「ロンドン・デリーの歌」から「ダニー・ボーイ」へ
「ロンドン・デリー」は、北アイルランドの地名です。「ロンドン・デリーの歌」は、その街でヴァイオリニストが弾く旋律を聞いた、民謡収集家のジェイン・ロスによって1855年、「アイルランドの古い音楽」という譜例集におさめられました。当時はまだ曲名もつけられておらず、名も無い曲として、世に出たそうです。それから半世紀の時が過ぎ、1913年にフレデリック・ウェザリーによって、この曲に「ダニー・ボーイ」という歌詞がつけられました。伸びやかで、希望と癒しを留めたようなあの名旋律に、言葉がついた瞬間です。
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チャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォードと彼の生きた時代
そんな「ダニー・ボーイ」をクラシックの世界で広めたのは、スタンフォード (1852年9月30日 – 1924年3月29日)の6曲からなる「アイルランド狂詩曲」の第1曲です。曲中に、幾度となく出てくる「ダニー・ボーイ」のモチーフが変化することで、楽曲を支えています。作者のスタンフォードは多彩な人物で、指揮者としてはブラームスの交響曲第1番の英国初演を担当したり、またイギリスの音楽学校で教鞭をとり、有名な弟子としてグスターヴ・ホルスト、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズらがいます。
スタンフォードの活躍した19世紀〜20世紀初頭はロマン派の最盛期。イギリス同様に、チェコでもドヴォルザークらによって、民謡をクラシックに転用する動きがありました。様々な国で自国のアイデンティティを見直そうとする動きが起こっていたことも、非常に興味深い事象と言えるでしょう。