●中期ピアノ・ソナタ -脂ののった“傑作の森”
第17番ニ短調「テンペスト」Op.31-2
“テンペスト”とは嵐を意味しますが、その名の通り嵐のように激動の音楽です。
第18番変ホ長調「狩」Op.31-3
「II7」の和音で始まり、主和音が現れるのは8小節目でやっと、という不思議な曲です。付点のリズムが非常に愛らしく、そのモチーフは全曲を統一しています。個人的に好きな曲の一つです。
第19番ト短調「やさしいソナタ」Op.49-1
比較的易しい曲で、子どものピアノ演奏会でもよく耳にする曲です。2楽章から成る短い曲です。
第20番ト長調「やさしいソナタ」Op.49-2
19番と同じく、こちらもピアノの発表会でよく耳にします。明るくかわいらしい曲です。
第21番ハ長調「ワルトシュタイン」Op.53
同音連打に乗って、何かが始まりそうなワクワクする主題で幕を開けます。終楽章は、広大な大地に立っているような気持のする感動的な音楽です。
第22番ヘ長調Op.54
《フィデリオ》や《英雄》などの大曲が書かれた時期に作られた、2楽章から成る小品です。第2楽章は湧き上がるようなモチーフと、ひらひらと落ちていくようなモチーフによって全曲が形作られ、まるでフランス印象派のような雰囲気の曲です。
第23番ヘ短調「熱情」Op.57
静寂と爆発の対比が実に繊細に計算しつくされた名曲です。第3楽章は、炎の中で悪魔が踊るような音楽です。
第24番嬰ヘ長調「テレーゼ」Op.78
作曲者が生涯にわたり友情を育んだ伯爵令嬢、テレーゼに捧げられた、深い喜びを感じる曲です。
第25番ト長調「かっこう」Op.79
3度による飛び跳ねるようなモチーフが散りばめられた楽しい第1楽章です。確かに鳥の囀りのように聴こえる部分もあります。第3楽章は、楽しくエキゾチックな音楽です。本当にベートーベンの引き出しの多さを感じさせられます。
第26番変ホ長調「告別」Op.81a
冒頭の下行の3音に「Le-be-wohl(告別)」という歌詞が付けられています。この3音は“告別の動機”として、後世の作曲家も暗喩として使っています。
第27番ホ短調Op.90
激しい闘争心を感じる第1楽章と、楽観的な第2楽章という対照的な2つの楽章による作品です。
●後期ピアノ・ソナタ-円熟期のベートーベンが残した音楽の新たな境地
第28番イ長調Op.101
ベートーベンの後期作品には人を寄せ付けない深みと掴みどころのなさがありますが、第2楽章の行進曲はシューマンの《交響曲第3番「ライン」》を髣髴とさせるような親しみやすさがあります。
第29番変ロ長調「ハンマークラヴィーア」Op.106
言わずと知れた難曲です。高い技術と想像力を駆使して、ピアノという楽器が出せる表現を極限まで引き出しています。第4楽章のフーガは、後の《大フーガ》を思わせ、グロテスクさすら感じます。
第30番ホ長調Op.109
個人的に最も好きなベートーベンのソナタです。そよ風の流れるような、季節の移ろうような美しく変化に富んだ第1楽章に続き、真逆の対照的な第2楽章。そして、バッハの《ゴルトベルク変奏曲》のような神々しい終楽章に達した時には、涙なしには聴けません。
第31番変イ長調Op.110
終楽章にフーガを配する革新的なソナタ。そのフーガ主題は第1楽章の冒頭ですでに暗示されています。
第32番ハ短調Op.111
後年のベートーベンを印象付けるものは、フーガと変奏曲です。この最後のピアノ・ソナタもまた、最終楽章は大規模な変奏曲に拠っています。びっくりするのは第3変奏。現代の人が冗談でジャズに変奏したのかと思ってしまいます。
<前編>はこちらから
多種多様な32の世界
ここまでベートーベンの32曲のピアノ・ソナタを見てきました。そこで筆者が思うのは、驚異的なほどに表現の幅が広い、ということです。力強いベートーベン、甘ったるいベートーベン、おどけたベートーベン…。いろんな姿が見えてきます。ベートーベンは、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲を日々の実験場として書いていたとよく言われますが、まさに実験的な試みが、非常に高い完成度を持って、作品として昇華しているのです。この32曲、それぞれが強烈な個性を放ち、その個性は250年経った今でも、全く色あせることがありません。改めてベートーベン、偉大で恐るべき作曲家だな、と感じました。
楽聖の魂、ピアノ・ソナタ。ここにベートーベンのすべてが詰まっているように感じられます。
(文・一色萌生)