変幻自在な演奏技術とクリスタルな美音で1995年のデビュー以来、多くのファンに支持され第一線で活躍するピアニストの近藤嘉宏さん。1987年に楽壇最高の登竜門といわれる日本音楽コンクールで第2位になり、桐朋学園大学を首席で卒業。その後、ミュンヘン国立音楽大学マイスターコースで名匠ゲルハルト・オピッツのもとで研鑽を積んだという経歴も実に華やかだ。「ピアノは言葉以上にさまざまなことを感じさせ、自分やいろいろなことを表現できる」と語る近藤さん。そんな近藤さんに、ピアニストになった経緯やコンサートの楽しみ方、ご自身が出演されるVol.8の見どころについてお伺いしました
音楽の原体験は、細胞が湧きたつようなメロディー
「父がクラシック好きで、家にはたくさんのレコードがありました。物心ついた頃によく聴いていたのは、作曲家ではベートーヴェン、ショパン、リスト、演奏家はバックハウス、ルービンシュタインなどなど。中でも僕が大好きだったのが、ギオマール・ノヴァエスという南米の女性ピアニストが弾くショパンのワルツ集です。これが全身の細胞が湧きたつような音楽で! それを聴いて4歳のときに『ピアノをやりたい!』と言ったんです」
そして就学して初めて、母に連れられ生のピアノコンサートを体験。その際のエピソードはちょっとユニークだ。
「その初めてのピアノコンサートもショパンで、奏者はアダム・ハラシェビッチという、ショパンコンクールで1位をとった凄腕のピアニストでした。ところがこの日の演奏は7歳の僕が聴いてもマズイとわかるぐらい調子が悪くて、『これだったら自分もピアニストになれるぞ!』と(笑)。それがきっかけで、桐朋の音楽教室に通い始めたんです。もちろんハラシェビッチは本来、とてもうまいピアニストです。でもこの思い込みが長い間、良い方向に効いて、高校時代に音楽の道を選ぶまで、僕の背中をお守りのように押してくれました」
順風満帆に見えて、実は挫折の連続だった
繊細かつダイナミックな演奏で10代から頭角を現し、1995年の日本デビュー後も数多くのディスクをリリース。その軌跡は順風満帆そのものに見えるが、「実は挫折の連続だった」と振り返る。
「僕はクラシックが持つ伝統のよさを生かしながらも、聴き手がより楽しめるよう、クラシックに別の光をあてたいと考えていました。真面目に、でも楽しく! というのを両立したかったんです。でも当時のクラシック業界は、伝統を重んじるがゆえに見せ方の幅がとても狭い世界。デビューはしたけれど、自分がやりたい表現を存分にできないジレンマの中で、新しい可能性を探り続けました。表現の道がだいぶ開かれた今も、“クラシックをどう楽しませ、それをコアなクラシックにどう投影していくか”をずっと考えながらやっています」
多忙を極めた30代後半には、ある日突然、耳の病気を発症。自由にピアノを弾けない苦悩の中で、音楽家として新たな境地にたどり着いた。
「明日、弾けなくなるかもしれないーー。そんな心境がずっと続いていたので、感覚が敏感になっていたのでしょう。今までと同じ曲を弾いても違う響きを感じる瞬間があり、それを研究することで、より繊細な音を表現できるようになった。ちょうど手を痛めかけ、それまでの弾き方を変えたいとも思っていたので、体調が悪いながらも日々、表現と奏法の大胆な実験を繰り返しました」
友人でギタリストの鈴木大介さんの提案で、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音に挑んだのもこの頃だ。
「家を訪ねてくれた鈴木くんが、『近藤くんはいずれ元気になっちゃうから、耳の病気を患っている今こそ、ベートーヴェンをやるべきだよ』と言って(笑)、ディレクションを担当してくれたんです。それは、当時本当に体調が悪くて心が折れてしまいそうだった僕に、目標を与えようと思って彼が出してくれた課題だったのかもしれない。全曲録音をやりきるという目標によって、自分の精神の支柱が保たれた部分もあったし、表現そのものもおのずと深まった。今思えば、病気のおかげでさまざまな実りがありました」
いわゆる名曲以外にも“名曲”はいっぱいある
病を克服し、深化&進化した感性と表現で、その後も精力的に作品をリリース。作曲家の思いに寄り添いつつも独自の解釈を加え、クラシックに新たな息吹を吹き込んでいる。
「作品は作曲家が書いた時点で一人歩きする要素を持っているので、作曲家の意図も尊重したうえで、歩き出した作品をどう輝かせるかと常に考えています。さらに、自分の価値観を持ちながらも、その中で客観的に見たときに一番素敵なものを判断できることが大事。僕は本番ではどちらかというとオーバーヒートするほうですが(笑)、心から熱く表現しながら、その熱い自分をもう一人の自分が全体を見据えるように見つめています。そしてクラシックはやはり芸術なんだけれど、魅せる要素を大切にしています。どんなにカタいコンサートも、映画のようにドラマティックなものにしたいですね」
ときにユーモアを交え、表情豊かに語る近藤さんにクラシック全般の楽しみ方を聞くと、こんなアドバイスをくれた。
「ひとつ言えるのは、名曲だけを聴く必要はないということです。クラシックの入り口として名曲を聴くのもいいですが、実は名曲といわれるもの以外にも“名曲”はいっぱいあるので。たとえばテレビ番組やCMでもいろいろな曲が使われているし、ふらりと入ったお店で素敵な曲に出会うかもしれない。どこにそういう旋律が隠されているかわかりません。どこかで聴いて『この曲、いいな』と思ったら検索してみて、その曲が収録されたアルバムを聴いたり、コンサートに行ってみたり。いわゆる名曲揃いじゃないコンサートにもどんどん足を運んでいただくと、そこから見つかるものが必ずあるはず。そんなふうにして自分の好きなものを探していかれると、音楽がより楽しくなると思います」
ひとつの楽器があらゆる音を奏でるピアノの多彩さを体感して
そんな近藤さんが、5月9日と6月20日に開催される「ららら♪クラシックコンサートVol.8『4手6手ピアノ特集』~夢の競演でたどる音楽史~」に出演。5名のピアニストと豪華な競演を繰り広げる。
「ピアノコンサートというと1台のピアノで演奏するのが普通の形ですが、今回のコンサートは2台、3台のピアノを5人の奏者が代わる代わる演奏します。曲目もバッハの『ブランデンブルク協奏曲』やドビュッシーの『月の光』など、みなさんがどこかで耳にしたことのある作品ばかり。肩の力を抜いて、みんなで集まって音楽を楽しもう! というお祭り感覚のコンサートなので、ピアニストやピアノという存在をより身近に感じていただけるのではないでしょうか」
グランドピアノが2台、3台とステージに並び、複数のピアニストが演奏する様子は、それだけでも魅せる要素がたっぷり。ソロの演奏とは異なるアンサンブルの魅力は何だろうか。
「まずはピアノの迫力を存分に感じていただけることです。2台ピアノという時点でとても迫力があるのですが、3台となるともう、“音響に包まれる”ような感じ。そしてピアノはオーケストラと違ってひとつの楽器なのでひと種類の音しか出ないわけですが、それを何種類もあるように聴かせるのがピアニストの腕でもあります。奏者ごとに違う音色や表現がどう合わさってひとつになるのか。また、同じ楽器3台なのに、なぜこんなに種類の違う音が出るんだろう!? というピアノの多彩さにも注目していただけると嬉しいです」
聴き手だけでなく演奏する側にも、アンサンブルならではの心躍る要素があるそうだ。
「奏者はお互いにやりたいことがある中で、アイデアを出し合い、共通点を見つけながら演奏を組み立てていきます。その過程で自分とは違うアプローチに刺激されて発見があったり、新しいものが生まれたりしてお互いを高めあうことができる。その中で、すごくいいものが生まれる予感がしています。それにピアニストは普段は孤独な職業で、ピアニスト同士がステージをともにする機会はめったにありません。ピアニストがこれだけ集まるコンサートは僕にとっても貴重なので、思いきり楽しみながら、より深い演奏をお届けしたいですね」(取材・文/浜野雪江)
■近藤 嘉宏 Yoshihiro Kondo (Piano)
1968年、神奈川県生まれ。4歳からピアノを始め、桐朋女子高等学校(音楽科のみ共学)を経て桐朋学園大学を首席で卒業。江戸弘子、ジェルジ・シェベク等に師事。1987年に日本音楽コンクールピアノ部門で第2位入賞。大学卒業後、ミュンヘン国立音楽大学マイスターコースで名匠ゲルハルト・オピッツのもとで研鑽を積み、ミュンヘン国際コンクールで入賞。1992年、ミュンヘン交響楽団との共演でデビューし、大成功をおさめる。2004年にはカーネギーホール、2006年にはウィーン・ムジーク・フェラインと海外の主要ホールにもデビュー。国内では1995年に正式にデビュー。翌96年にアルバム・デビューを果たし、これまでにショパンやリスト、ベートーヴェンのソナタ、ラヴェルのピアノ協奏曲など、30枚を超えるアルバムをリリース。2001年にはDREAMS COME TRUEとのコラボで『いつのまに(a-mix)featuring近藤嘉宏』をリリースし、2017年からは松竹映画「砂の器」シネマコンサートでピアノソロを演奏。2018年に映画「家族はつらいよ」シリーズ第三弾「妻よ薔薇のように 家族はつらいよⅢ」にピアニスト役で出演するなど、その活躍は多岐に渡る。『ベートーヴェン;ピアノ・ソナタ』は現在7枚目までリリース。近作に『リスト・パラフレーズ』(O T T A V A records)がある。