物語のある交響曲
音楽の分類の一つに“絶対音楽”と“標題音楽”があります。簡単に言えば、“標題音楽”というのは、音楽以外の何かを表した音楽。“絶対音楽”は、そうではない音楽、ということになります。今でこそ、音楽で物語や風景を描写するというのは良く見かけますが、ベルリオーズの時代(1830年頃)では、それはとても珍しい試みでした(オペラなど声楽や劇を伴うものは別として)。ベルリオーズの《幻想交響曲》は、19世紀以降に隆盛を誇る“標題音楽”のパイオニア的作品です。パイオニアでありながら、その物語は実にエキセントリックなものでした。
ある芸術家が失恋のショックからアヘンを飲み自殺を図りますが、死には至らず幻覚をみます。その幻覚の中で主人公は彼女を思い出し、失意ののちに殺害、その罪から処刑され、魑魅魍魎の夜宴を目の当たりにします。この物語が、以下の全5楽章で描かれます。
第1楽章「夢、情熱」
第2楽章「舞踏会」
第3楽章「野の風景」
第4楽章「断頭台への行進」
第5楽章「ワルプルギスの夜の夢」
ベルリオーズが発明した“固定楽想”
声楽や劇を伴わず、音楽だけで具体的な物語を描く。そのためにベルリオーズは、“固定楽想(イデーフィクス)”というものを発明しました。これは、全曲を通して決まった何かを示す旋律です。《幻想交響曲》では、主人公が失恋した“彼女”を表わす固定楽想が様々な箇所に顔を出します。それらは、現れる時々で形を変え、時に甘く夢のような、時に儚く、そして時に狂気じみた様子で現れます。
ベルリオーズが発明したこの“固定楽想”は、ワーグナーなどオペラの作曲家にも受け継がれ、“ライト・モチーフ”というさらに発展させた形で使われるようになりました。ライト・モチーフは今日、映画音楽でもよく使われる技法で、『スターウォーズ』では、子供のころのアナキンが映っている背後で、彼が後にダース・ベイダーとなることが仄めかされるように《帝国のマーチ》の断片が流れる、といった演出もありました。
《幻想交響曲》の先進性
ベルリオーズは固定楽想以外にも、作品の中であらゆる先進的な工夫をほどこしています。
“死”を暗示するグレゴリオ聖歌〈怒りの日〉の引用
最大4人の奏者を要するティンパニや教会の鐘など打楽器の充実
オフィクレイド・コーラングレ・ハープなど楽器の拡充
弦楽器のコル・レーニョや木管楽器のグリッサンドなどの特殊奏法
オーボエや鐘のバンダ(舞台裏から演奏する指定)
これらの工夫は、音楽で具体的な物語を描くという試みの中で、必然的に取り入れられました。その結果《幻想交響曲》は、単に“物語性”だけでなく、サウンド面でも大きな先進性をみせることとなりました。音楽史上、これほどまでに時代を超越した作品はなかなか見当たりません。
(文・一色萌生)