icon-sns-youtube icon-sns-facebook icon-sns-twitter icon-sns-instagram icon-sns-line icon-sns-tiktok icon-sns-etc

音楽への探求から生まれた“情熱のピアニスト” 及川浩治(後編)

“情熱のピアニスト”のふたつ名を持つピアニスト、及川浩治さん。聴衆の心をつかむその熱い演奏の土台には、努力と学びによって裏付けられた、幼いころからの確かな積み重ねがありました。全国で3万5千人以上の動員を記録した、クラシック音楽界の伝説とも言われるツアー『ショパンの旅』をはじめ、その音楽はまさに唯一無二の存在です。  「昭和の教育」とご本人がおっしゃるピアノとの出会いから、冷戦時代に留学したブルガリアでの貴重なお話まで、及川さんと音楽にまつわるさまざまなお話を伺いました。
前編 からの続き
音楽への探求から生まれた“情熱のピアニスト” 及川浩治(後編)

名曲中の名曲をたくさん楽しんでもらいたい

―― ここからは、2023年9月16日(土)にサントリーホールで行われるソロコンサートについてお伺いします。数あるレパートリーからの選曲かと思いますが、非常に時代やバラエティーに富んだ印象を受けます。クラシックにあまり馴染みのない方でも知っている曲も多いかと思われますが、今回の選曲ポイントを教えてください。

今回は“名曲中の名曲”を心がけて選曲しました。どの曲にしようかと考えている中で、ベートーヴェンのソナタで他の曲をはさむサンドイッチ型を思い付きました。ベートーヴェンのソナタの中で有名な曲といえば、やはり《月光》と《熱情》ですよね。今回は冒頭と最後に持ってきました。
ピアノ曲で最も人気の高い作曲家はショパンですので、ショパンの作品の中からはよく知られている《華麗なる大円舞曲》と《英雄ポロネーズ》を選びました。そして《ワルツ第3番》は、数あるショパンの作品の中でも特に僕が気に入っている曲です。
また、リストの作品の中でも特に知られている《愛の夢 第3番》と《ラ・カンパネラ》を加え、そこにちょっとしたスパイス的に、スクリャービンの《悲愴のエチュード》とクライスラー=ラフマニノフの《愛の悲しみ》を入れてみました。
大ホールでの演奏会では、聴きにきてくださったお客さまができるだけ聴き覚えのある曲をプログラムの中に取り入れるよう、いつも心がけています。
ラ・カンパネラ

――《ラ・カンパネラ》はよく聴くリスト編曲版ではなく、ブゾーニ編曲版ですね。どちらかというとマイナーだと思いますが、なぜブゾーニ版を選ばれたのでしょうか?

若い頃から長いことオリジナル版を弾いてきましたが、実はずっとブゾーニの編曲を弾きたいと思っていたんですよ。リスト編曲版は2回レコーディングもしているので、その後、特に最近はもっぱらブゾーニ編を弾くようになりました。
ブゾーニはリストを深く敬愛していたピアニストで、編曲者としても超一流だったので、《ラ・カンパネラ》はブゾーニの手によってより魅力的な作品になっていると僕は思います。

―― ブゾーニ版の《ラ・カンパネラ》、リスト編曲に比べてしっとりというか、お洒落なアレンジですよね。

そうそう、とてもおしゃれなんです! いわゆるヴィルトゥオーゾ時代の、あのちょっとおしゃれなハーモニー、ああいう雰囲気、いいと思いませんか? 少し気だるそうな感じの、色気があるアレンジ。今回のプログラムには入れませんでしたが、たとえば《子犬のワルツ》もちょっとスローテンポでルバートをかけたりして、こう、おしゃれな感じに弾いたりするのも大好きです。

―― 今後も含めて、このようなアレンジ系をほかにも弾かれる予定はありますか?

©Yuji Hori
ああいった雰囲気のアレンジは、譜読みがとっても大変なんです(笑)。でもいつかはやりたいなと思っています。

―― ショパンの《ワルツ 第3番》が特にお気に入りとのことですが、及川さんはパッションあふれるイメージだったので、物静かで厳かな曲がお気に入りというのは意外でした。

“情熱のピアニスト”というふたつ名がついていたりするんですが、実は自称したことは一度もないんです(笑)。僕自身は中学生のころから静かでしっとりした曲が好きでした。ただ、コンクールの準備をするとなると、やっぱりこう映える曲になりがちじゃないですか。ベートーヴェンなら《熱情》とか、ショパンなら《バラード第4番》とか、あとはラヴェルの《夜のガスパール》とか。
僕は弾いている時の動きやアクションが大きいので、いつからか“情熱のピアニスト”と呼ばれ始めました。どっちかというと静かな曲の方が好きなんだけどな、と思いつつ、まぁ別に自分で言っているわけじゃないし、いいかなって(笑)。
これは僕の考え方というか、言われてみれば当たり前のことなんですが。算数で一桁の足し算引き算を理解できていないのに、関数や微分積分などができるわけないじゃないですか。音楽もそれと同じことで、音の少ない、ゆっくりした曲が上手に弾けなければ、速くて音の多い曲が上手に弾けるわけがない。当然と言えば当然ですが、意外と浸透していないような気がします。指を早く回すことはできるけど、例えば《エリーゼのために》のようなシンプルなものは苦手、みたいな感じでしょうか。

―― 確かにそうですね。シンプルな分、ごまかしも効きません。

なので、テンポが速い曲でもゆっくり練習する時間が多いです。やっぱり音楽は“音を次の音にどう繋げていくか”というところが肝で、音楽の基本ポイントだと思っています。
コンサートでもしっとりしたゆっくりの曲もたくさん弾きたいという気持ちは、正直に言うとあります(笑)。だけど緩急をつけないとお客さまもつまらないだろうし、チラシやプロフィールにも“情熱のピアニスト”って書かれちゃっていますから、なんか情熱的な曲もちょっと弾かなきゃいけないのかな、みたいな(笑)。

そんなことも考えながらプログラムを決めています。あとは静かな曲ばかり弾いていると、どうしても筋肉が衰えていくという問題もあります。

―― そこでベートーヴェンの《熱情》が出てくるわけですね。

そうですね(笑)。若い時からコンクールやリサイタルでたびたび演奏してきた曲です。ベートーヴェンのソナタの中でも、演奏効果と深い内容を持った、傑作中の傑作。きっとお客さまイメージとしても、「及川浩治は《熱情》」みたいなものがありますよね。“情熱のピアニスト!”ってうたい文句なのに、緩やかなテンポの曲しかプログラムに無くて「あれ?」って思われても申し訳ないですし。

でもやっぱり先ほどの「ゆっくりした曲」の話にあったとおり、子どものころからいわゆる“緩徐楽章”が好きでした。だから《熱情》も第2楽章が一番好きです。ただ、やっぱり練習量が多くなるのはどうしても第1楽章と第3楽章ですが、弾くのが好きなのは緩徐楽章だなぁ。

舞台上も観客も、すべてが静止してしまうくらいの名演

―― これまでにも多くのコンサートに出演、また行かれたと思いますが、強く印象に残ったコンサートについて教えてください。

©堀田力丸
たくさんありますが、20代のころ、パリのサル・プレイエルで聴いたクラウディオ・アバド指揮、ベルリン・フィルによるマーラーの交響曲第9番の演奏は忘れられません。

終楽章のアダージョが静かに終わった時、会場にいる観客全員がその演奏のすばらしさに胸を打たれ、拍手することもできませんでした。最後の音が消えてもその余韻がずっと続いているかのような、奇跡的な無音状態が何十秒も続いたんです。永遠に拍手ができないのではないかという空気でした。だれかがパン! と音を出すまで、聴衆全員が微動だにできない状況にありました。

その後、徐々に皆が我に帰り少しずつ拍手が大きくなって大歓声に包まれましたが、アバドもベルリン・フィルの団員も、まるで祈りを捧げているかのごとくピクリとも動きませんでした。長くそういう時間が続いて、アバドが指揮棒をおろしたあとも、演奏者達の祈りのような瞑想の時間が続きました。あの名演は今でも忘れることができません。

―― お話からとてつもない緊張感が伝わってきます。

その後、アバド指揮のいろんなマーラー第9番をCDや映像で聴きましたが、それがどんなにすばらしい演奏であっても、生で聴いたあの感覚は再び戻ってはきませんでした。
演奏とは一期一会であり、真の名演のすごさを感じるのは、間違いなくその場にいた人たちだけだったと思います。

音楽家にとって特別な場所、空間

―― 毎年サントリーホールで公演をされていますが、やはりサントリーホールの舞台は特別なものに感じるのでしょうか? サントリーホールの舞台ならではの印象や感触を教えてください。

日本にはたくさんのすばらしい音楽ホールがありますが、その中でもサントリーホールは、僕だけでなくあらゆる演奏家にとって、もっとも特別なホールだろうと思います。学生のころ、よくサントリーホールに一流の演奏家の演奏を聴きに行きました。
初めてサントリーホールの舞台で演奏した時の感激は、今でもよく覚えていますね。サントリーホールには、数々の名演の“痕跡”がホールの中に記憶として染み込んでいるような、そんな印象を受けました。
自分がこのステージに立っていることが現実なのか夢なのか……そんな気持ちでリハーサルをしていました。特別なインスピレーションを僕に与えてくれる、最高のホールです。
©Yuji Hori
―― さまざまなお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。最後に、コンサートへ足を運ぶ読者に向けてメッセージをお願いします

今はいろんな音楽の楽しみ方があると思います。でも、その場でしか味わえないライブの空気感もあると思うんです。それをその場にいる人たちで共有できる空間が、ライブだと思うんです。

どんなに科学が進歩しても、芸術だけはやっぱり人間のみが生み出せるものではないでしょうか。僕が演奏するということは、作曲家の作品を「及川浩治のフィルター」を通して皆さんに聴いていただくということになります。コンサートというのは、その偉大な作曲家たちが残していった、人類の遺産ともいえる作品を皆さんと共有する場だと思うんです。
動画サイトやストリーミングで簡単に音楽が聴ける時代ですが、やっぱり生のものは絶対に廃れないと思いますし、どんなにいい機材で録音しても、生の音にはかなわないと僕は考えています。

音楽って、空気の振動じゃないですか。空気が存在する地球上でしか味わえないものなんですよね。それを一緒に楽しんだり共有することができれば、それはもう演奏する側としては本当にありがたいことですし、本当に心からうれしくて、僕の喜びになります。そのために、今日まで演奏しているという感じですね。

(取材・文・構成 浅井彩)

今後の公演情報

音楽への探求から生まれた“情熱のピアニスト” 及川浩治(後編)
公演名 りゅーとぴあ・1コイン・コンサート Vol.126 「深みのある音色“チェロ”」
日時 7月20日(木) 11:30開演(10:45開場)
会場 りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館
日時 7月20日(木) 11:30開演(10:45開場)
出演 [チェロ]笹沼樹
[ピアノ]上田晴子
プログラム ラフマニノフ:2つのサロン風小品〈ロマンス〉〈ハンガリー舞曲〉
フランク:ヴァイオリンソナタ(チェロ編曲版) ほか
チケット 全席自由:500円
※チケットレス・当日会場にて直接支払い
詳細 こちらから
お問い合わせ りゅーとぴあチケット専用ダイヤル
TEL:025-224-5521(11:00~19:00)

及川 浩治(Oikawa Koji)

4才からピアノを始める。1984年ヴィオッティ・ヴァルセイジア国際音楽コンクールで第1位受賞。1985年、国立音楽大学に入学。翌1986年にブルガリア国立ソフィア音楽院に留学。1987年にアレクシス・ワイセンベルクの公開セミナーに参加し、ワイセンベルク本人の意向により設けられた最優秀特別賞を受賞、練習用のグランドピアノを授与された。1990年にマルサラ国際音楽コンクールにおいて第1位受賞。また同年、第12回ショパン国際ピアノコンクールにおいて最優秀演奏賞(Honourable mention)を受賞。1992年、日本国際音楽コンクールにおいて第2位を受賞している。
1995年にサントリーホールにてデビュー・リサイタルを行い、同年ラムルー管弦楽団定期演奏会(佐渡裕指揮、サル・プレイエル)に招かれパリ・デビューを飾る。1997年よりミュージック・シェアリング(旧みどり教育財団)による「レクチャー・コンサート」でヴァイオリニスト五嶋みどりと全国各地の小学校、養護学校などで演奏。1998年、札幌PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)に出演。1999年のショパン没後150年には、「ショパンの旅」というタイトルのコンサート・ツアーを行ない3万5千人をも動員する ショパン・イヤー最大規模のイベントとなった。2002年6月ワイマール州立歌劇場管弦楽団の日本ツアーソリスト、2003年7月にはPMFオーケストラのソリストとして、2004年には佐渡裕ヤング・ピープルズ・コンサートのゲストとして、全国各地で演奏。2005年サントリーホールで行なわれた「デビュー10周年記念コンサート」は満席となり大成功を収め、2008年~2011年には東京・大阪での同時プロジェクト「及川浩治10大協奏曲シリーズ」に取り組むなど人気・実力共に日本を代表するピアニストである。
2013年モスクワ・フィルハーモニー交響楽団、2014年ベルリン交響楽団、2015年ロシア国立交響楽団の各来日公演にてソリストとしてピアノ協奏曲を共演。また2015年2月にテレビ朝日系列「題名のない音楽会」に出演し、ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第3番」を熱演したことは記憶に新しい。
ダイナミックな中に繊細さをも併せ持ち、内面にダイレクトに訴えかける及川の演奏は多くの絶賛の声とともに幅広い層の共感を得ている。児玉邦夫・幸子、吉本美南子、コンスタンティン・ガネフ、ジュリア・ガネヴァ、ジャン=マルク・ルイサダの各氏に師事。現在、宮城学院女子大学音楽科特任教授。
CDはショパン、ベートーヴェン、リスト、ラフマニノフなどの作品集をリリースし、いずれも高い評価を受けており、『ベートーヴェン:悲愴、熱情、ワルトシュタイン』と『ショパン:バラード』は「レコード芸術」誌特選盤に選出されている。

オフィシャルサイト

SHARE

旧Twitter Facebook