなくなって、オープンワールドになって、実際の人の生活に近づいているんですよね。しかもゲーム中の音楽もそうなってきているんです。 ――ゲーム中の操作に合わせて、音楽もインタラクティブに変化するというのを解説した記事は、私も読んだことがあります(参照:ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドのサントラを買う人が知らないゼルダBGMの裏側)。    生活に音楽がつけられるというのは、歴史的にみるとエリック・サティ(1866~1925)の《家具の音楽》(1920)とかあったわけじゃないですか。その延長線上に、テレビゲームでこういう音楽が生まれたということに感動してしまいました。すごいゲームだなって! ――サティとゼルダが繋がるとは!(笑)。この柔軟な発想が成田さんの魅力に直結しているなあと思いつつ、ちょっと意地悪なことを言えば、こういう余計な物事に触れるのは良くなくて、芸術そのものだけに邁進すべしという意見も、まだまだ根強いような気もします。   そういう人は結構多いと思いますよ。「音楽はこうあらねばならぬ!」と思うのは、確かにそうかもしれないんだけど、多分それを“反証”するのが怖いんじゃないでしょうか。 ――エンタメも含めて色んなことに興味を持つことが本当に良くないことなのか、ちゃんと検証もせずに言っているに過ぎないということですね。   人生は一度きり……かどうかは分かりませんけど、やっぱり興味をもって色んなことやった方が楽しいし。音楽に向かうときも新鮮な気持ちで練習も楽しくなるし、良いこと尽くめなんじゃないかなと思います(笑)。音楽もいろんなジャンルあるし、ポップスの良い曲もいっぱいあるし、ジャズは毎日聴くし。僕はどんなジャンルの音楽を聴いても、いま目の前でやっているものが本当に素晴らしいと思うんです。みんな一緒かもしれないですけど。   でも怖いなと思うこともあって、例えばTikTokではひとつの動画がYouTubeよりも更に短くなって、凝縮されてるじゃないですか。それを見た後にブラームスを弾こうとすると、ミクロの宇宙とマクロの宇宙の差というか、ものすごく違いがあるんですよ。細分化されていたものに集中していた自分が、今度は限りなく広い世界を見ようとするときに、一瞬つらく感じるときがありますね。世界をうまく使い分けなきゃいけないなっていう感じはしています。
©Marco Borggreve
――興味の広さは、コンサートで取り上げる曲目の幅広さにも繋がっていますよね。特に最近でしょうか? クラシカルな音楽と現代音楽を組み合わせるプログラムが多いような印象があります。あるいはパガニーニのような内容を軽視されがちな作品も、同等に扱われていたり。 そうみたいですね。ただただ、この流れでこれをやったら絶対面白いなとか、そういう想定をしているだけなんですけど、自分の興味がどういう方向に行くかを全然コントロールしてないので、いつ興味が失われるのかも分からないんです。でもきっと、特定の時代の音楽を集中的にやることよりも、何か全然違う地平に置いてみることで、固定観念をさっと洗い流して、実は500年くらい離れた曲も同じ直線上に位置しているんだよ……みたいなことを見せるのが好きなんでしょうね。既成概念を覆したいとか、そういう考えはいつもあります。   人類学者レヴィ=ストロースの著作を読んだ時にフランス人らしいなと思った部分があって、周辺にあるものを取り上げることによって、真ん中にあるもののことを言うんですよ。自分がやってる行為も結構それに近いような気がして……。できるだけ芸術的なというか、一番抽象的なやり方にすることで、より浸透するようになると思っているんですよ。抽象的・芸術的であるってことは、より歪曲して周りから伝える行為であるので。いま、28歳なんですけど、30代に入ったらもっとメッセージ性の強いものに仕上げていきたいと思いますね。 ――そのメッセージを伝える手段というのは、生演奏だけではなく、YouTubeなどの動画も含まれてくるのでしょうか?   動画の再生数でいったら、本当は何百万回とか観てもらえればいいんだけど、そういうことが僕のやってることで、はたして出来るかどうか……ってまた別問題ですね。そういう意味では、いまテレビに出ている木嶋真優さん、高嶋ちさ子さん、葉加瀬太郎さんとか、やっぱりそれまで知らない人たちに音楽を届けているという意味で功績はすごいと思います。   でも僕自身としては、あんまり人が望むようなことはしたくないんですよ。自分がやりたいことだけやりたい。望まれなくとも、理解してもらう。正直、みんな押し黙るくらいのことを自分がすれば、多分みんな振り向いてくれると思ってる節はあるんじゃないかなあ。あいつがあれやるんだったら、もうしょうがない。聴いてやるか!……ぐらいまでやんないと、人は動かないんじゃないかなとも思っています。 ――傍から見れば、それがどんなに険しい道だとしても淡々と歩みを進めていくのですね……しかも自己満足で終わらせず、相手に届くまでストイックに続けると。でも、それが独りよがりな演奏になってしまう危険性もありますよね? そうならないためには、どうすればいいと考えていらっしゃいますか?

そうして"反証"を繰り返しながら舞台に立つ

やっぱり“反証”していくことなんですよね。音楽作品に向き合っている時に、自分の意識のなかに何か余計なものがないかをチェックするんです。これは誰かから影響を受けて、こういう弾き方をしてるなとか、こういう見方をしてるな、ってことを徐々に排除していく。 それで出来るだけ100%に近いくらい、自分の全部の筋肉とか神経がこう動いているのを感じながら、音楽が海だとしたらそこに身を投げるだけっていうような状態にできるか……っていうところなんですよね。だからメンタルトレーニング的な感じもあって、常に反面教師的に見ていく以外はないんじゃないかなあ……。
スペイン大使館(東京)にて
今までは、こういう演奏をしたいという音を頭のなかで再生していたんですよ。そして練習ではそのイメージしたものに近づけるようにしていたんですけど、最近はそういうのがなくなりました。やっぱり実際に楽器を触って、実際に自分の音を聴きながら、全部それがしっかり自分の中で地ならしをしていくっていうか……ケーキを作ってる感じですね。   最初は、硬いタルトにあたる部分として、完璧に音程を外さずに曲を弾けようにするっていう合理的な部分があって、その土台の上に、フワっとしたスポンジと生クリームにあたる部分として、その曲が言わんとしてることを最初から最後までひとつずつ、徹頭徹尾ゆっくりみていくんです。
  とりあえず曲を弾いてみたとしても、その時点では自分とその曲が関わる一面しかないわけですよ。だから、その曲を他人が弾いている演奏があったとしたら、それをひたすら聴いてみたりとかすると、その曲の多面性を知るわけじゃないですか。それからチェリビダッケ的にいえば「モーツァルトの皮膚の下に潜り込む」ってことになるんですけど、今度は作品の内部から見れる状態まで行ければ……ね。本当はいいんですけどね。   その上で、結局はヴァイオリニストのオイストラフが言ったようなことと同じになるんですけど、「いい演奏の秘訣は何ですか?」という質問に対して、「朝起きて練習します。朝ご飯を食べます。昼ご飯を食べるまで練習します。昼ご飯を食べたら夕ご飯の時間まで練習します。夕ご飯を食べたら寝るまで練習します」って(笑)。結局、そうなってくるんでしょうね。 ――そうして辿り着いた先には、どんな景色や体験が待っているのでしょう?   音楽作品って、始まりがあって終わりがあるので順にみていくんですけど、自分の血肉になるまで丁寧にというか、自分自身になるまでゆっくりみていくと、すごい体験をするんですよ。なんていうんだろう、全能感みたいな……。ものすごい幸せな気持ちになるので。そういう気持ちにさせてくれる音楽っていうのは、やっぱり素晴らしいなと思います。   結局、自分が思う解釈を練り上げていくことこそ、やっぱり人を幸せに……いや、でも人を幸せにするってことは、演奏する上で副次的なことだからなあ……。とにかく目の前にことに集中するのみなんですよ、きっと。 (取材・文 小室敬幸)

今後の公演について

トーマス・アデスの音楽

日時 2021年1月15日(金)開演19:00 
会場 東京オペラシティコンサートホール
出演 [指揮]沼尻竜典 (トーマス・アデスから変更) [ヴァイオリン]成田達輝 [管弦楽]東京フィルハーモニー交響楽団
プログラム アサイラ op.17(1997) ヴァイオリン協奏曲《同心軌道》op.23(2005) ポラリス(北極星)op.29(2010) [日本初演]
詳細 こちら
お問い合わせ 東京オペラシティチケットセンター TEL:03-5353-9999(10:00〜18:00/月曜定休)



読売日本交響楽団 第605回定期公演

日時 2021年1月19日(火)19:00開演
会場 サントリーホール
出演 [指揮]セバスティアン・ヴァイグレ [ヴァイオリン]成田達輝 [管弦楽]読売日本交響楽団
プログラム R.シュトラウス:交響詩「マクベス」作品23 ハルトマン:葬送協奏曲 ヒンデミット:交響曲「画家マティス」
詳細 こちら
お問い合わせ 読響チケットセンター 0570-00-4390(10時-18時・年中無休)



無伴奏ヴァイオリン・リサイタル ー音を編むー

日時 2021年1月28日(木)19:00開演 (開場18:15)
会場 紀尾井ホール
出演 [ヴァイオリン]成田達輝
プログラム J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第2番より”シャコンヌ” 他
詳細 こちら
お問い合わせ 公益財団法人国際音楽芸術振興財団 info@imusic-apf.org



成田達輝&萩原麻未 デュオリサイタル

日時 2021年2月7日(日)14:00開演 (開場13:15)
会場 中新田バッハホール
出演 [ヴァイオリン]成田達輝 [ピアノ]萩原麻未
プログラム エルガー:愛の挨拶 ラヴェル:ヴァイオリンソナタ第1番、第2番 他
詳細 こちら
お問い合わせ 中新田バッハホール TEL:0229-63-7367 (8:30~17:15 月曜日休館日)



成田達輝
©Marco Borggreve
1992年生まれ。札幌で3歳よりヴァイオリンを始める。2010年ロームミュージックファンデーション奨学生に選ばれる。ロン=ティボー国際コンクール(2010)エリザベート王妃国際音楽コンクール(2012)、仙台国際音楽コンクール(2013)でそれぞれ第2位受賞。これまでに、ペトル・アルトリヒテル、オーギュスタン・デュメイ、ピエタリ・インキネンなど著名指揮者および国内外のオーマストラと多数共演している。現代の作曲家とのコラボレーションも積極的に行っており、特に酒井健治とは関係が深く、ヴァイオリンとピアノのためのCHASMを委嘱したほか、サントリー芸術財団サマーフェスティバルで成田が演奏した酒井健治作曲のヴァイオリン協奏曲“G線上で”は芥川作曲賞を受賞した。2017年11月には一柳慧作曲のヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲を世界初演(チェロ:堤剛)。これまでに、澤田まさ子、市川映子、藤原浜雄、ジャン=ジャック・カントロフ、スヴェトリン・ルセフ、フローリン・シゲティ、田中綾子の各氏に師事。リリースしたCDは「成田達輝デビュー!サン=サーンス、フランク、フォーレ、パガニーニ」(ピアノ:テオ・フシュヌレ)。海外での演奏活動も積極的に行っており、2018年8月と2019年2月には韓国平昌で行われた音楽祭に参加し、ソン・ヨルム、スヴェトリン・ルセフらと共演。2018年にはミンスクで行われたユーリ・バシュメット音楽祭にも参加している。使用楽器は、アントニオ・ストラディヴァリ黄金期の”Tartini” 1711年製。(宗次コレクションより貸与)。

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