
「音楽って、楽しいんだな」—— その瞬間から、すべてが動き出した。
祖母に贈られた小さなヴァイオリンから始まったTAIRIK(たいりく)さんの音楽人生。挫折と再起を経て、ユニット「TSUKEMEN」のメンバーとして17年、クラシックの枠を超えた表現を追求してきました。いまではヴァイオリンとヴィオラを携え、オリジナル曲や海外公演を通じて“音楽の楽しさ”を届ける存在に。
2025年11月に行われる「ららら♪プレミアムコンサート」では、盟友・水谷晃とのデュオで唯一無二の響きを奏でます。その舞台裏と音楽への想いを紐解きます。
音楽人生について
―― ではまず、これまでの音楽人生についてうかがっていきたいと思います。ヴァイオリンとの出会いから教えていただけますか? もしピアノなどほかの楽器との出会いが先にあれば、そちらもぜひ。
ヴァイオリンが最初ですね。物心つく前、3歳くらいのときに、すごく小さなおもちゃみたいなサイズのヴァイオリンを祖母が買ってくれたんです。32分の1か16分の1か……忘れましたけど、本当に小さな楽器でした。そのころは千葉に住んでいて、特に練習することもなく、ただ持っていたという感じです。
4歳くらいのときに長野県の諏訪市に家族で引っ越しました。
引っ越した先のすぐ近所に「片倉館」という施設がありました。ちなみにそこには“千人風呂”という有名なお風呂があって、立った状態で千人入れるらしいですよ(笑)。その片倉館の2階に音楽院があって、そこで佐藤真理子先生のレッスンを受け始めました。天満敦子先生もその音楽院で教えていて、後にレッスンを受けることもありました。
いまから考えると錚々たる方々が指導していたのですが、音楽院の支配人が「ちゃんとした先生を呼びたい」という考えだったようで、すごい先生方が集まっていたらしいです。そんな環境で、細々とヴァイオリンを始めました。
―― 気づいたらヴァイオリンを持っていた、という感じですね。
そうですね。ただ、いわゆる英才教育を受けていたわけではなくて、小さいころは「このまま続けるのかな?」くらいの気持ちでやっていました。
その後も副科でピアノをやることになりましたが、しっかりみっちり習ったわけでもありません。始めたときも、高校・大学受験のときも、すべての試験をバッハの《インヴェンション第1番》でしのいだぐらいです(笑)。弾き始めのフレーズ“ドレミファレミド”の男って言われていました。
唯一、自発的に練習したピアノ曲があって、それが『ファイナルファンタジーX』の〈ザナルカンドにて〉なんです。ゲーム音楽に惹かれて、初めて「弾いてみたい」と思った曲でした。
―― ヴァイオリンの方はどうでしたか?
当時はYouTubeなどの動画サイトもなかったし、周りのレベルも分からなかった。コンクールにも出たことがなくて、田舎だったので、みんな優しい子ばかりでした。
学校の音楽会で鉄琴や木琴を使う場面があって、「ヴァイオリンを弾けるならそれで弾いてみて」と言われ、初めて学校に持っていったんです。田舎ゆえに誰もヴァイオリンを見たことがなかったので、楽器ケースを持っていくだけで「すごい!」ってなって(笑)。調弦しただけで「天才じゃないか!」って言われて、そんな環境だったからこそ「これが自分のアイデンティティかも」と思い始めてしまったんです。
でも高校で東京音大付属に進学して、周りのレベルを知って「天才じゃなかった……むしろ落ちこぼれだった」と気づいてしまった。高校1〜2年生のころは本気でヴァイオリンをやめようかと思っていました。
―― そんな時期があったんですね。
はい。どんな人でも予選は通るようなコンクールでもふつうに落ちていて、「これはもう潮時かも」と思っていました。
そのときの演奏を聴いていた父が長野に連れ帰ってくれて、霧ヶ峰の美ヶ原高原にドライブに行ったんです。そして「ここでヴァイオリンを弾いてみろ」と。屋外だし恥ずかしさもありながら弾いてみたら、帰り際に「もうちょっとだけ頑張ってみるか」と言われて。その言葉がきっかけで、「もう少し頑張ってみようかな」と思い始めました。挫折は多かったですが、なんとか続けてきました。
その後、演奏家や作曲家の録音をたくさん聴くようになって、自発的に音楽と向き合うようになりました。最初はハイフェッツくらいしか知らなかったんですけど、多くの演奏を聴くようにしていました。ヴァイオリンも正直高校から本気で始めたようなものなので、周りと比べてスタートが遅くて苦労しましたが、どうにか続けて桐朋音大に進学しました。
桐朋音大では藤原浜雄先生のもとで学んでいたのですが、そのときに仲良くなったのが同級生のピアニスト・SUGURUです。
実技試験でグリーグのヴァイオリンソナタを弾くことになって、SUGURUに伴奏をお願いしたのですが、当時の僕はめちゃくちゃ本番に弱かったんですよ。「本番では練習の7割くらいしか実力が出せないものだから、一生懸命練習しなさい」って言われて育って、でも実際のところは練習の1割も弾けない。さらに緊張でガタガタになって練習の1割も実力が発揮できなくて、止まってしまうことのほうが多かった時期もありました。暗譜で弾くんですけれど、頭のなかが真っ白になってしまって、音もガタガタになってしまうことが多かったです。
ところがSUGURUは「俺、本番が一番いいよ」と言っていて、意味が分からなかった(笑)。でも実際に一緒に演奏したら、人生で初めて練習以上の演奏ができて、「音楽って楽しいんだな」と思えたんです。
そこから「人に音楽の楽しさを届けたい」という気持ちが芽生えました。
―― 子どものころや高校生のころに憧れていた演奏家や、好きだった作曲家はいましたか?
そういった存在を意識し始めたのは高校生からですね。ダヴィッド・オイストラフがすごく好きで、当時リアルタイムで活躍していたマキシム・ヴェンゲーロフも大好きでした。オペラシティへ彼の演奏を聴きに行ったこともあります。ヴェンゲーロフの演奏で特に印象に残っているのは、アンコールで弾いたイザイのバラード。DVDで観て衝撃を受けました。
あと、最初に行ったクラシックのコンサートが、サントリーホールでのイツァーク・パールマンの演奏会でした。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とドヴォルザークの《ロマンス》を弾いていて、それが衝撃的で、帰りに楽譜を買って帰ったほどです。
ほかにも、ヴァディム・レーピンがショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲を弾いた演奏も忘れられません。バルコニー席から聴いていたのですが、信じられないほどの超絶技巧で、度肝を抜かれました。
―― そんなTAIRIKさんが「音楽を仕事にしよう」と考え始めたのはいつごろだったのでしょうか?
大学に入ってもそんなことはまったく考えていなくて、漠然と「演奏できていればなんでもいいかな」くらいでした。でもいろんな世界を見て、「演奏する仕事」は選択肢があるようで実は少ないことに気がついたのです。音楽教室や学校で教えるか、オーケストラに入るか、ソリストになるか、スタジオミュージシャンになるか……それくらいしかない。
そんななか、SUGURUと一緒にリサイタルをやったり、地元の長野やSUGURUの地元である広島で演奏会をしたりして、クラシックを中心にしつつ、聴きやすい曲も入れて活動していました。いまTSUKEMENでやっていることの前身みたいなことをやっていましたね。そして、SUGURUを通していつも声をかけてくれていた人から「もう少し人数を増やして3人くらいでやってほしい」とリクエストされまして、高校時代に仲の良かったKENTAという存在を思い出して、一緒にやってみようということになりました。
その演奏を聴いた元事務所の社長が「この3人でなにかやらせたい」と言ってくれて、そこで「TSUKEMEN」というグループが誕生しました。
最初は長く続くとは思っていなかったのですが、結果的にもう17年続いています。
作曲との出会いと、音楽家としての意識
―― そのころから作曲も始められたのですか? 編曲なども含めて、活動のなかで必要になってきたという感じでしょうか。
そうですね。きっかけは、2008年のTSUKEMENのデビューコンサートです。元事務所の社長から突然「12月にサントリーホールのブルーローズを2日間押さえたから、ちゃんと考えろ」と言われて、「え、デビューするの?」って驚きました(笑)。
そこから「演奏家だけじゃなくて音楽家にならなきゃダメだ」と言われて、ひとり1曲ずつオリジナルを作ってこいという指示が。でも最初は「作曲って、そんな簡単にできるものではない!」と抵抗がありました。ベートーヴェンやブラームスのような、知の巨人たちが命をかけて作ってきたものを、素人が簡単に作れるわけないと思っていたのです。
でも、ものは試しにやってみようと、3人それぞれが1曲ずつ書いて、12月のデビューコンサートで披露することになりました。当初は不安でいっぱいでしたが、アンケートを見ると「オリジナル作品がすごく良かった」という声が多くて。自分たちの素直な気持ちを表現できるのは、オリジナル曲なんだと実感しました。
このときの経験が後押しになって、「これを自分たちの核にしていこう」と決めました。なかば強引にデビューコンサートで処女作を発表したのが、作曲活動の始まりです。
ヴィオラとの出会いとその魅力
―― TAIRIKさんはヴィオラも弾かれますが、それは作曲活動の中で必要になった、というところでしょうか?
そうですね。オーケストラや室内楽で弾いたことはありましたが、東日本大震災のときにレクイエムを書くことになって、書き進めるうちに「この作品に合うのはヴァイオリンの音ではないな」と感じたのです。イメージしていた音がヴィオラだったんですね。それがきっかけでヴィオラを使い始めました。
―― ヴァイオリンとヴィオラ、それぞれの魅力はどんなところにありますか?
ヴァイオリンはキラキラしていて、メロディーを歌うかのように響く楽器です。人の声のように心地よく響くのが魅力ですね。
ヴィオラは、オーケストラや室内楽では埋もれがちですが、単体で聴くととても魅力的なんです。チェロに低音を持っていかれ、ヴァイオリンにメロディーを持っていかれ……まるで会社の中間管理職みたいな存在(笑)。でも、絶対に必要な“つなぎ”のような役割を果たしていて、単体で聴くとその濃度や深みが際立ちます。
サイモン・ラトルが「ワインボトルに例えるなら、ビンがチェロ、ラベルがヴァイオリン、中身がヴィオラ」と言っていたそうで、それくらい重要な存在だと思います。
ヴァイオリン2本とピアノって、サッカーで言うとフォワードふたりにゴールキーパーみたいな組み合わせなので、スリリングにはなりますけれど、バランスを取るのは難しいと感じます。その点、ヴィオラを使うとおさまりが良くなりますね。
東日本大震災のための曲でヴィオラを使ったときに、ほかのメンバーも「ヴィオラっていいね」と賛同してくれまして。SUGURUもKENTAもどんどんヴィオラ入りの曲を書くようになってきて、オリジナル曲はヴィオラ率が高くなってきましたね。
―― いまはヴァイオリンとヴィオラ、両方持ち歩いているんですか?
はい、ダブルケースで持ち歩いています。ツアーによってはヴィオラの出番が少ないこともありますが、ゼロということはないですね。飛行機に乗るときは自分の席と楽器の席が必要になるので大変です。
―― オリジナル曲はみなさんがそれぞれ書かれているとのことですが、既存曲を選ぶときの方針はありますか?
最初は本当に好きな曲をジャンル関係なく持ち寄っていました。クラシック、映画音楽、タンゴ、ジャズ、オリジナル……と並べても、聴いている方はジャンルを意識せず自然に受け入れてくれることが分かったのです。なので、ジャンルに縛られず、僕たちのカラーで演奏していこう、というスタイルで続けています。
ユニット「TSUKEMEN」誕生秘話
―― ではここからはユニット「TSUKEMEN」についてうかがっていきます。結成のきっかけは先ほどお話しいただいたので、今度は命名のエピソードを教えてください。
デビュー前の2008年3月の公演で元事務所の社長に声をかけていただいて、そのあと6月にみんなで集まったときに「ちゃんとユニット名を考えろ」と言われたんです。3人で我が家に集まって、A4の紙にいろいろ書き出してみたんですが、なかなかピンとくる名前がなくて……。
そのとき、僕の父が通りかかって「お前らイケメンまではいかないから、ツケメンくらいじゃない?」って言い残して去っていったんです(笑)。当時、狩野英孝さんの「ラーメン、つけ麺、僕イケメン」ってギャグが流行っていて、それに引っ張られたんでしょうね。
最初は冗談として流していたんですが、社長に「名前考えてきたか?」と聞かれて、「親父にTSUKEMENって言われちゃって……」と話したら、「TSUKEMEN、ちょっと待てよ」と言い出して。
「TAIRIKの“T”、SUGURUの“SU”、KENTAの“KE”、そして男複数形の“MEN”で“TSUKEMEN”じゃないか!」と。後付けの理屈でドヤ顔されて、結局そのまま「TSUKEMEN」になりました。親父に報告したら「そんなセンスない名前やめろ」って言われましたね(笑)。
―― ご自分でおっしゃったのに!(笑)
ここまでセットで載せてくださいね!
―― ちゃんとオチがつきましたね。
あれはびっくりしましたね(笑)。
海外公演とカルチャーショック
―― その後すごい活躍ぶりですね。もう17年続けておられる。デビューのときのブルーローズも満席にされたそうですね。海外公演もされていますよね?
デビューのときは、ありがたいことに2日間とも満席をいただきましたね。コロナ禍前はアメリカ、韓国、ドイツ、オーストリアなどに行きました。現地のプロモーターやオーケストラとのつながりで実現した公演もありました。
国によって反応がぜんぜん違っておもしろかったです。例えばニューヨークでは、ジャズバーで軽く演奏したり、セントラルパークで路上ライブをしたりしました。じゃんけんで負けた人が演奏するっていうノリで始めたんですが、結局みんな弾きたくなって全員で演奏です(笑)。ピアニストは楽器がないのでピアニカを買いました。演奏し始めると、人垣ができてくるんです。ニューヨークの人は「良い」と思ったら立ち止まるし、「微妙」と思ったらすぐ去る。日本とは違って、反応がダイレクトなんです。
『スター・ウォーズ』や『パイレーツ・オブ・カリビアン』を弾いても反応は薄くて、逆にオリジナル曲やゲーム音楽を弾くと人が集まってきました。「媚びちゃダメなんだな」と実感しましたね。
アポロシアターの前でも演奏したのですが、黒人の方々はリズム重視なので、西洋の弦楽器にはあまり反応せず、立ち止まったのは白人やアジア系の旅行客で、文化の違いを肌で感じました。
そのときの投げ入れで集まったお金で、みんなでマクドナルドを食べました(笑)。
韓国での公演も印象的でした。ライブに来てくれる人の8〜9割が20代で、男女の差はあまりなかったですね。日本では年配の女性が多かったので、これもカルチャーショックでした。
韓国ではピアノ教育が浸透していて、検索エンジンでもクラシックやポップスが一緒に出てくるらしく、若い人が自然と音楽に触れています。そして韓国は教育社会なので、子育てが始まると親は完全に子どもに集中するため、年配の方がコンサートに来ることは少ないそうです。
ウィーンの楽友協会、黄金の間で演奏したときは、ウィーン国立音大の助教授が聴いていて、「モーツァルトを上手に弾く人はたくさんいる。だからこそ、自分たちのカラーを大事にした方がいい」とアドバイスをくれました。
国によって受け取られ方が違うので、海外に行くと視野が広がります。帰国後はしばらくブーストされたような気持ちになりますね。
―― どこでもオリジナル曲は人気が高いんですね。
そうですね。東洋人が西洋の楽器を演奏することに対して、オリエンタルな響きや独自性を期待されることもあります。クラシックだけをやっていたら気づかなかった視点ですが、オリジナルに取り組んだからこそ感じられたことです。
いまは「オリジナルを大事にしよう」というムーブメントが、僕たちのなかでも強くなっています。
『ららら♪プレミアムコンサート Vol.2 Duo Fest. ~ Beyond Classics ~』に向けて
―― いよいよ2025年11月12日(水)に東京文化会館で行われる「ららら♪プレミアムコンサート」についてうかがっていきます。今回は「デュオが集う」という企画で出演されますが、共演される水谷さんとの出会いやエピソードがあれば教えてください。
水谷とは桐朋音大で出会いました。最初のレセプションのときに、ギル・シャハムの話で盛り上がったのがきっかけです。そこからずっと仲が良くて、授業も一緒に受けて、音楽の話もたくさんしました。まさに切磋琢磨した仲間です。
僕は大学卒業後「TSUKEMEN」を始めて、クラシックの王道からは少し離れた道を進みましたが、水谷はまっすぐクラシックの世界を歩み、群馬交響楽団や東京交響楽団のコンマスを経て、いまでは東京都交響楽団のコンサートマスターに。その出世ぶりが本当にうれしいです。
大学卒業後は別々の道を歩んでいましたが、TSUKEMENの弦楽コンサートで水谷にコンマスをお願いしたことで、久しぶりに音楽の現場で再会しました。その後、自主企画で「異種格闘技」的なデュオシリーズを始めて、ヴァイオリン×チェロ、ヴァイオリン×能楽師、ヴァイオリン×絵画などさまざまな組み合わせを試すうちに、水谷との「ヴァイオリン×ヴァイオリン」のデュオも実現しました。そして、レコード会社のプロデューサーが「CD出そうよ」と言ってくれて、「MIZUTANI×TAIRIK」というユニットが誕生したのです。
いまでは年に1〜3回ほど、2時間の本番を目標に活動しています。別々の場所に足を置きながらも、こうして一緒に演奏できる関係が続いているのは本当にありがたいです。
―― 水谷さんと一緒に演奏していて、どんな感覚がありますか?
シンクロ率が高いですね。
TSUKEMENのKENTAと僕は弾き方が真逆で、それがおもしろさになっているのですが、水谷はこちらが仕掛けたことに対して必ず反応を返すところが楽しい。ボケたら突っ込む、仕掛けたら応じる。その相乗効果が自然に生まれるんです。
自分たちが楽しむことが、聴いている人の楽しさにつながる。そんなモードで演奏しています。
―― ヴァイオリンデュオって、そういう掛け合いが魅力ですよね。
そうですね。曲調や空気の間、仕掛けの応酬など、どれだけ相手の動きに反応できるかがおもしろさにつながります。水谷とはいい意味でぶつかり合うことができるし、ときには同じ方向を向いて作り上げることもあって、その表情の変化なども楽しんでいただけたらと思います。
―― 今回の演奏予定曲に《モルダウ》が入っているのを見て驚きました。ヴァイオリン2本でどんなアレンジになるのでしょうか?
今回アレンジをお願いしたのは長生淳さんという方で、いい意味で“変態”なアレンジをしてくれる方です(笑)。アレンジャーさんも、原曲を忠実に再現するタイプもいれば遊び心を加えるタイプもいますが、今回は後者ですね。
水谷はオーケストラで本物の《モルダウ》を弾いているので、本人もお客さんもそのイメージがありますよね。それに人数も音数も多いオーケストラに対して、たったふたりだけの編成では当然ながらとても太刀打ちできません。だからこそ、ふたりでしか出せない《モルダウ》を作らなきゃいけない。これまでとは違う、新たな《モルダウ》の姿を見せられたらと思っています。
―― オリジナル曲「ロック・ヴィオラ」も演奏されるそうですね。これはどんな編成ですか?
もともとはヴィオラ1本のために作った曲ですが、今回はヴァイオリンとヴィオラ用にアレンジしたバージョンを演奏します。水谷にも付き合ってもらって、オリジナル曲を披露する予定です。
―― 聴きどころはどんなところですか?
この曲は、内容を考えるというより、ただ感じてほしい作品です。前情報なしで、身を委ねて聴いてもらえたらうれしいですね。
―― ヴァイオリン2本の編成は難しいと思うのですが、どんな点が難しく、どんな魅力がありますか?
ピアノが入らず弦2本だけなので、音色や掛け合い、緩急、対比、心の落差などをしっかりつけないと単調になってしまう。だからこそ、飽きさせない工夫が必要です。でもその分、繊細な表現や掛け合いが際立つので、そこが魅力でもありますね。
―― 今回は4組のデュオが出演しますが、こういった演奏会はどう思われますか?
いや、まず石田さんたち、ピアノ入ってるじゃん! って思いました(笑)。デュオじゃないじゃん! って本番でも言おうかなと思ってます。
すごくおもしろい企画ですよね。出演者のヴァイオリンのカラーも、選曲も表現も全然違うので、弦楽器の魅力を知るには最高の機会です。トップクラスの演奏家たちの違いを一度に味わえるのは、なかなかないですからね。
―― ららら♪プレミアムコンサートはトークも魅力のひとつですが、今回はどうでしょう?
司会的なこともお願いされてますが、どうなるかはまだ未定です。水谷と一緒に話すと、いつも収拾がつかなくなるんですよ(笑)。
でも、そういう自然体のやりとりも僕たちのスタイルです。トークに関しては「何も決めない」という決めごとがあるので、どうなるかは毎回お楽しみです。
―― TSUKEMENではトークの役割は決まっているのですか?
17年の活動を経て、だんだん固まってきましたね。僕とKENTAがボケて、SUGURUが突っ込むという構図です。自覚はないんですけど、最近はそう見られてるみたいですよ(笑)。
―― 今回の公演はTAIRIKさんのまた違った一面が見られそうですね。また今後の活動や夢について教えていただけますか?
今回のようなデュオ企画に呼んでいただけたこと自体が驚きでした。水谷とは、ただ上手に弾くというだけでなく、「このふたりの空気感」「交わったときの音」を聴いてもらいたいです。ここでしか生まれない魅力を広げていきたいと思っています。
そして、TSUKEMENとしては……武道館にチャレンジしたいです!
―― ここまでたくさんの楽しいお話をありがとうございました。最後に、コンサートにいらっしゃる方々へメッセージをお願いします。
今回のようにすてきな演奏家が一堂に会して、ヴァイオリンや弦楽器の魅力に浸れる機会は、なかなかありません。それぞれが短い持ち時間で全力を出し切るので、これもひとつの魅力ですね。
聴き方も、みなさんそれぞれ自由でいいと思います。「この人が良かった」「この曲が印象的だった」など、どんな感想でも構いません。この試みを温かく受け止めて、感じ取っていただけたら、こんなにうれしいことはありません。
<文・取材 尾崎羽奈>
今後の公演情報
公演名 | ららら♪プレミアムコンサート Vol.2 Duo Fest. ~ Beyond Classics ~ |
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日時 | 11月12日(水) 19:00開演(18:00開場) |
会場 | 東京文化会館 大ホール |
出演 |
【DOS DEL FIDDLES with SENOO】 石田泰尚[Vn.] × 﨑谷直人[Vn.] with 妹尾武[Pf.] 【MIZUTANI×TAIRIK】 水谷晃[Vn.] × TAIRIK[Vn. Va.] 【NARITA×LEO】 成田達輝[Vn.] × LEO[箏] 【SATO×KOBAYASHI】 佐藤晴真[Vc.] × 小林海都[Pf.] [司会]笠井美穂 |
プログラム |
【DOS DEL FIDDLES with SENOO】 クライスラー:ジプシー奇想曲 妹尾武:永遠に ほか 【MIZUTANI×TAIRIK】 スメタナ:連作交響詩《我が祖国》より〈モルダウ〉 TAIRIK:ロックビオラ ほか 【NARITA×LEO】 吉松隆:双魚譜 坂本龍一:Solitude ほか 【SATO×KOBAYASHI】 ラヴェル:《ヴァイオリンソナタ ト長調》より第2楽章〈Blues〉 ヴィエニャフスキ:スケルツォ・タランテラ Op.16 ほか |
チケット | 全席指定:S席7,800円 A席6,800円 A席5,800円 |
詳細 | 詳細はこちらから |
お問い合わせ |
ウドー音楽事務所 TEL:03-3402-5999(月・水・金 12:00~15:00) |
TAIRIK
長野県出身。桐朋学園大学音楽部、同大学院修了。2008年12月にヴァイオリン&ピアノによる3人組インスト・ユニット「TSUKEMEN」を結成。2010年3月にキングレコードよりメジャーデビュー。最新アルバム『HAPPYキッチン』など、リリースしたCDはクラシック・チャート1位を次々と獲得。
デビューから、日本国内にとどまらず、アメリカ、アジア、ヨーロッパなどで700本を超える舞台に立ち、50万人以上の観客を魅了。2015年ウィーン楽友協会「黄金の間大ホール」で行われたコンサートは、驚異のキャンセル待ち200席を記録。
ヴァイオリンとヴィオラを持ち替え両方奏で、近年では古澤巌氏と弦楽四重奏団「品川カルテット」を結成。ヴァイオリンとヴィオラのデュオでは、東京都交響楽団のコンサートマスターの水谷晃氏と「MIZUTANI×TAIRIK」を結成しており各地で演奏会を行っている。
直近ではオーケストラ・アンサンブル金沢と共演、メディアでは、「徹子の部屋」「題名のない音楽会」「NHK きょうの料理 栗原はるみのキッチン日和」など数多くのTV番組に出演。信越放送SBCラジオMixxxxx+(ミックスプラス)「TSUKEMENTAIRIKの信TAIRIK発見」毎月第4週月曜日13:00台にレギュラー出演中。
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