クラシック音楽を聴くようになったばかりの頃からずっと、ひとつの疑問が解決することなく頭のなかに留まり続けている。 同じ曲であっても「スッと頭のなかに入ってくる演奏」と「集中して聴くのも一苦労な演奏」とでは何が違うのだろうか? 20年近く考えてみたが、少なくとも単なる上手い下手の差ではないし、楽譜に忠実だからとか、演奏者の個性が発揮できているからとか、そういう問題だけでもなさそうである。 だからこそ一度、彼にじっくりと話を聴いてみかった。成田達輝のヴァイオリンはいつだって、どんな作品であろうと音楽そのものがスッと頭のなかに入り、「ああ、そういうことなのか!」と腑に落ちる経験をさせてくれるからだ。20代後半という若さで、これほどまでに説得力を持てるようになれた理由を今まさに、本人から伺ってみたかった。
©Marco Borggreve
考え方を吸収しながら
――成田さんは本番にむかって、練習をする時、どのように作品と向き合っていらっしゃるのでしょうか? ご質問に答えさせていただくために、まず頭に思い起こされるシーンがひとつありまして……。韓国の平昌(ピョンチャン)で行われた音楽祭で、チャイコスキー作曲の弦楽六重奏曲《フィレンツェの思い出》を演奏しまして、その時のメンバーがファースト・ヴァイオリンは韓国人、セカンド・ヴァイオリンは僕(日本人)、ヴィオラふたりがロシア人で、チェロふたりがドイツ人とオランダ人という5つの国籍、異なるバックグラウンドを持っていたんですね。 その時のリハーサルで解釈の違いが、ヴィオリストとチェリストの間に起こったんです。第3楽章に間奏曲みたいな曲があるんですけれど、全体を弾く時にロシア人のヴィオリストの方が「これは平原を……」とか「これは戦争だ!」とか、言葉ひとつで何か大きなイメージを表すような直観的な言葉をチェロの方にかけたんですよ。そうしたらチェロの方が「それは何故だ!?」って言い出したんです。 国別にというか、もちろん個人個人による違いもあると思うんですけど、これは目の前にあるものを直観的に捉えるのか、論理的に捉えるのかとか、そういう違いがあるなと思ったんです。 ――単なる意見の違いではなく、認知の仕方が既に違っていると。 そういう経験もあって、一昨年あたりからいわゆる国民性の違いっていうものを研究していたんです。もちろん、チャイコフスキー(ロシア)とかブラームス(ドイツ)が生きていた当時は、今のようにグローバルな世の中ではなかったわけですから、国民性ってものがもっと色濃かったのではないかっていう前提があるからですけど。 それで読んでみたのが、精神科医のユング(1875~1961)が書いた『タイプ論』(1921)という本なんです。医学書だから結構難解で、僕は本当にかじった程度なんですけど。「直観(※背後にあるものを無意識的に察知すること)/感覚(※対象そのものを知覚すること)」「思考(※論理性や合理性をもとに考察すること)/感情(※個人の気持ちをもとに判断すること)」の4タイプあって、ユングは患者を分析する時に枝分かれしていくんだと書いています。そのやり方が、作曲家の言わんとすることにたどり着くプロセスとして、とても有効かなと思いまして。今のところこの方法がすごくしっくりきているというか。梅田俊明マエストロ、札幌交響楽団とのリハーサル(2019)
オフィシャルTwitterより@narita_tatsuki
疑いながら、でも自分には素直で居ながら
――ここまでは成田さんが作品と向き合う際に、第三者の視点というか、別の分野から考え方を援用して理解の手助けにする……という例をお話しくださったわけですけど、楽譜そのものと向き合う時にはどんなことを心がけていらっしゃるのでしょうか?パリ同時多発テロの翌々日にフィルハーモニーホールで行われた演奏会(2015)
――どんなきっかけで、そのように考えるようになったのですか? 何がもとだったのか、明確には分からなかったりするものだと思うんですけど、おそらく5~6年ぐらい前にヴァイオリニストのイヴリー・ギトリスのインタビューを――しかも日本語に訳されて、一部を切り取ったものをどこかで読んだ感じなんですが、「大きい音を弾くときは、小さい音のことを想像するんだ」って書いてあって、「へー、そんなこと考えたことないな」と思って。それを自分なりに学び取ろうとしたんですね。 作曲家が書いた音符が、そうでなかった場合に、どんな意味が消えてしまうのかっていうことを考えて、ありのままの作曲家が書いた状態がいかに優れているかってことを検証する……っていう行為を覚えたっていうだけです(笑)。音楽を演奏するためだけのものじゃなくて、いろんなことに役立てられる考え方だと思うんですけど。 ――それが成田さんの演奏に説得力をもたらす根源になっているのかもしれませんね。 でも若い頃はそんなことは思いもしなくて。2012年にエリザベート王妃国際音楽コンクールで2位を受賞した時、僕は20歳だったんですけど、当時を振り返ってみたら何も考えていなかったですし、それこそ直観的に捉えることしか出来なかったと思うんですよね。 それに対して今は、20歳の頃よりも体がちょっと痛くなって、ヨガをやんなきゃいけなくなったりとか。そういうのも含めて、色んな面から考察しないと凝り固まってしまうっていう状況になったので。20歳の時なんて、朝起きてすぐにパガニーニとか弾きましたけど、今そんなことやったらもう3日ぐらい弾けなくなるかもしれない(笑)。
地元札幌で在籍していたHBCジュニアオーケストラのリハーサルより
固定観念に縛られず、良いものは良いと言いたい
――ここまで挙げてくださった文学や哲学だけじゃなく、美術的な側面からウェーベルンの音楽を「共感覚で観る」動画を自作してみたりとか、はたまたレトロゲームに熱中しているとインタビューで答えていらっしゃったり……と、成田さんはとにかく興味の範囲が広いですよね。 成田さん自作のウェーベルンの弦楽四重奏を再構築する動画。「Webern’s music × Synesthesia 共感覚で観るウェーベルンの音楽」 昔は「趣味は?」って聞かれても「寝ることかな?」ぐらいな感じだったんですよ。でも僕は不器用だし、自分の頭の中も、出てくるのもゴチャゴチャしているから、何か趣味くらいあった方がいいんじゃないか。何かやった方が楽しいよな、と思って色々やってみることにしたんです。とはいえ「今の趣味は何?」って聞かれても、本当に三日坊主なんで……。もう何でも手当たり次第にやってみて、色んなものから全部良い影響を受けている気がします。 テレビゲームだと最近、『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』を最後までクリアしたところなんです。2017年のゲームだから3年遅れでやってるわけですけど、本当に面白くって。『ゼルダの伝説』って1986年に始まったシリーズなんですけど、スーパーファミコン、NINTENDO64、Wiiとかを通って、今はNintendo Switchとハードウェアが移り変わってきて、何がすごいって『ブレス オブ ザ ワイルド』以前は、ダンジョンを抜け出そうとするとゲームって、どうしても壁に向かって走ってるようになってしまっていたじゃないですか。それが全くなくなって、オープンワールドになって、実際の人の生活に近づいているんですよね。しかもゲーム中の音楽もそうなってきているんです。 ――ゲーム中の操作に合わせて、音楽もインタラクティブに変化するというのを解説した記事は、私も読んだことがあります(参照:ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドのサントラを買う人が知らないゼルダBGMの裏側)。 生活に音楽がつけられるというのは、歴史的にみるとエリック・サティ(1866~1925)の《家具の音楽》(1920)とかあったわけじゃないですか。その延長線上に、テレビゲームでこういう音楽が生まれたということに感動してしまいました。すごいゲームだなって! ――サティとゼルダが繋がるとは!(笑)。この柔軟な発想が成田さんの魅力に直結しているなあと思いつつ、ちょっと意地悪なことを言えば、こういう余計な物事に触れるのは良くなくて、芸術そのものだけに邁進すべしという意見も、まだまだ根強いような気もします。 そういう人は結構多いと思いますよ。「音楽はこうあらねばならぬ!」と思うのは、確かにそうかもしれないんだけど、多分それを“反証”するのが怖いんじゃないでしょうか。 ――エンタメも含めて色んなことに興味を持つことが本当に良くないことなのか、ちゃんと検証もせずに言っているに過ぎないということですね。 人生は一度きり……かどうかは分かりませんけど、やっぱり興味をもって色んなことやった方が楽しいし。音楽に向かうときも新鮮な気持ちで練習も楽しくなるし、良いこと尽くめなんじゃないかなと思います(笑)。音楽もいろんなジャンルあるし、ポップスの良い曲もいっぱいあるし、ジャズは毎日聴くし。僕はどんなジャンルの音楽を聴いても、いま目の前でやっているものが本当に素晴らしいと思うんです。みんな一緒かもしれないですけど。 でも怖いなと思うこともあって、例えばTikTokではひとつの動画がYouTubeよりも更に短くなって、凝縮されてるじゃないですか。それを見た後にブラームスを弾こうとすると、ミクロの宇宙とマクロの宇宙の差というか、ものすごく違いがあるんですよ。細分化されていたものに集中していた自分が、今度は限りなく広い世界を見ようとするときに、一瞬つらく感じるときがありますね。世界をうまく使い分けなきゃいけないなっていう感じはしています。©Marco Borggreve
そうして"反証"を繰り返しながら舞台に立つ
やっぱり“反証”していくことなんですよね。音楽作品に向き合っている時に、自分の意識のなかに何か余計なものがないかをチェックするんです。これは誰かから影響を受けて、こういう弾き方をしてるなとか、こういう見方をしてるな、ってことを徐々に排除していく。 それで出来るだけ100%に近いくらい、自分の全部の筋肉とか神経がこう動いているのを感じながら、音楽が海だとしたらそこに身を投げるだけっていうような状態にできるか……っていうところなんですよね。だからメンタルトレーニング的な感じもあって、常に反面教師的に見ていく以外はないんじゃないかなあ……。スペイン大使館(東京)にて
とりあえず曲を弾いてみたとしても、その時点では自分とその曲が関わる一面しかないわけですよ。だから、その曲を他人が弾いている演奏があったとしたら、それをひたすら聴いてみたりとかすると、その曲の多面性を知るわけじゃないですか。それからチェリビダッケ的にいえば「モーツァルトの皮膚の下に潜り込む」ってことになるんですけど、今度は作品の内部から見れる状態まで行ければ……ね。本当はいいんですけどね。 その上で、結局はヴァイオリニストのオイストラフが言ったようなことと同じになるんですけど、「いい演奏の秘訣は何ですか?」という質問に対して、「朝起きて練習します。朝ご飯を食べます。昼ご飯を食べるまで練習します。昼ご飯を食べたら夕ご飯の時間まで練習します。夕ご飯を食べたら寝るまで練習します」って(笑)。結局、そうなってくるんでしょうね。 ――そうして辿り着いた先には、どんな景色や体験が待っているのでしょう? 音楽作品って、始まりがあって終わりがあるので順にみていくんですけど、自分の血肉になるまで丁寧にというか、自分自身になるまでゆっくりみていくと、すごい体験をするんですよ。なんていうんだろう、全能感みたいな……。ものすごい幸せな気持ちになるので。そういう気持ちにさせてくれる音楽っていうのは、やっぱり素晴らしいなと思います。 結局、自分が思う解釈を練り上げていくことこそ、やっぱり人を幸せに……いや、でも人を幸せにするってことは、演奏する上で副次的なことだからなあ……。とにかく目の前にことに集中するのみなんですよ、きっと。 (取材・文 小室敬幸)
今後の公演について
トーマス・アデスの音楽
日時 | 2021年1月15日(金)開演19:00 |
---|---|
会場 | 東京オペラシティコンサートホール |
出演 | [指揮]沼尻竜典 (トーマス・アデスから変更) [ヴァイオリン]成田達輝 [管弦楽]東京フィルハーモニー交響楽団 |
プログラム | アサイラ op.17(1997) ヴァイオリン協奏曲《同心軌道》op.23(2005) ポラリス(北極星)op.29(2010) [日本初演] |
詳細 | こちら |
お問い合わせ | 東京オペラシティチケットセンター TEL:03-5353-9999(10:00〜18:00/月曜定休) |
読売日本交響楽団 第605回定期公演
日時 | 2021年1月19日(火)19:00開演 |
---|---|
会場 | サントリーホール |
出演 | [指揮]セバスティアン・ヴァイグレ [ヴァイオリン]成田達輝 [管弦楽]読売日本交響楽団 |
プログラム | R.シュトラウス:交響詩「マクベス」作品23 ハルトマン:葬送協奏曲 ヒンデミット:交響曲「画家マティス」 |
詳細 | こちら |
お問い合わせ | 読響チケットセンター 0570-00-4390(10時-18時・年中無休) |
セバスティアン・ヴァイグレ:ⓒ読響
成田達輝:ⓒMarco Borggreve
成田達輝:ⓒMarco Borggreve
成田達輝
©Marco Borggreve
1992年生まれ。札幌で3歳よりヴァイオリンを始める。2010年ロームミュージックファンデーション奨学生に選ばれる。ロン=ティボー国際コンクール(2010)エリザベート王妃国際音楽コンクール(2012)、仙台国際音楽コンクール(2013)でそれぞれ第2位受賞。これまでに、ペトル・アルトリヒテル、オーギュスタン・デュメイ、ピエタリ・インキネンなど著名指揮者および国内外のオーマストラと多数共演している。現代の作曲家とのコラボレーションも積極的に行っており、特に酒井健治とは関係が深く、ヴァイオリンとピアノのためのCHASMを委嘱したほか、サントリー芸術財団サマーフェスティバルで成田が演奏した酒井健治作曲のヴァイオリン協奏曲“G線上で”は芥川作曲賞を受賞した。2017年11月には一柳慧作曲のヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲を世界初演(チェロ:堤剛)。これまでに、澤田まさ子、市川映子、藤原浜雄、ジャン=ジャック・カントロフ、スヴェトリン・ルセフ、フローリン・シゲティ、田中綾子の各氏に師事。リリースしたCDは「成田達輝デビュー!サン=サーンス、フランク、フォーレ、パガニーニ」(ピアノ:テオ・フシュヌレ)。海外での演奏活動も積極的に行っており、2018年8月と2019年2月には韓国平昌で行われた音楽祭に参加し、ソン・ヨルム、スヴェトリン・ルセフらと共演。2018年にはミンスクで行われたユーリ・バシュメット音楽祭にも参加している。使用楽器は、アントニオ・ストラディヴァリ黄金期の”Tartini” 1711年製。(宗次コレクションより貸与)。