変奏モチベーション
作曲家として知られる前、1787〜92年ごろのベートーベンは、誰もが認めるピアノの名手として、モーツァルトはじめ音楽の都の音楽家たちや貴族階級の人間を魅了、売り込みに成功しました。決め手は、当時の流行でもある即興演奏。ご存知ながら即興演奏は、一つのフレーズを取り上げ、リズムや調を変えたり、和声を補充したり、驚くような効果音や細かい装飾音を加えたりと、自由に展開させる音楽のことで、当時のウィーンで演奏の名手と呼ばれる第一条件でした。それより前の時代には即興演奏される前提で譜面が書かれていましたし、ベートーベン自身、作曲の過程で即興的に演奏し曲の構成を考えていたからという土壌もあったでしょう。そうしたテクニックの片鱗は、変奏曲やピアノソナタ、協奏曲のカデンツァなど、作品の端々に垣間見ることができます。ベートーベンからしたら、即興演奏は「即興的にどんな演奏をするか」ではなく「即興的に(主題を)どこまで変奏できるか」といった創意そのものだったのではないでしょうか。
即興演奏対決
ところで当時は「演奏対決」というイベントがあったのだとか。相手を小馬鹿にするようなパフォーマンスも含まれていたらしいので、今で言うラップバトルやダンスバトルと同様の、その場限りのゲームのようなものだったそうです。さて、ベートーベンの即興演奏、あまりに素晴らしくて涙する聴衆がいたと思えば、全身を駆使した奏法がダイナミックなあまりハンマーが壊れたり6本の弦が同時に切れたりしたこともあったとかで逸話が残っています。フォルテシモなら手を高く上げ、レガートなら鍵盤の上に覆いかぶさるように背を丸くする…。今に伝わるベートーベンのイメージそのままに対決者と腕を競う光景が目に浮かぶようですね。派手なパフォーマンスや超絶技巧はその後、リストやパガニーニといったヴィルトゥオーゾの台頭へとつながっていきました。
参考文献:
「ベートーヴェンの生涯 上」[原著]セイヤー [校訂]エリオット・フォーブズ [訳]大築邦雄, 音楽之友社, 1971
「ベートーヴェン事典」[編著]平野 昭/土田 英三郎/西原 稔, 東京書籍, 1999
「Revolutionary Pedagogy: A Historical Perspective on Improvising in Beethoven」Julia Kinderknecht, West Virginia University, 2017
(文・武谷あい子)