
15歳で単身ドイツへ渡り、その後も第一線で活動を続けているヴァイオリニスト、﨑谷直人さん。神奈川フィルハーモニー管弦楽団での活躍はみなさんご承知のとおりですが、ウェールズ弦楽四重奏団やDos dell Fiddlesでも常に話題を呼ぶ、革新的な活動をされてきました。
実は最初はヴァイオリンではなかったという音楽との出会いから、過酷を極めた10代の音楽生活、その後室内楽やオーケストラへ拠点を移すまでの心境の変化など、﨑谷さんの人生をさかのぼりつつ、お話を掘り下げていきます。
音楽との出会い
―― ヴァイオリンとの最初の出会いは、どんなきっかけだったのでしょうか?
幼稚園のころ、エレクトーン教室に通っていたのです。そこでは、段ボールなどで好きな楽器を工作して、音楽に合わせて弾き真似をするというお遊戯会のような活動がありました。父と一緒にヴァイオリンの形を作って、音楽に合わせて動かしてみたのが、最初の「演奏体験」だったと思います。
なぜヴァイオリンを選んだのかはよく覚えていませんが、たぶん絵や説明を見て、形に惹かれたんでしょうね。

―― 実際にヴァイオリンを弾き始めたとき、すぐに音が出せたとうかがいました。
そうですね。おそらく絶対音感があったのも関係していると思いますが、指を置く場所が自然とわかるような感覚がありました。最初からある程度弾けていたような記憶があります。
―― 小学校低学年からは、ヴァイオリン漬けの毎日だったそうですね。大変さをどう乗り越えていたのでしょうか?
一番の支えは、学校生活がすごく楽しかったことです。ヴァイオリンの練習は厳しくて、家に帰ったらすぐに練習という日々でしたが、学校ではごくふつうの少年でした。友だちとアニメの話をしたり、体育の時間にバスケットボールをしたり。
ちょうど、漫画『スラムダンク』が流行っていた時期で、バスケは特に好きでしたね。ポケモンやミニ四駆も流行っていて、みんなで遊ぶのが楽しかったです。
―― 練習時間はかなり長かったのでしょうか?
はい、かなり長かったです。レッスンの回数も多くて、いまの時代なら“ライフ・ワーク・バランス”の観点で問題になるかもしれません(笑)。
コンクールやマスタークラスで海外に行くこともあり、出席日数が足りなくなってしまうので、公立ではなく近くの私立小学校に通っていました。先生たちがとても理解のある方々で、コンクールの活動を出席扱いにしてくれたり、臨機応変に対応してくださったおかげで続けることができました。
―― そんな日々の中で、心を揺さぶられた音楽体験はありましたか?
小学生のころ、初めて「ヴァイオリニスト」を意識したのは、イツァーク・パールマンやお若いころの五嶋みどりさんの存在でした。CDもよく聴いていましたし、みどりさんのパガニーニの録音は名盤ですよね。
もう少し大きくなって中学生くらいのときには、樫本大進さんがサントリーホールで演奏したヴィヴァルディの《四季》が、とても印象に残っています。バックの楽団がどこだったかは思い出せないんですが、とにかくかっこよかった。大進さんとはザハール・ブロン先生の門下生としては入れ違いだったので、当時直接交流することはありませんでしたが、あこがれの存在でした。
海外での修行
―― 15歳で単身渡独されたとのことですが、当時の生活はどのようなものでしたか?
中学校を卒業してすぐ、ドイツのケルンに渡りました。すべてが初めての経験で、家具を買うことから生活に必要なものをそろえることまで、しかもそれを異なる言語でこなさなければならないというのは大変でしたね。周囲の留学生は大学生が多く、年齢差もあってなかなか馴染めませんでした。
でも逆に、子どもだったからこそ怖がらずに挑戦できたことも多かったと思います。空港でのやりとりや税関での対応など、いまなら緊張するような場面でも、当時は自然に乗り越えていました。スマホもなく、スカイプがようやく使えるかどうかという時代。インターネットカフェまで行ってやっと連絡を取っていたころです。

―― 語学の習得はスムーズにできましたか?
ドイツ語は学校での授業に加えて、住んでいた家のオーナーが日本料理店を経営していたこともあって、レストランで料理を運んだり、厨房の方々と話したりするなかで自然と身につきました。トルコやネパールなど、さまざまな国籍の方々と交流する機会があり、人生観が広がったように思います。
―― ケルンという街にはどんな印象を持たれましたか?
ケルンは近代的な街で、大聖堂以外は戦争で焼けてしまった建物も多く、歴史的な雰囲気はあまり感じませんでした。隣町のデュッセルドルフには日本企業が多く、日本のビデオショップもあって、2週間に1度くらい通っては日本のドラマを観ていました。そのせいか、日本から離れているという感覚はあまりなかったですね。
―― その後、パリへと拠点を移されました。ジェラール・プーレ先生との出会いはどのようなものだったのでしょうか?
ケルンで音楽と向き合いきれていない自分を見て、日本でお世話になっていた楽器屋さんが「もったいない」と言ってくださり、フランスのディーラーを通じてプーレ先生を紹介していただきました。先生のもとで学べたことは本当に大きかったです。
―― ブロン先生とプーレ先生、それぞれの教えにはどんな違いがありましたか?
ブロン先生は、非常にロジカルにヴァイオリンを教えてくださる方で、いまでもそのメソッドは自分の中に生きていますし、尊敬の気持ちを強く持っています。ロジカルだけど音楽的なんです。ただ、コンクールにも力を入れておられたので、自分はその世界で勝ちきれなかったという感覚が残っています。
一方で、プーレ先生は「美しい音楽を奏でること」に重きを置いていて、誰かと比べるのではなく、純粋にヴァイオリンを愛する姿勢を教えてくださいました。プーレ先生は日本とフランスを行き来しておられるので、いまもときどきレッスンにいくこともあります。もうわたしも40歳近いですし、さすがに敵うだろうと思ってレッスンに行くんですが、やっぱり先生はずっと高いところにおられて、まったく追いつけませんね。
―― さらにロラン・ドガレイユ先生との出会いもあったのですね。

はい、パリ市立音楽院でドガレイユ先生に師事しました。先生はオペラ座やパリ管弦楽団のコンサートマスターを長く務められた方で、アンサンブルやオーケストラの世界の魅力を教えてくださいました。
ある日、レッスンの直後に「今晩、リヒャルト・シュトラウスの《英雄の生涯》を弾くから聴きに来る?」と言われて聴きに行ったのですが、夕方までふつうにレッスンしていた先生が、壮大なソロを奏でる姿に衝撃を受けました。それまでの「ヴァイオリン=ソリスト」という固定観念が崩れ、コンサートマスターという職業がリアルに感じられるようになった瞬間でした。
―― その経験が、後の室内楽やオーケストラ活動につながっていったのですね。
そうですね。当時はヴァイオリンといえばソリスト教育が主流で、オーケストラを目指すという選択肢は少なかった時代でした。でも、ドガレイユ先生の姿を見て「こういう生き方もあるんだ」と思えたことは、自分にとって大きな転機でした。
仲間との音楽づくり

―― 帰国後、ウェールズ弦楽四重奏団を結成されました。弦楽四重奏の魅力と難しさについて、どのように感じていらっしゃいますか?
弦楽四重奏は、単発の演奏会で集まるのと、何年もかけて継続するのとでは、難しさの質がまったく違います。ウェールズ弦楽四重奏団は来年で20周年を迎えるのですが、「長く続ける」ということが一番難しいですね。メンバーの交代やさまざまな苦労もありましたが、これまでカルテットに関わってくれたすべての人に感謝しています。
―― スイスのバーゼルへカルテットで留学されていますね。スイスでの生活はいかがでしたか?
バーゼルはドイツ語圏だったので、生活面では比較的スムーズでした。街は美しくて物価は高く、裕福な印象がありましたね。音楽的にも刺激的な環境で、クリスティアン・ツィンメルマンさんやマリア・ジョアン・ピリスさん、ライナー・シュミット先生など、著名な演奏家が近所に住んでいたりして、ヨーロッパの交通の中心地として多くの交流がありました。
バーゼルからはヨーロッパのどこにでも行けるので、バーゼルに拠点を確保している音楽家が多いんです。
―― 印象的な出会いはありましたか?
ある演奏会で、男子プロテニス選手のノバク・ジョコビッチに出会ったことがあります。スポーツと芸術が自然に交差していて、垣根がないのが印象的でした。バーゼルは、音楽だけでなく人との交流が人生を広げてくれる場所だったと思います。
―― ライナー・シュミット先生のレッスンでは、どんな学びがありましたか?
ヴァイオリンというよりも、音楽そのものの考え方、楽譜との向き合い方、作品へのアプローチなど、いまの自分の礎になっているのはバーゼルでの数年間です。常に4人で音楽を作るという環境の中で、他者の動きや反応を理解しながら音楽の仕組みを学ぶことができました。
―― カルテット活動には人間関係の難しさもあると思いますが、その点はいかがでしたか?
もちろん悩みはありました。留学中にもメンバーが変わったり、帰国後にも再編があったり。20代半ばから後半にかけては、生活や仕事の方向性で意見が分かれることもありました。自分自身もヨーロッパに残る選択肢がありましたが、カルテットを続けることを最優先にして帰国しました。
―― カルテットだけで生きていくというのは、いまの時代では難しい選択ですよね。
そうですね。70〜80年代にはカルテットだけで活動していた方たちもいましたが、いまは現実的に厳しい。わたしはヨーロッパに渡った時点で「カルテットで食べていこう」と決めていましたが、現実とのギャップに悩みながらも、どう続けていくかをメンバーと話し合い続けました。
―― 時代の変化も大きかったですね。
わたしたちの世代は、ソリスト教育の最後の世代だったと思います。以前は「ソリストか、それ以外か」という二項対立が強かったように思います。カルテットの活動にしても、「カルテットだけで食べていけるようにするべきだ、オーケストラの団員になってしまったらもうカルテット奏者じゃない」みたいな論調もありましたからね。その狭間にいたからこそ、葛藤も多かったですね。
いまの若い世代の方々はソリストであっても、室内楽をやったり、自分でフェスティバルを主催したりするなど、活動の幅が広がっていますね。

―― コンサートマスターとしての活動も、その流れのなかで生まれたのでしょうか?
はい。自分にできることを一生懸命やると決めていました。
樫本大進さんがベルリン・フィルのコンマスになったことは大きな影響でした。コンサートマスターというポジションが、ソリストに匹敵する仕事なのだということを、日本の聴衆にも示してくれたと思います。
演奏家としてのいま
―― 神奈川フィルハーモニー管弦楽団でのコンサートマスター時代は、どのような日々だったのでしょうか?
振り返ると、すべてが大変でしたね。年間60〜70本ほどの本番をこなしていたと思います。とにかく「やれることは全部やろう」と決めていたので、演奏だけでなく、室内楽やソロにも積極的に取り組みました。
帰国後、いくつかのオーケストラからお話をいただいていたのですが、日本で最初に正式に依頼してくださった神奈川フィルに決めました。26歳くらいで始めたころは、自分が一番若くて、どう接していいかもわからず戸惑うことも多かったです。でも、ウェールズの演奏会に足を運んでくださったり、室内楽での共演を通じて団員のみなさんと少しずつ信頼関係を築いていきました。
 
―― 指揮者なしの定期演奏会も担当されたそうですね。
はい。3年目くらいから、年に1回、指揮者なしで定期演奏会を任せてもらえるようになりました。きっかけは、当時の常任指揮者・川瀬賢太郎さんから「指揮者なしでやってみない?」と声をかけていただいたことです。ハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンの《運命》なども指揮者なしで演奏しました。プログラムのテーマ決めからリハーサルの進行まで、すべて自分で担うというのは大きな経験でしたね。特に弦楽器のみなさんが本当にうまくサポートしてくださって、感謝しています。
―― 現在は多方面で活動されていますが、今後力を入れていきたい分野や関心のあるジャンルはどんなことでしょうか。
もし機会があれば、またコンサートマスターもやってみたいと思っています。ただ、いまは音楽以外の分野の人ともちゃんとつながっていたいという思いが強くて。自分で小さなレーベルを立ち上げて、CD制作にも取り組んでいます。ソリスト、オーケストラ奏者、室内楽奏者などの垣根をなくして、「ヴァイオリニスト」として活動していきたいというのがいまのスタンスです。
―― 音楽を通じた社会との関わりも意識されているのですね。
来年度から、沖縄で終末期医療(看取り医療)を始められるアマチュアのヴァイオリニストである医師の方と連携して、福祉活動に取り組む予定です。ホスピスのような施設で、患者さんだけでなく、看護師さん、ご家族、ご遺族の方々に向けて音楽を届けるというプロジェクトです。
介護や医療の現場では、ケアする側の方々がメンタル的に疲弊してしまうことも多いと聞きます。だからこそ、音楽が「ありがとう」と言ってもらえるような存在でありたい。その人にとって「ありがたい音」とは何か―― それを考えながら演奏することが、いまの自分のテーマです。
また、小学生や学生さんと接する機会も増えているので、コンクールや受験といった「勝ち負け」だけではない音楽の価値を伝えていきたいと思っています。
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ヴァイオリン・デュオユニット「DOS DEL FIDDLES」
―― 石田泰尚さんとのユニット「DOS DEL FIDDLES」は、どのような経緯で結成されたのでしょうか?
出会いは神奈川フィルで、僕がコンサートマスター候補としてゲスト出演したときでしたね。石田さんとはその後も何度も共演する機会があり、音やタイミングなど、彼の魅力をよく知っていたので「なにか一緒にやってみようか」と自然な流れで話が進みました。
―― ユニット名「DOS DEL FIDDLES」の由来は?
名前はマネージャーが考えてくれたものです。スペイン語っぽい響きですが、特に厳密な意味はなく、ジャンルレスな活動を意識して、ヴァイオリンではなく「フィドル」という言葉を選びました。クラシックだけでなく、ポップスや歌謡曲、ロックのアレンジなども演奏することで、ヴァイオリンやクラシック音楽の入り口になれたらという思いがあります。
―― CDジャケットのデザインも印象的ですね。
そうですね。ウェールズでのベートーヴェン全集など、正統派のイメージが強かったので、DOS DEL FIDDLESでは少し違う一面を見せたいという気持ちがありました。音色にはこだわりつつ、ジャンルを超えて美しくヴァイオリンを奏でることを大切にしています。
 
―― ファン層にも広がりがあるようですね。
NHK番組のクラシック倶楽部でわたしたちの演奏を見てくださった方が、2週間後にウェールズのベートーヴェン全曲演奏会に来られたこともありました。初心者の方が「なにこれ、すごい」と感じてくれて、そこからクラシックに興味を持ってくれるのは本当に嬉しいことです。
―― 11月12日(水)に行われる「ららら♪プレミアムコンサート Vol.2 Duo Fest. ~ Beyond Classics ~」では、実質「トリオ」編成になるそうですね。
はい。常にゲストを迎えて、ピアノやギター、ベースなど、編成によってカラーが変わるのがDOS DEL FIDDLESのおもしろさのひとつです。今回は作曲家・妹尾武さんとの共演で、ゴスペラーズの《永遠に》などを演奏します。作曲者本人と共演できる機会は貴重ですし、クライスラーの作品もDUO版にアレンジして演奏予定です。
―― 﨑谷さんが考えるヴァイオリンデュオの魅力とは?
カルテットやオーケストラとは違い、ふたりだけの世界なので、リスペクトがなにより大切です。石田さんの良いところを10個言えと言われたらすぐに言えるし、きっと彼も同じだと思います。神奈川フィルでの9年間の共演を通じて築いた関係性が、いまの活動の土台になっています。
―― 活動方針はどのように決めているのですか?
基本的にはわたしが「これをやろう」と提案して、マネージャーと調整しながら進めています。石田さんからノーと言われたことはありませんし、彼のアイデアも自然な会話のなかから生まれてきます。ファーストとセカンドのパート分けもわたしが担当していて、演奏会ごとにカラーが変わるのが楽しいですね。
―― おふたりの関係性はどんなものでしょうか?
わたしは石田組の組員ではないので、プライベートでは会いませんよ(笑)。でも、DOS DEL FIDDLESの活動ではご飯を食べながら雑談するなかで次の企画が生まれたり、お互いの演奏を褒め合ったりしています。彼は筋の通った人で、良いと思ったことは素直に認めるタイプ。わたしもそういうところがあるので、似ている部分があると感じています。
―― 多くのお話をありがとうございました。最後に、この記事を読んでくださる方、そしてコンサートに足を運んでくださるみなさまへメッセージをお願いします。
まず、この演奏会に声をかけていただけたことが本当に光栄です。いまをときめく奏者がたくさん出演されるので、わたしたちの演奏だけでなく、すべてのステージが魅力的だと思います。自分自身も楽しみにしていますし、ぜひ演奏会そのものを思いきり楽しんでいただけたらうれしいです。
<文・取材 尾崎羽奈>
今後の公演情報
 
| 公演名 | ららら♪プレミアムコンサート Vol.2 Duo Fest. ~ Beyond Classics ~ | 
|---|---|
| 日時 | 11月12日(水) 19:00開演(18:00開場) | 
| 会場 | 東京文化会館 大ホール | 
| 出演 | 【DOS DEL FIDDLES with SENOO】 石田泰尚[Vn.] × 﨑谷直人[Vn.] with 妹尾武[Pf.] 【MIZUTANI×TAIRIK】 水谷晃[Vn.] × TAIRIK[Vn. Va.] 【NARITA×LEO】 成田達輝[Vn.] × LEO[箏] 【SATO×KOBAYASHI】 佐藤晴真[Vc.] × 小林海都[Pf.] [司会]笠井美穂 | 
| プログラム | 【DOS DEL FIDDLES with SENOO】 クライスラー:ジプシー奇想曲 妹尾武:永遠に ほか 【MIZUTANI×TAIRIK】 スメタナ:連作交響詩《我が祖国》より〈モルダウ〉 TAIRIK:ロックビオラ ほか 【NARITA×LEO】 吉松隆:双魚譜 坂本龍一:Solitude ほか 【SATO×KOBAYASHI】 ラヴェル:《ヴァイオリンソナタ ト長調》より第2楽章〈Blues〉 ヴィエニャフスキ:スケルツォ・タランテラ Op.16 ほか | 
| チケット | 全席指定:S席7,800円 A席6,800円 A席5,800円 | 
| 詳細 | 詳細はこちらから | 
| お問い合わせ | ウドー音楽事務所 TEL:03-3402-5999(月・水・金 12:00~15:00) | 
﨑谷直人(Naoto Sakiya)
1998年ノボシビルスク国際コンクールジュニア部門第1位、メニューイン国際コンクールジュニア部門第3位を獲得し、ケルン音楽大学に最年少15歳で入学。その後パリ市立音楽院、桐朋学園ソリスト・ディプロマコースを経て、バーゼル音楽院修了。
2006年にウェールズ弦楽四重奏団を結成。第1ヴァイオリン奏者として、ミュンヘン国際コンクール弦楽四重奏部門、大阪国際室内楽コンクール弦楽四重奏部門にて各3位を獲得。メナヘム・プレスラー、アレクサンダー・ロマノフスキー、ポール・メイエ、ミッシャ・マイスキー各氏ほか、多くのトップアーティストらと室内楽を共演。また、サントリーホール、王子ホール、hakujuホール、紀尾井ホール、第一生命ホール、iichiko総合文化センター等、国内有数のホールに招かれる。
2014年より8年間、神奈川フィルハーモニー管弦楽団ソロ・コンサートマスターを務めた。これまでに、東京フィル、京都市交響楽団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団、バーゼル交響楽団、ノボシビルスク・フィル等とソリストとして共演。日本センチュリー交響楽団、読売日本交響楽団、NHK交響楽団など、全国のオーケストラに客演コンマスとして出演。
ヴァイオリンを、原田幸一郎、ザハール・ブロン、ジェラール・プーレ、ロラン・ドガレイユ、ダニエル・ゼペック各氏に、弦楽四重奏をライナー・シュミット氏(ハーゲン四重奏団)に師事。
現在は、ウェールズ弦楽四重奏団、石田泰尚とのヴァイオリンユニット“DOS DEL FIDDLES”などで幅広く活動し、全国のオーケストラに客演コンサートマスターとして多数出演している。
これまでに、ウェールズ弦楽四重奏団として、進行中のベートーヴェン弦楽四重奏曲全集を含む8枚のアルバム(fontec)と、DOS DEL FIDDLESとして、『DOS DELL FIDDLES-LIVE-』(日本コロムビア)をリリース。
2022年10月にバッハ無伴奏曲を中心とした自身初となるアルバム、『destined for…BACH』(fontec)をリリースし、レコード芸術 特選盤に選出されるなど、各誌で高い評価を得る。2023年11月には、『ブラームス ヴァイオリン・ソナタ全3曲』(fontec)をリリース、12月には自身が代表を務める新レーベル kKy recordsより『Re: Vivaldi』をリリースし、レコーディング活動にもますます意欲的に取り組んでいる。最新作は2025年1月リリースのミニアルバム『Tchaikovsky “Peace Piece”』(kKy records)。
使用楽器は、G.B.Rogeri 1697年製、および(株)シーエヌコーポレーションエイフクより貸与されているSanto Serafin 1739製。
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