- 引用
- コンサートをより楽しむには、その演奏される曲を理解しておくことが大切。作品が世に出るまでのエピソードや人気の背景を知れば、コンサートがさらに楽しくなることでしょう。そこでスタートした、コンサート・プログラムを簡単に予習する特集企画「Program library」。
クラシック音楽の作曲家……と聞いて、真っ先に思い浮ぶ名前は誰でしょうか。ヨーロッパから遠く離れた日本においても、やはりこの人の名が挙がることが多いのでは? 彼の名は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。
前編ではモーツァルトの生涯と彼の交響曲を、中編では彼のピアノ曲、室内楽曲、協奏曲、管弦楽曲をご紹介しました。最後「後編」ではモーツァルトのオペラ、声楽曲、宗教音楽を見ていきましょう。
「中編」からの続き
モーツァルトのオペラ
モーツァルトが生きていた時代、作曲家として世の中に認められるためにはオペラ作曲家としてデビューし、ヒット作を出すことが不可欠だった。
1767年、12歳のときにいくつかの舞台作品をモーツァルトは手がけており、それらの中ではオペラ《バスティアンとバスティエンヌ》 K.50(46b)がよく知られている。ジャン・ジャック・ルソー(哲学者として有名だが、実は作曲家でもあった)のオペラ《村の占い師》に基づく作品で、登場人物が3人と少なく、上演時間も40分程度と短く、オペラになじみのない方にもおすすめの作品である。音楽的にも、12歳でこの表現力……! と驚くことまちがいなし。
1767年、12歳のときにいくつかの舞台作品をモーツァルトは手がけており、それらの中ではオペラ《バスティアンとバスティエンヌ》 K.50(46b)がよく知られている。ジャン・ジャック・ルソー(哲学者として有名だが、実は作曲家でもあった)のオペラ《村の占い師》に基づく作品で、登場人物が3人と少なく、上演時間も40分程度と短く、オペラになじみのない方にもおすすめの作品である。音楽的にも、12歳でこの表現力……! と驚くことまちがいなし。
当時のオペラ界では、高尚な題材の「オペラ・セリア」こそが正統とされていた。軽くて喜劇的な「オペラ・ブッファ」や、歌つきのお芝居というべき「ジングシュピール」よりも、「オペラ・セリア」は格上に位置付けられていた。
《ポントの王ミトリダーテ》 K.87(74a)は、1770年、14歳のモーツァルトが初めて手がけた「オペラ・セリア」である。親子の裏切り、兄弟同士の裏切り、そしてひとりの女性をめぐって親子が恋のさや当てを繰り広げるという、昼ドラも真っ青の愛憎劇で、モーツァルトの初期の傑作に位置付けられる。
《ポントの王ミトリダーテ》 K.87(74a)は、1770年、14歳のモーツァルトが初めて手がけた「オペラ・セリア」である。親子の裏切り、兄弟同士の裏切り、そしてひとりの女性をめぐって親子が恋のさや当てを繰り広げるという、昼ドラも真っ青の愛憎劇で、モーツァルトの初期の傑作に位置付けられる。
モーツァルトは10代でオペラ作曲家としてデビューして以来、コンスタントに舞台作品を書いてきたが、実は比較的軽い作品が多く、“格上”の「オペラ・セリア」は少ない。彼にとって久々の「オペラ・セリア」となったのは、1781年に書いた《イドメネオ》 K.366である。敵国同士であるトロイアの王女とクレタの王子イダマンテの恋、王子を生贄に捧げなければならなくなったクレタ王イドメネオの苦悩、そして怪物との戦いと盛りだくさんのストーリーで、観る者を飽きさせない。
1782年に作曲した《後宮からの誘拐》 K.384は、オペラではなくジングシュピールとして書かれた。海賊にさらわれ、トルコの太守セリムの後宮にいる恋人コンスタンツェを、スペインの貴族ベルモンテが助け出すという、冒険と救出のロマンあふれる物語で、当時トルコ趣味がブームだったウィーンでまたたくまにヒットした。シンバルやトライアングル、多数の管楽器によってトルコ風の音楽を書いていることも特徴的。
モーツァルトのオペラといえば、その代表作に位置付けられるのが《フィガロの結婚》 K.492であろう。1786年に発表された本作は、フランスの劇作家ボーマルシェの戯曲に基づく作品であり、ストーリー的にはのちのロッシーニのオペラ《セヴィリアの理髪師》の後日談にあたる。アルマヴィーヴァ伯爵とその妻ロジーナ、使用人のフィガロとその結婚相手スザンナを中心に、たくさんの登場人物が織りなすドタバタ・コメディだが、貴族と庶民との階級闘争や、立場の弱いものに力を振りかざす貴族の身勝手さを、痛烈に批判した作品でもある。ダ・ポンテの文学的に優れた台本と、歌だけでなくオーケストラも活用するモーツァルトの優れた性格描写によって、オペラ史に残る傑作となっている。第1幕でフィガロが歌う〈もう飛ぶまいぞ、この蝶々〉や、第2幕で恋多き小姓のケルビーノが歌う〈恋とはどんなものかしら〉など、単独でもしばしば演奏される名曲が多い。
ウィーンではあまりヒットしなかった《フィガロの結婚》は、プラハで爆発的にヒットした。これを受けてプラハの劇場から依頼された作品が《ドン・ジョヴァンニ》 K.527である。女たらしのスペイン貴族ドン・ファン(ドン・ジョヴァンニ)を主人公に据えた作品で、基本的にはコメディだが、ドン・ジョヴァンニが起こした殺人事件の被害者遺族による復讐劇という側面や、被害者の石像がしゃべり出すというオカルト的な展開もあり、見ごたえ充分の作品だ。第1幕でドン・ジョヴァンニが得意げに歌う〈シャンパンの歌〉や、村娘のツェルリーナが歌う〈ぶってよマゼット〉など、この作品も名曲ぞろい。途中の晩餐のシーンでは、当時の流行曲のメドレーが演奏される中でモーツァルト自身の《フィガロの結婚》の旋律も登場し、登場人物が「それ有名なやつ」とツッコミを入れるあたり、作曲者の遊び心も満載だ。
《フィガロの結婚》、《ドン・ジョヴァンニ》の成功は、優れた台本作者ダ・ポンテの手腕によるところも大きい。そしてモーツァルトとダ・ポンテのコンビは3度目のコラボを果たした。それが《コジ・ファン・トゥッテ》(女はみんなこうしたもの) K.588である。1790年に発表された本作は、「女性は必ず心変わりする」という自説を証明したい哲学者と、「自分の彼女は絶対にそんなことはない」と反論するふたりの青年士官が引き起こすドタバタ劇だが、芝居や変装を駆使してお互いの交際相手をだまし罠にかける……という内容は、まるで最近はやりの「○○説検証番組」だ。
〈夜の女王のアリア〉が極めて有名な《魔笛》 K.620は、ザルツブルク時代からの友人で、巡業劇団の支配人のエマヌエル・シカネーダーからの依頼で1791年に作曲された。モーツァルトとシカネーダーがともに所属していた秘密結社「フリーメーソン」を象徴する数字「3」が作品全体に散りばめられていることが有名だが、主人公の王子タミーノは「日本の狩衣(かりぎぬ)」を着ているという設定であり、わずかながら日本と縁のある作品でもある。
モーツァルトの宗教音楽
モーツァルトがザルツブルク時代に大司教のコロレド伯爵に仕えていたことは、「前編」でご紹介した通りである。初期の作品には小規模なミサ曲が多い。
転職活動を兼ねた旅の途中に母親を亡くし、失意のうちにザルツブルクへ戻ってきたモーツァルトが1779年に作曲したのが、ミサ曲 ハ長調 K.317である。本作は、のちの1791年にプラハで行われたレオポルト2世の戴冠式で演奏されたことにより《戴冠ミサ》の愛称で知られる。ちなみに、このプラハでの演奏で指揮者を務めたのは、モーツァルトのライバル、アントニオ・サリエリであった。全体を祝祭的な雰囲気でまとめている。
《戴冠ミサ》とは対極にある作品が、モーツァルトにとって生涯最後の作品となった《レクイエム》 K.626だ。作者の死によって作品自体が未完に終わっていることや、長年依頼者自体が明らかになっていなかったことにより、さまざまな憶測が伝説的に語られてきた。近年の研究で、依頼者はフランツ・フォン・ヴァルゼック伯爵という自称作曲家の貴族であったことが明らかとなっている。このヴァルゼック伯爵はプロの作曲家をゴーストライターとして使い、自分の名義で発表していた。モーツァルトの生涯最後の仕事が、実はゴーストライターであった……という事実は、かつての「神童」の悲哀を感じさせる。第3曲〈ディエス・イレ〉のインパクトはすさまじく、テレビや映画のBGMでも頻繁に用いられている。合唱が次々と重なりながら歌い始める第1曲〈レクイエム・エテルナム〉や、複雑なフーガとして書かれた第2曲〈キリエ〉は、死の淵にあったモーツァルトが、最後の力をふりしぼって最良の音楽を書こうとしていたことを今に伝えている。モーツァルトの絶筆となった第8曲〈ラクリモーサ〉は、8小節目まで書き上げたところでモーツァルトの命が尽きたこと、そして映画「アマデウス」に使用されたことで知られている。
本作はモーツァルトの死後、妻コンスタンツェの意向によって弟子のフランツ・クサーヴァー・ジュースマイヤーによって補筆完成され、依頼主のヴァルゼック伯爵に納品された。ヴァルゼック伯爵はこれを「自作」と偽って初演したが、コンスタンツェは補筆完成された《レクイエム》の楽譜の写しをひそかに手元に残しており、亡き夫の作品として出版した。コンスタンツェのこの行動がなければ、本作はまさに闇から闇へ葬られていたかもしれない。
本作はモーツァルトの死後、妻コンスタンツェの意向によって弟子のフランツ・クサーヴァー・ジュースマイヤーによって補筆完成され、依頼主のヴァルゼック伯爵に納品された。ヴァルゼック伯爵はこれを「自作」と偽って初演したが、コンスタンツェは補筆完成された《レクイエム》の楽譜の写しをひそかに手元に残しており、亡き夫の作品として出版した。コンスタンツェのこの行動がなければ、本作はまさに闇から闇へ葬られていたかもしれない。
モーツァルト作品の聴きどころ
モーツァルト作品の聴きどころは、オペラだけでなく、たとえ歌詞のない器楽曲やオーケストラ曲であっても、そのメロディにはイタリア・オペラの流れを汲んだ「歌心」があふれていることにある。まさに、思わず口ずさみたくなるメロディの宝庫だ。
また、モーツァルトといえば、メロディの響きと伴奏の和音を微妙にずらすことで生まれる「心地よく柔らかい不協和音」も特徴的だ。こうした響きは、前編でご紹介した交響曲第1番にも色濃く表れている。
鍵盤楽器もオーケストラも、その扱いはきわめて巧みで、無理や無駄がひとつもなく、不必要な重ったるさもなく、常に明瞭かつ明快である。それゆえに、オペラや《レクイエム》における重たく深刻な響きはより一層のインパクトをもつ。
《音楽の冗談》におけるブラックユーモアや、《ドン・ジョヴァンニ》における自作の引用と「セルフツッコミ」など、モーツァルトの作品は遊び心も満載だ。肩の力を抜いて、あまり難しく考えずに音楽そのものを楽しめることこそが、モーツァルト作品の最大の特徴であると言えるかもしれない。
また、モーツァルトといえば、メロディの響きと伴奏の和音を微妙にずらすことで生まれる「心地よく柔らかい不協和音」も特徴的だ。こうした響きは、前編でご紹介した交響曲第1番にも色濃く表れている。
鍵盤楽器もオーケストラも、その扱いはきわめて巧みで、無理や無駄がひとつもなく、不必要な重ったるさもなく、常に明瞭かつ明快である。それゆえに、オペラや《レクイエム》における重たく深刻な響きはより一層のインパクトをもつ。
《音楽の冗談》におけるブラックユーモアや、《ドン・ジョヴァンニ》における自作の引用と「セルフツッコミ」など、モーツァルトの作品は遊び心も満載だ。肩の力を抜いて、あまり難しく考えずに音楽そのものを楽しめることこそが、モーツァルト作品の最大の特徴であると言えるかもしれない。
2年後の2026年には生誕270年のメモリアルイヤーを迎えるモーツァルト。彼の音楽は今もなお新鮮さを失っていない。モーツァルトにこれまであまり関心がなかった方も、熱烈な彼のファンの方も、ぜひこれを機に彼のさまざまな作品を聴いてほしい。そこにはきっと新たな発見があるはずだ。
<文・加藤新平>
<文・加藤新平>