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音楽とは常に正直でいたい 指揮者・川瀬賢太郎

音楽とは常に正直でいたい 指揮者・川瀬賢太郎
©Tomoko Hidaki
 大学在学中に第14回東京国際音楽コンクールで最高位に入賞し、“若手ナンバー・ワン指揮者”として飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍してきた川瀬賢太郎さん。今年40歳を迎え、歴史に名を遺すマエストロとしての道を着実に歩まれています。  「物心がついたときから指揮者になりたかった」という川瀬少年が、音楽とどのように関わってきて今にいたるのか。そして今後、どのような指揮者を目指すのか……たっぷりとお話をうかがいました。

子どものころから音楽が大好き!

―― 音楽との出会いを教えてください。小さいころから音楽があふれるご家庭だったのでしょうか?

父はサラリーマン、母は専業主婦という、いたってふつうの家庭でした。妹がふたりいますが、音楽の道に進んだのは僕だけです。ただ父がクラシック音楽が大好きで、いつもレコードかCDが流れている、日常の中に音楽があるのが当たり前な環境でした。幼いころから流れている音楽に合わせて身体を動かしたり手を振ったりするのが好きで、それを見た父が「こういう動きをするのは指揮者なんだよ」と言っていたそうで、いつの間にか「指揮者になりたい」とインプットされていたみたいです。
音楽が当たり前に存在していたので、自然と好きになって、興味をもって、気が付いたら指揮者になっていました。
幼少期
―― お家にピアノがあって弾いていたりもしたのでしょうか?

母のアップライトピアノがありました。音楽が好きならピアノを習わせようという自然な流れで、幼稚園の年長くらいからピアノ教室に通い始めました。
ただ、とにかくピアノの練習が大嫌いで(笑)。ピアノのレッスンって、「テンポ走ってる!」とか「いま手のひらぺちゃんこになってるよ」とか、逐一指導が入りますよね。それが嫌いで……いや、必要なことなんですけど。ピアノを弾くということに関しては、とても不真面目な生徒だったと思います。
―― それでも音楽からは離れず、その後、音楽科のある高校に入学されています。

実は高校へはクラリネット専攻で入学しました。クラリネットとの出会いもまた安易というか、いろいろありまして……(笑)。
小学校の音楽の授業で、リコーダーが得意だったんです。自分が吹いた息がそのまま音になるというのもおもしろくって。でも、「この先、中学生でリコーダーを吹くのもなんかダサい」と当時は思っておりまして。そんななか、小学校5年生くらいの音楽の教科書に「オーケストラの楽器」という、見開きで楽器の写真がたくさん載っているページがありました。それで、クラリネットの写真を見たときに、「これ、リコーダーに似てるな」と。しかもリコーダーよりかっこいい、なんか金属とかついてるし。直感的に「これは絶対に上手く吹けるぞ」と思ったんです。そんなこんなでクラリネットを始めたわけで、笑っちゃいますよね。
将来的に指揮者になりたい気持ちは変わっていなかったので、高校へ入学するにあたってはスコアリーディングに役立ちそうという理由もあって、ピアノではなくクラリネットを選びました。ピアノは音楽をやる上で一生付き合っていかなきゃいけないので、あえてクラリネットにしたというのもあります。
2000年ごろ、高校1年生
―― てっきり、管楽器専攻の“よくあるパターン”として吹奏楽から入ったのかと思いました。

じっとしているのが苦手でして、小学校から中学校の9年間、通知表に「落ち着きがない」と書かれ続けてきました(笑)。なので、じっと座って吹き続けるのが苦手だったんですが、高校は吹奏楽の強豪校だったので一時的に入部していました。
あとは吹奏楽部の“あるある話”なのですが、正月以外のすべてを吹奏楽部に捧げたり、かなり強固な上下関係があって、軍隊のような部活というか、とにかく部活を最優先する世界だったんです。クラリネットを吹いてはいるけれど僕は指揮者になりたいわけで、指揮のレッスンや勉強もしたいけれど、それがなかなかかなう環境ではない状況。そんなこんなで部活は途中で辞めてしまいました。
ただ、吹奏楽部で刷り込まれた「あいさつをする」ということは、今も非常に役に立っています。あいさつはコミュニケーションの基本ですからね。

自分自身を見つめ続けた大学生活

―― その後、東京音楽大学に入学されています。そのころから「指揮を生業にして生きていくぞ!」という気持ちでいたのでしょうか。

いえ、ぜんぜん(笑)。というか、それでご飯を食べるとか、独り立ちして生活していくみたいな深い部分まで考えたことがなかった。ふんわりと「プロのオーケストラを振れるようになりたい」などは考えていましたが、自分が生活していかなきゃいけないという部分はごっそり抜け落ちていて、もう「夢に向かって一直線」状態でした。
物心がついたときから指揮者になりたくて、ピアノも習ってクラリネットも吹いて、音楽科の高校に入って、大学の指揮科に入学して、なんというか夢に一歩一歩近づいているという感覚だったのですが、大学に入って初めて「あれ、指揮者になれないかも」と心のどこかで思いはじめました。
というのも、絶対数が少ないので大学に入るまではまわりに「指揮者になりたい」という人がおらず、大学へ入学してから初めてライバルに出会ったわけです。4年間勉強して卒業して、すぐにデビューできるかと言ったらまずありえません。そもそもみんな指揮者になれるかどうかも分からない。そこで初めて現実を見つめることになりました。
―― 「指揮者になる」ことと「現実」を見つめて、どのような学生生活を送られていたのでしょうか。

華々しいキャンパスライフなんて夢のまた夢で、朝イチで大学に行って図書館でずっとスコアを読んだり、時間を作っては師匠のリハーサルについて行ったりしました。本当にたくさんの現場を見に行って、死に物狂いで勉強しました。
あとは、自分自身を見つめる時間が非常に重要になってきます。指揮者は自分ひとりでは何もできない存在です。楽器を演奏してくれる人がいて、初めて成り立つ。指揮台に立った時には丸裸にされているようなもので、みんなが自分のすべてを見透かしているような気分になるんです。自分の欠点というか、見たくもない汚い部分も全部書き起こして、マイナスの部分を知るようにしました。そうすると、人前に出て立ち振る舞う時にその欠点が出ないよう気を付けることができます。自分自身と対話する作業をとことん追求していました。

東京国際音楽コンクール 表彰式にて

―― 在学中に第14回東京国際音楽コンクールで最高位に入賞されて大きな話題をよびました。大学院への進学や留学などは考えなかったのでしょうか。

私立の高校から私立の音大へ進学させてもらったので、親に「院に行きたい」とは口が裂けても言えませんでした(笑)。
コンクールで賞を取ると、さまざまなオーケストラが興味を示して呼んでくださいます。ベルリンにあこがれていて、ずっとドイツに行きたかったのですが、ありがたいことに大学在学中に賞を取ったので、師匠もふくめたまわりから「しばらく日本にいた方がいい、せっかく賞を取ったから、名前だけでも覚えてもらってそれから行っても遅くないよ」とアドバイスがありました。そうこうしていたら、あれよあれよという間に名古屋フィルハーモニー交響楽団のポストの話が舞い込んできて、ありがたいことにそこからずっと忙しくさせていただいています。
その前、卒業してから名フィルに行くまでの間には、パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)オーケストラでアシスタント・コンダクターとしてお世話になりました。名だたるビッグ・マエストロたちのアシスタントをさせていただき、本当にラッキーボーイだったと思います。3年間で世界各地あちこちへと行かせていただき、いい経験になっています。

特別な存在、マーラー

―― 初めて買ったスコアは何だったか覚えていますか?

覚えています。マーラーの第5番と第6番でした。今も手元にありますよ。
―― 探さなくてもすぐに出てくるのがすごいですね!

小学校の6年生くらいだったかな? 値段も覚えているのですが、4,500円くらいで、お年玉やお小遣いを貯めて買ったスコアでした。当時はレコードやCDをかけながら、いろんな楽器のパートを追っていくという、いわゆる“レコ勉”をやっていましたね。移調楽器もよくわかんないし、全部読めないくせにすごく楽しかったです。やっぱり、最初に指揮棒を持つときと最初にスコアを買ったときは興奮しますよね。
―― では、最初に指揮棒を握ったときのことは覚えていますか?

最初に買ったマーラーのスコアも父の影響があるんですが、父がマーラー大好きで、日本マーラー協会に入っていました。当時の協会会長がかのマエストロ、山田一雄先生でして、僕が生まれたときになんと指揮棒をプレゼントしてくださったんです。なので自宅に山田一雄先生の指揮棒があったんですが、子どもにはそんな価値のあるものだとわかっていなくて、チャンバラに使っていました……(笑)。たぶん、それが僕のファースト・タクトですね。
―― それはなんという……! でも川瀬さんのマーラーに対する想いはそのころから続いているわけですね。

マーラーは僕にとって、もっとも大切な作曲家なんです。これまでもさまざまなターニングポイントでは必ずマーラーを振っています。
名フィルの音楽監督就任公演もマーラーの第5番でした。神奈川フィルの常任最後の公演はマーラーの第1番だったし、自分としても勝負の公演だったり、特に気合いを入れる必要があるときは必ずマーラーを選んでいます。
―― そのマーラーを初めて振ったときのことも覚えていらっしゃいますか?

覚えています。群馬交響楽団の定期演奏会で、当時デビューしたての23歳の若造でした。マーラーの第5番でしたが、「あこがれの曲はこうも難しいのか」と玉砕したことを覚えています。ずっと片思いしていて告白したらフラれた、みたいな感覚でした。でも群響さんはプロだから、僕のいたらないところをいろいろとカバーしてくださって、なんとかなった演奏会でした。

四十にして惑わず?

―― 今年2024年で40歳になられます。“不惑”の年ですが、若いころに比べて物の考え方や音楽のとらえ方などに迷いはなくなりましたか?

いや、ぜんぜん! もう迷いだらけですよ。ただデビューから年数が経って、40歳になっても指揮台の上に立たせてもらっていることにはきちんと感謝できるようになったかな。
©Tomoko Hidaki
―― 現在は地方のオーケストラのポストをいくつも抱えていらっしゃいます。

名古屋フィルハーモニー交響楽団、オーケストラ・アンサンブル金沢、札幌交響楽団、そして母校の東京音楽大学で指揮の先生もしています。
―― 移動だけでもなかなか大変そうです。

本当に! どこでもドアがはやくできないかなと思っています。1年の半分はホテル暮らしなので、支えてくれる家族には感謝です。
―― お子さんは4歳になられたそうで。

何度か「パパのおしごとをみてみたい」と、マチネのリハーサルに来たことはあります。地方公演だと主催がテレビ局のことも多いので、アナウンサーの妻が司会をして、僕が指揮を振って、両親の仕事を同時に見ていたこともありました。でも、4歳児はリハを見に来ても最初の10分が限界です。落ち着きがないと書かれ続けたパパの遺伝子を持っていますから(笑)。
―― 着実にビッグ・マエストロへの道を歩んでいる川瀬さんですが、ふだんは自然体でラフなお人柄の印象を受けます。Tシャツにダメージジーンズで楽屋口に登場することも。

基本的に昔からそのスタイルは変わっていません(笑)。若いころはそんな軽い服装な上に言葉遣いもわかっておらず、礼儀作法もなっていなかったと思います。
名フィルに就任したばかりのときは、みなさんに手取り足取りいろいろ教えていただきました。「こいつに賭けてみよう」「なんとかして育てるぞ」と、根気強く接してくださったんですが、まさかそのオーケストラの音楽監督をやるなんて、当時は思いもしませんよね。
ただ、礼儀作法はわかっていなくても、高校の吹奏楽部経験のおかげであいさつだけは元気よくできる若者でした。

音楽に対して常に謙虚で、失礼のないように

―― これまでに強く印象に残っているコンサートについて教えていただけますか。

いくつかありますが、まずひとつめはアシスタント・コンダクターとしてついていたPMFのコンサート。就任2年目のときだったかな? PMF創設者のバーンスタイン生誕100周年のアニバーサリーをお祝いするコンサートでした。指揮は尾高忠明さん、ソリストがピアニストの小曽根真さんで、プログラムはバーンスタインの交響曲第2番《不安の時代》。小曽根さんの技巧が光る箇所で、携帯電話が鳴ったんです。あれって経験したことのある方は分かると思いますが、めっちゃ目立ちます。アシスタント・コンダクターは客席で本番を聴いているのですが、お客さんのイライラが伝わってくる……。そんな不穏な空気が漂うなか、小曽根さんが奏でたカデンツァは、なんとその携帯電話から流れたメロディーのアレンジだったのです。とたんに客席の空気が変わって、フフって笑い声がもれました。
本番が終わったあと「あのカデンツァ、とてもかっこよかったです」と伝えたら、「携帯電話を鳴らした人はわざと鳴らしたわけじゃないし、“あれが鳴ったからこそオンリーワンの演奏会になったよね”って僕たちが示さないと、来てくれたお客さんがハッピーにならないでしょ?」と小曽根さんに言われました。あぁ、こういう音楽家になりたいなと強く思った瞬間です。
もうひとつは指揮者として。コロナ禍でしばらくコンサートがなくなったあと、ようやく「席数の50%ならお客さんを入れてもいいですよ」となったときのことは忘れられません。ホールに拍手が帰ってきた瞬間は、強烈な印象として残っています。それまで、演奏会の最初と最後に拍手があることは当たり前だと思っていました。だけどあのとき、それが当たり前じゃなくなった。そんな世界を経験して、ようやく拍手が帰ってきてくれて、涙が出るくらいうれしかったです。振り向いたらお客さんがいて、拍手してくれる……これは当たり前ではないんですよね。
―― コロナ禍のお話が出ましたが、以後ストリーミングの演奏会も一般的になってきました。川瀬さんとしては、クラシック音楽の配信公演をどう思われていますか?

やっぱり生で聴きに来てほしいですよね。いろんなことが便利になって、進歩している時代になったことはすてきなことなんですが、クラシックって生で聴くことが前提のジャンルだと思うんです。僕たちは究極のアナログ作業をやっています。今後もきっと、人と人が顔を合わせたり、同じ場所の空気を吸ったりすることは減ってくるんじゃないかなと思います。けれどやっぱり、「同じ空間で分かち合う仲間になるってすてきなことなんだぜ」と言いたいですね。そのためには我々演奏者側も門戸を広げておく必要があります。指揮者がステージ上で待っているだけの時代は終わったと思っているので、ステージを降りて、コンサート当日の朝に駅前でビラ配りなんかもしていますよ。
©Tomoko Hidaki
―― ビラ配り!

これがもう、本当に受け取ってもらえないんです(笑)。でも「あのお兄ちゃん指揮者なんだ、へー!」と思ってもらえたら、ホールへの道が一歩近づきますよね。ほかにも小学校などで出張授業もやっています。ひとりでも多くの方にコンサートホールへの扉を開いてもらうための努力は惜しみませんよ!
―― 今後の展望や目指している姿を教えていただけますか。

やりたいこと、やってみたいことはたくさんあるんですが、あまり大々的な夢というものはないかな。
“僕と音楽の関係”なんていうものは、簡単に壊れてしまうんですよ。たとえば僕が「こんなもんでいいや」と音楽をあきらめたら、オーケストラからの仕事も来なくなります。指揮者というものは、偉大なる作曲家たちと、偉大なる音楽家の集団に生かしてもらっている存在です。僕と音楽の関係に少しでも嘘があったら、それはもう僕が音楽をやっている資格はないわけです。だから、よそ見をせずにきちんと向き合って、僕と音楽の関係が常に正直でいられることが、なによりも重要なことかなと思っています。手を抜いた時点でこの関係は終わりになる。そこに嘘がないように生きていく努力をするのが目標です。音楽に対して常に謙虚で、失礼のないように。
―― たくさんのお話をありがとうございました。最後に、ららら♪クラブの読者にコンサートの楽しみ方を伝えるとしたら? 読者へメッセージをお願いします。

いまはSNSやショート動画などの情報があふれていて、僕が学生のころに比べて確実にクラシック音楽へのハードルは下がったと思うんですよね。でもなぜかコンサートホールに行く人は増えない。ホールに行って音楽を聴くということは、ただ耳で「音楽を聴く」ということ以上の体験をもたらしてくれます。空気が震えて耳が物理的に刺激される感覚だとか、意図的な「静寂」を体感することなんかは、ホールに来ないと体験できない。一度、その手のスマートフォンから離れて重い腰を上げて、お近くにある地域のホールへちょっとだけ足を延ばしてみてください。
もちろん、経験した上で動画の方がよかったらそれはそれでまったく問題ないと思うんですよ、僕としては。日常では味わえない感覚が“ここ”にはあるので、みなさんにその「非日常」を経験してもらえるように、我々は日々努力し、お待ち申し上げておりますよ。

<文・取材 浅井彩>
©Tomoko Hidaki

今後の公演情報

公演名 名古屋フィルハーモニー交響楽団 第527回定期演奏会〈運命に怒る〉
日時 10月11日(金) 18:45開演(18:00開場)
10月12日(土) 16:00開演(15:15開場)
会場 愛知県芸術劇場 コンサートホール
出演 [指揮]川瀬賢太郎
[チェロ]佐藤晴真
[管弦楽]名古屋フィルハーモニー交響楽団
プログラム ベートーヴェン(シュルホフ編):ロンド・ア・カプリッチョ ト長調 Op.129 《失われた小銭への怒り》
グルダ:チェロ協奏曲
ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調 Op.67 《運命》
チケット 全席指定:S席6,400円 A席5,200円 B席4,200円 C席3,200円 D席2,200円 Y席1,000円(25歳以下対象・当日券のみ)
詳細 詳細はこちらから
お問い合わせ 名フィル・チケットガイド
TEL: 052-339-5666

公演名 「夢いっぱいの特等席」福祉コンサート 名古屋公演
日時 10月15日(火)
11:00開演(10:00開場) ※完売
14:00開演(13:00開場)
会場 名古屋国際会議場 センチュリーホール
出演 [指揮]川瀬賢太郎
[管弦楽]名古屋フィルハーモニー交響楽団
プログラム ビゼー:歌劇《カルメン》 組曲より〈闘牛士〉
モーツァルト:セレナード第13番 ト長調 K.525 《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》より第1楽章
ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 Op.68より第1楽章(抜粋)
デュカス:バレエ音楽《ラ・ペリ》より〈ファンファーレ〉
ドラム・マーチ
チャイコフスキー:バレエ音楽《眠れる森の美女》 組曲 Op.66aより〈ワルツ〉
服部正:ラジオ体操第一
マスカーニ:歌劇《カヴァレリア・ルスティカーナ》 より〈間奏曲〉
外山雄三:管弦楽のためのラプソディ
チケット エリアを指定した自由席:500円
※午前の部:3階席後方、午後の部:2階席後方・3階席へ案内
※3歳未満は保護者ひざ上での鑑賞に限り無料
詳細 詳細はこちらから
お問い合わせ 名フィル・チケットガイド
TEL:052-339-5666

公演名 森の響フレンド名曲コンサート~すべての道はローマに通ず:ローマ三部作
日時 11月9日(土) 14:00開演(13:30開場)
会場 札幌コンサートホールKitara 大ホール
出演 [指揮]川瀬賢太郎
[管弦楽]札幌交響楽団
プログラム 【オール・レスピーギ・プログラム】
交響詩《ローマの噴水》、交響詩《ローマの松》、交響詩《ローマの祭り》
チケット 全席指定:SS席5,000円 S席4,000円 A席3,000円 U25割(A席)1,200円
詳細 詳細はこちらから
お問い合わせ 札幌交響楽団
TEL:011-520-1771

公演名 喜歌劇 「こうもり」~教文オペラプログラム 北海道二期会創立60周年記念公演
日時 11月23日(土・祝)、11月24日(日) 14:00開演(13:15開場)
会場 札幌市教育文化会館 大ホール
出演 [指揮]川瀬賢太郎
[管弦楽]札幌交響楽団
[演出]中村敬一
[芸術監督]三部安紀子

[バレエ]桝谷博子バレエスタジオ
[児童合唱]HBC少年少女合唱団    
[合唱]北海道二期会合唱団

【11月23日(土・祝)公演】    
[アイゼンシュタイン]宮本益光
[ロザリンデ]後藤ちしを
[アデーレ]前田奈央子
[ファルケ博士]岡元敦司
[アルフレード]荏原孝弥
[オルロフスキー公爵]岩村悠子
[フランク刑務所長]小野寺陸
[ブリント博士]青山壮汰
[イーダ]木幡周子
[フロッシュ]小橋亜樹

【11月24日(日)公演】    
[アイゼンシュタイン]西島厚
[ロザリンデ]亀谷泰子
[アデーレ]髙橋茉椰
[ファルケ博士]内田智一
[アルフレード]岡崎正治
[オルロフスキー公爵]三津橋萌子
[フランク刑務所長]中原聡章
[ブリント博士]長倉駿
[イーダ]新井田美香
[フロッシュ]小橋亜樹
プログラム J.シュトラウスⅡ:喜歌劇「こうもり」
全3幕〈ドイツ語歌唱・日本語台詞上演/日本語字幕付き〉
チケット 全席指定:SS席13,000円 S席11,000円 A席9,000円 B席7,000円 C席5,000円
詳細 詳細はこちらから
お問い合わせ 北海道二期会
E-mail:opera@hokkaido-nikikai.com
WEBサイト

公演名 札響の第9
日時 12月14日(土) 17:00開演(16:20開場)
12月15日(日) 13:00開演(12:20開場)
会場 札幌コンサートホールKitara 大ホール
出演 [指揮]川瀬賢太郎
[ソプラノ]迫田美帆
[アルト]藤木大地
[テノール]宮里直樹
[バリトン]萩原潤
[合唱]札響合唱団、札幌大谷大学芸術学部音楽学科合唱団 ほか
[合唱指揮]長内勲、大嶋恵人、中原聡章
[管弦楽]札幌交響楽団
プログラム フィンジ: 武器よさらば
ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 《合唱付き》
チケット 全席指定:S席6,500円 A席5,000円 B席3,500円 P席2,500円 U25割(A・B)1,500円
詳細 詳細はこちらから
お問い合わせ 札幌交響楽団
TEL:011-520-1771

公演名 クリスマス・スペシャル・コンサート2024
日時 12月24日(火) 18:45開演(18:00開場)
会場 Niterra日本特殊陶業市民会館 フォレストホール
出演 [指揮]川瀬賢太郎
[ソプラノ]高橋維
[バリトン]宮本益光
プログラム アンダーソン:クリスマス・フェスティヴァル
バーンスタイン:ミュージカル《キャンディード》より〈序曲〉、〈着飾って、きらびやかに〉
F.シュミット:歌劇《ノートル・ダム》より〈間奏曲〉
A.メンケン(大橋晃一編):ミュージカル《ノートルダムの鐘》より〈僕の願い〉
チャイコフスキー:バレエ《眠れる森の美女》よりワルツ
A.メンケン(大橋晃一編):ミュージカル《美女と野獣》より〈美女と野獣〉
ほか
チケット 全席指定:プラチナ席7,900円 S席5,200円 A席4,200円 B席3,200円 C席2,200円 D席1,600
円 Y席1,000(25歳以下対象・当日券のみ)
詳細 詳細はこちらから
お問い合わせ 名フィル・チケットガイド
TEL:052-339-5666

川瀬賢太郎(Kentaro Kawase)

1984年東京生まれ。私立八王子高等学校芸術コースを経て、2007年東京音楽大学音楽学部音楽学科作曲指揮専攻(指揮)を卒業。これまでに指揮を広上淳一、汐澤安彦、チョン・ミョンフンなどの各氏に師事。2006年に行われた第14回東京国際音楽コンクール<指揮>において1位なしの2位(最高位)に入賞。その後、東京交響楽団、読売日本交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団を始め、各地のオーケストラから次々に招きを受ける。2011年4月には名古屋フィルハーモニー交響楽団指揮者に就任、意欲的な選曲と若さ溢れる指揮で聴衆を魅了、2014年4月より2022年3月まで神奈川フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者を務めた。
海外においてはイル・ド・フランス国立オーケストラや、ユナイテッド・インストゥルメンツ・オヴ・ルシリン(ルクセンブルク)と共演。
オペラにおいても、細川俊夫作曲《班女》、《リアの物語》、モーツァルト作曲《後宮からの逃走》、《フィガロの結婚》、《コジ・ファン・トゥッテ》、《魔笛》、ヴェルディ作曲《アイーダ》などを指揮し、目覚ましい活躍を遂げている。
2015年渡邉暁雄音楽基金音楽賞、第64回神奈川文化賞未来賞、2016年第14回齋藤秀雄メモリアル基金賞、第26回出光音楽賞、第65回横浜文化賞文化・芸術奨励賞を受賞。
現在、札幌交響楽団正指揮者、オーケストラ・アンサンブル金沢パーマネント・コンダクター、東京音楽大学作曲指揮専攻(指揮)特任講師、三重県いなべ市親善大使。
2023年4月より名古屋フィルハーモニー交響楽団第6代音楽監督に就任。

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