透明かつ慈愛に満ちた歌声と端麗な容姿、そしてコンサートで垣間見える親しみやすい人柄で圧倒的人気を誇るソプラノ・森麻季さん。オペラ歌手として世界的に活躍しながら、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」メインテーマやNHK『明日へ』東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」を歌うなど、音楽を身近なものとして届け続けてきた。Eテレ「ららら♪クラシック」では、「埴生の宿~『日本人の心』になったクラシック」(2017年6月23日放送)で、森さんが披露した見事な歌声をご記憶の方も多いだろう。
クラシックをやる者にも「なるほど」と思える番組
「『埴生の宿』は昔、『ビルマの竪琴』という映画で聴いて知っていたんですけれど、元はイギリスのオペラの中の曲だったこの歌にどんな背景があったのかは深く知らない部分がありました。番組で自分が歌うことで改めて歌詞の意味も確認し、『ああ、そういう意味があったのか』と勉強になった思い出があります。そんなふうに『ららら♪クラシック』は、なんとなく耳で聴いて知っていた曲にこんなすごいドラマがあったんだ、というのを掘り下げてくださって、クラシックをやっている者にも『なるほど』と思えることが多く、いつも楽しく拝見しています」
その中でも、森さんが特に感銘を受けた放送回があるという。
「20世紀後半の大テノール歌手マリオ・デル モナコが取り上げられた回(2018年1月5日放送)で、テノール歌手の村上敏明さんが、モナコの十八番だったオペラ『道化師』のアリアをスタジオで再現なさったんです。それが単なる再現ではなく、普通に歌う場合と、モナコが涙を流しながら熱唱するのはこんなにも違う、というのを歌い分けてくださったのがもう素晴らしくて! 村上さんのテノールの圧倒的な説得力といい、それをわかりやすく伝えてくれる番組のありようといい、ホントにすごいなぁと思って感動をすぐにfacebookにアップしたのを覚えています」
音楽は国境を超え人々の心をひとつにする
ワシントン・ナショナル・オペラに日本人初の出演を果たしたアメリカ・デビューから21年。オペラではコミカルな役を多く演じてきたという森さん。なかでもアメリカで大好評だったのが、「ホフマン物語」で演じた歌う人形オランピアだ。
「アメリカやヨーロッパの歌手の方はみなさん体がとても大きく、背が高いのはもちろん厚みもあって、男性の体格は私の4倍ほどにも見えます。その中にアジアの小柄な私が入ると子どもみたいというか(笑)、ただでさえお人形に見えて、何をやっても可笑しいらしいんです。物語は、オランピアが自動人形であることに主人公のホフマンだけが気付かず、彼女に恋をする設定なので、私が登場したり何かをするたびに“ドッ!”と笑いが起きるんです。お客さまにとにかく笑ってもらえる、とても面白い舞台でした」
そのオペラが森さんにとって忘れられない作品になったのは2001年9月のこと。アメリカ同時多発テロ発生の翌日に幕を開けた舞台に予定通り立つことになったのだ。
「テレビではツインタワーが崩れ落ちるショッキングな映像が繰り返し流れ、劇場の外は低空で戦闘機が警戒にあたるものものしさ。恐怖と不安だらけの中、危険を冒してまで劇場にくる人はいないかもしれない。でも、たとえ一人でも劇場に来てくれた人がいたら、そのひとときだけでも悲惨な現実を忘れてもらえるように楽しい舞台にしよう。集合後、皆で円陣を組み、そう誓い合って臨みました」
そして幕が開いたとき、舞台の向こうに見えたのはーー。
「普段の公演とまったく変わらない、ほぼ満員の客席でした。私はコミカルな役だったので、出ていくと大笑い! 一幕の終わりで早くもスタンディングオベーションになり、『芸術が平和を呼ぶように!』『平和に国境はない』と口々に励ましてくださいました。悲しみをおして前を向こうとするお客さまの強さに、私たちのほうが救われたんです。それまで私は、自分のキャリアのためとか、上手に歌わなきゃという意識で舞台に出ていたところがあったんですが、このとき音楽を通してお客さまと一体になれたり、音楽が人々の不安や恐怖を束の間忘れさせることができるんだと知って、音楽の力を改めて感じるとともに、歌うことの意味が自分の中で変わりはじめるきっかけとなった公演でした」
その後も広島や長崎、東日本大震災後の被災地などで歌い、2011年からは『~愛と平和への祈りをこめて~』と題したコンサートを毎年開催。
「日本は自然災害の多い国ですが、そういうことが少なくなるように祈りたいですし、災害にあわれて苦しんでいる方々に少しでも心が楽になるような歌を届けることができたらうれしいなといつも思う」。そんな思いで全国を飛び回る。それが、日頃華やかな舞台に立つことの多いスターソプラノのもうひとつの素顔だ。
トリノ王立歌劇場「ラ・ボエーム」より
©Ramella&Giannese Fondazione Teatro Regio di Torino
さまざまな愛の形を楽しんでいただけたら♪
そんな森さんに、初心者にはちょっぴり敷居の高いオペラの楽しみ方を聞くと、満面の笑みでこう答えた。
「実は私たちでも、オペラを全幕聴くときはかなり“よっこいしょ!”と気合を入れて腰をあげる感じなんです(笑)。食べれば夢のようにおいしいけれど、オペラが大好きな人でも、重めのお肉は、音楽的におなかがペコペコで元気なときじゃないとペロリと食べられないですから。だから最初は、気になる作品をテレビで録画して少しずつ見るのもいいと思います。たとえば、『ラ・ボエーム』や『椿姫』でしたらドラマティックな展開を純粋に楽しめますし、『カルメン』なんかはどの曲も、いろんなドラマやCM、映画で使われていて、『あ、この曲だったんだ!』と発見するうれしさがあります。どの作品もだいたいのあらすじを把握してから見ていただくと、より楽しめるのかな?と思います」
2月14日に行われるららら♪クラシックコンサートVol.4「華麗なるオペラ特集~バレンタインデーに贈る愛の歌~」では、森さんをはじめ人気・実力を兼ね備えたソリスト5名がオペラの名曲から厳選した愛の歌を披露。森さんが歌うオペラ『リゴレット』の中の「慕わしい人の名は」は、まさに圧巻!の素晴らしさだ。
「『リゴレット』のジルダ役で恋のときめきが詰まったこの歌を最初に歌ったのは20年以上前です。長いスパンを経て昨年11月に演じましたが、『リゴレット』はやればやるほど奥の深いオペラで、ひさしぶりに歌ってみていろんな発見がありました。若い頃は高音が楽に出る一方ドラマティックに歌うのが今より難しかったのが、今は自分の中で作品への理解が進み表現の幅が広がったと同時に、高い音をデリケートに出す難しさを感じます。年齢とともに変化する声や感受性のバランスを自分なりに探りながら表現するのはすごく面白いです」
他の選曲にも森さんの遊び心が溢れ、まるで“愛は一筋縄ではいかないよ!?”と微笑みかけられているようだ。
「オペラ『ドン・ジョバンニ』の中で『むごい女ですって』を歌うドンナ・アンナは、フィアンセのオッタービオにとても愛されているのに自分は彼をあまり愛してないんです。それどころか、悪い男だと知りながらドン・ジョバンニにひかれてしまう…まぁそんな愛もあり(笑)。相思相愛だけれど会えばどうしてもぶつかってしまう不器用者同士の愛もあり。もちろんジルダのように純粋で、本当に一途な愛もあります。曲ごとにいろんな愛の形があるので、バレンタインでうまくいく人もそうでない人も、愛はいろんな形があるよ、と(笑)。それも含めて楽しみましょう♪という感じで味わっていただけたらうれしいですね」(文・浜野雪江)
■森麻季(もり・まき)
東京藝術大学、同大学院独唱専攻、文化庁オペラ研修所修了。ミラノとミュンヘンに留学し、プラシド・ドミンゴ世界オペラコンクール「オペラリア」等多数の国内外のコンクールに上位入賞を果たす。1998年、ワシントン・ナショナル・オペラ「後宮からの逃走」でアメリカ・デビュー。以後、ワシントン・ナショナル・オペラとロサンジェルス・オペラにおいて、「リゴレット」「パルシファル」「ホフマン物語」「こうもり」「ウェルテル」でプラシド・ドミンゴ、フォン・シュターデらと共演。ドレスデン国立歌劇場「ばらの騎士」、エディンバラ音楽祭「リナルド」、トリノ王立歌劇場「ラ・ボエーム」でバルバラ・フリットリやマルセロ・アルバレスと共演し、国際的評価を得る。古典から現代まで幅広いレパートリーを誇り、類まれなる歌唱技術、透明感ある美声と深い音楽性は各方面から絶賛され、東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」を歌い、文部科学省主催「スポーツ・文化・ワールド・フォーラム」公式プログラム「The Land of the Rising Sun」(宮本亜門演出)に出演するなど、日本を代表するオペラ歌手として常に注目を集めている。『〜愛と平和への祈りをこめて〜』と題したコンサートをライフワークとして毎年9月に開催。