クラシック音楽の作曲を学んだのちニューヨークへ渡り、現在はジャズ作曲家として世界を股にかけて活躍する挾間美帆。2016年、挾間がアメリカの老舗にして最も権威あるジャズ専門誌のひとつ「ダウンビート」で、「ジャズの未来を担う25人」に選ばれたのは、その後の活躍を考えると必然だったのかも知れない。国内外のジャズをはじめとする楽団に指揮者・作曲家としてポストを持ち、2019年には彼女がプロデュースするジャズバンドの3枚目のアルバム『Dancer in Nowhere』で、第62回グラミー賞へノミネートを果たした。
こうした出来事は、挾間がジャズ作曲家を志してからわずか10年足らずの間に起こっていて、彼女の推進力には驚くばかり。ニューヨークを拠点に世界各地へ赴き音楽をする、挾間の生活に旅はつきもの。インタビュー時もデンマークに滞在していた。ここまで多彩な音楽活動ができているその原動力とは?知的な応対と時折見せる愛嬌から、彼女の音楽性にも通じる美しいセンスを感じずにはいられない!
ヨーロッパの名門ジャズ楽団を率いて
――現在(2021年3月初旬、インタビュー時)は、デンマークにいらっしゃるとのことで。今回のご滞在の目的を教えていただけますか?
3日前にデンマークに到着しました。それまでは、オランダにいまして、常任客演指揮者を務めているメトロポール・オーケストラと仕事をしていました。デンマークに来たのは、今度は首席指揮者をさせていただいてる、デンマークラジオ・ビッグバンド(以下、DRBB)とのレコーディングと、年に数回テレビの仕事があるので、そのために滞在しています。
――ちょうど、メトロポール・オーケストラとDRBBの話が出たので、この2つの楽団のことについてもう少し詳しく聞かせてください。両方とも、ジャズをメインに演奏するヨーロッパでは伝統ある楽団ですが、一方は”オーケストラ”でもう一方は”ビッグバンド”という名称です。この2つの編成はどんなふうに違うのでしょうか?
メトロポール・オーケストラは、ビッグバンド(トランペット、トロンボーン、サックス群からなるセクションと、ドラム、ベース、ギター、ピアノのリズムセクションの編成が基本)に、弦楽器やフルート、オーボエ、ホルン、ティンパニなど、オーケストラにある楽器が加わっている形です。人数も多くて、団員だけで50人以上います。
DRBBは、ザ・ビッグバンドという編成ですが、普通よりも人数が多くて、サックス、トロンボーン、トランペットが各5人ずついて、そこにドラム、ベース、ギター、ピアノのリズムセクションが入ってきます。
――各楽団における指揮者としての仕事は、指揮をすること以外にどんなことをするのですか?
DRBBの場合は、ミュージック・ディレクターとして誰と何をやるかを決めるという権限を持っています。今シーズンでいうと、今、ニューヨークのライジングスター的存在である、ビブラフォン奏者のジョエル・ロスとはなにがなんでも共演したいと思って、公演が実現することになりました。(デンマークでの開催予定。)
対して、メトロポール・オーケストラは、同じように内容を検討・提案はするのですが、最終的に決定するのは別のチームが行います。
――「誰と何をやるか」はどんな基準で決定されるのでしょうか?
楽曲とアーティストの強さが大事だと思います。まず楽曲は、オーケストラやバンドという大編成に昇華させて面白いかどうか、作品のポテンシャルを見極めます。アーティストの強さ、というのはいわずもがなですね。お客さんに対しては、ジョエル・ロスもそうなんですが、ヨーロッパではそこまで知られていないけどニューヨークで話題性のあるアーティストを紹介する、というのも私の役割だと思っています。
――ジャズといえばアメリカ、というイメージですが、ヨーロッパにこうした楽団があることに驚きました。
それは、ヨーロッパにおけるジャズの興行の歴史と深く関わっているところがあります。第二次世界大戦後、ヨーロッパではアメリカからジャズミュージシャンを呼んで公演をしていました。ただ、アメリカからバンドごと移動するとなるとお金がかかってしまうので、ヨーロッパ各国のテレビ局やラジオ局がお抱えのバンドを持つようになった、という背景があるんです。
皮肉なことに、アメリカには放送局が楽団を所有するという文化はないんですよね。あったとしても、ライブハウスやホールが楽団を持っているケース、例えばヴィレッジ・ヴァンガードやトランペット奏者のウィントン・マルサリスが芸術監督を務めるジャズ・アット・リンカーン・センターとか。
――なるほど、そういう当時の音楽事情が今の状況を生み出しているのですね。コンサートにはどういったお客様が聴きにいらっしゃいますか?
年齢は高すぎず、比較的幅広い層の方々がいらっしゃっている印象です。
――2019年から首席指揮者を務められているDRBBの方々とはどんな風に関係性を築いてこられたのでしょうか?
バンドのメンバーとは、お互いに客観視できるというか、適切な距離を保ってコミュニケーションを取るようにしています。プライベートに踏み込み過ぎてあまり仲良くなりすぎると演奏が主観的になったり、別の視点が生まれてしまうので。
ただ、そうは言っても最低限自分たちの音楽やバンドのことをざっくばらんに話す機会は持つようにしていますね。一緒にサッカーを見に行ったり、今はしづらいですけど、コンサートの後に飲みに行ったり、とかはやっています。
あと、バンドのメンバーと対等に会話をする環境を作るのが好きなんです。指揮者だからといってなんでも命令する、ということはしないようにしています。ビッグバンドなので人数も20人程度。例えメンバーがそれぞれの考えや意見を持っていても、話し合えば上手く進むと思うし、そういうのが分かる賢い人たちなので、みんな意思を持って演奏していますね。
きっかけは東京JAZZ
――挾間さんがTwitterでシェアされていた、DRBBとの共演映像が素敵でした。
マイルス・デイヴィスのバンドで長らく活動した打楽器奏者、マリリン・マズールを迎えてのコンサート(2018年)
――DRBBとは、2017年に日本でも共演されていますね。
そうなんです。2017年の東京JAZZだったのですが、初共演の舞台でした。このコンサートは、本番までのプロセスも含めてとても印象に残っています。2017年はニューヨークで世界初のジャズレコーディングが行われてから100年ということで、60分のコンサートでその歴史を振り返るというコンセプトで行われました。DRBBがメインでステージにいて、そこにリー・コニッツ(サックス)、日野皓正(トランペット)、山下洋輔(ピアノ)、リー・リトナー(ギター)、コーリー・ヘンリー(キーボード)らのソリストたちが入れ替わり登場して時代ごとの音楽を演奏していく、というスタイルでした。
――なかなかガッツのあるプログラムですね(笑)。なんでもDRBBは初来日でもあったそうで。
「見知らぬ30そこそこの女が俺らを指揮するらしい」という恐ろしいとしか言いようがない前評判のまま来日していて(笑)。加えてプロデューサーもミュージシャンもほとんどの人が初めましてという状態で、とにかくカオスなリハーサルでした(笑)。アメリカ人のアーティストはみんな身勝手だし、日本人は大御所の方々ばかりで、DRBBのメンバーはみんなマイペース、みたいな。そんな中でその場をリードしなければなりませんでしたが、とにかく追い詰められました。
また演出では映像と音楽を合わせないといけなかったのですが、どのタイミングでキューを出すかも確認できず、一回も全体を通すことなく本番を迎えました(笑)。
――そうなんですか!ちょっとスリリング過ぎますね、それ。
もうリハーサルの時のことなんか記憶にないくらい。でも、本番は形になったんです。また自分にとっても、納得のいかないものにならなかった。そして結果的にその共演がご縁で、その後デンマークに呼んでもらえることになった訳です。彼らにしてみれば失敗しなかったことが驚きで、「このカオスな現場をまとめたぞ、コイツ」みたいな感じだったのだと思います。
コワモテなジャズマンたちをリードする、コミュ力の源
――東京JAZZは文字通り大成功をおさめられたのですね。それが証拠に、DRBBの首席指揮者就任時にはこんなに盛大に歓迎されている映像も残っています。
コペンハーゲン空港で行われたフラッシュ・モブの様子(2019年)。DRBBからは就任前に歓迎のビデオレターのプレゼントもあったのだとか。
――挟間さんはもちろん作曲家でもあるわけですから、譜面と向き合う、いわば孤独な時間も多いはず。ただ、こうした指揮者としての活動も旺盛で、着実にキャリアアップしてこられました。楽団のメンバーと一緒に音楽作りをする、ましてや外国人同士でそれがうまく行っていること、その際のコミュニケーション力は、どこで身に付けられたのですか?
これね、もう日本人だからだとしか思えないです(笑)。よく、アメリカでも聞かれるんですよ。空気を読むなんて言葉自体、英語にはないですね。ストレートに言わないと通じない文化ですからね。英語で言うと、「read between the lines」つまり「行間を読む」、といったところでしょうか。留学してからすぐに、この感覚は日本人特有のものなんじゃないかと気がつきました。そして、これを武器にしなくては、と(笑)。
――なるほど、海外だと「空気を読む」という行為自体理解されづらいのではないでしょうか。
そうそう。だから、インタビューで尋ねられた時なんかは、カメレオンのようにパーソナリティを使い分けている、と答えてます。先ほどの東京JAZZはまさにそのようにして切り抜けました。
もともと、人間観察が好きなところがあるんです。例えば空港にいて、言葉は分からなくても何か喋っている人を見ると今喧嘩しているのかトラブルに巻き込まれているのか、分かってしまったりとか。だからその感覚をフルに使って、応用しているのだと思います。
――様々なメディアでの挾間さんの受け答えを拝見していると、とても聡明で、はっきりとした意見をお持ちの印象がありますが、そうやって自在に人格を使い分けるなんて、大変なのでは?と思ったりもします。小さい頃から、主張は強いほうだったんでしょうか?
いえいえ、全くですよ(笑)!とにかくね、私は言われたことだけをやるタイプでした。(はにかむ挾間さん。)
自発性ゼロ!でも音楽だけは…
――なんと、それは意外でした。てっきり自己主張がはっきりされているお子さんだったのかと・・。
そう、だから親が一番びっくりしていますよ(笑)。小さい頃は、通信簿に「よく出来ています、ただし自発性がないです」と書かれるような子どもでした。それなのに、今や自発性がないとやっていけない世界に身を置いているなんて、面白いですよね。それに、ものごとでも先が見えないことが何より嫌いなはずなのです、本当は。けれども、こうして先の見えないことをやっている、これはもうよっぽど譜面を書くこと、そして音楽が好きなんだと思います。
――なるほど。ベースの人格は枠組みの中におさまっていたいはずなのに、音楽の場合は、挾間さんの通常のモードではなくなる、みたいなことですね。
うん、それが化学でも数学でも、図画工作でもなくて、音楽だったんですよね。音楽だけは言われなくても動いていました。子どもの頃もこんなことがあって、電子オルガンを習っていたんですが、両親の誕生日会をやるということになりました。そのために、彼らの好きな曲を演奏したくて土日の朝6時くらいに起きて、こそこそ練習する、みたいなことをやっていたんです。その時はただ単に親を喜ばせるためにやっていて、また両親が大袈裟に喜んでくれたからでしょうね。音を組み立てていく作業、音楽へのとてつもない執念というものを自分自身に感じます(笑)。
――国立音楽大学の作曲科でクラシック音楽の作曲を学ばれた後、ニューヨークへ行かれる訳ですが、ここでも自発性が発揮されていますね。この時の動機というのはどんなものだったのでしょうか。
もともと、小学校の頃から作曲家になりたいという夢がありました。それで中学・高校と音大の附属の学校に進んで、作曲を学んでいました。昔から大河ドラマが好きだったこともあって、ドラマや映画の音楽を作りたいと思っていました。
ただ、当時そういうドラマや映画の音楽は、コンピューターを使って作曲することが主流になり始めていて、自分はそのために作曲を学んできたんじゃない、と大学4年にして、どんな曲を作れば良いか分からなくなってしまったんです。
――いわば大きな行き詰まりを感じられたと。一方で、国立音大時代はビッグバンドサークルにも所属されていましたね。
はい、そこでの経験は人格が変わるくらいの大きなもので、自身のターニングポイントになっていると思います。あと、バンドで好んで演奏していた作曲家たちって、みんな”生きていた”んです。
小さい頃からクラシックを勉強して、モーツァルトとかハイドン を弾いてきました。好きな作曲家といえば、ラヴェル、プロコフィエフ、バーンスタイン・・ってみんな死んでるでしょ?武満徹さんにも会いたいけどお亡くなりになっていた。自分の好きな作曲家にはほぼ会えない、というクラシック音楽で味わった現実があったからこそ、ビッグバンドで演奏していた曲を作った人たちが生きていることがすごいことだと感じられたのです。「生きているのであれば、会ってみたら人生変わるかも」と思いその作曲家たちが教えていた大学を片っ端から受験しました。そこで受かったのがマンハッタン音楽院大学院で、「ジャズ作曲科」という学科でした。
日本の現代クラシック音楽界において直接お会いできたスーパーヒーローといえば、池辺晋一郎先生かもしれません。大河ドラマでも素晴らしい音楽をお書きになっていらっしゃるし、長年「N響アワー」の司会を務められていて、それらの番組で育った人間としては、池辺先生にお会いできるというのはとても大きなことでした。昨年(2020年)行われたJust Composed 2020 Winter in Yokohama ―現代作曲家シリーズ―「時代を超える革新」というコンサートでも、先生から結構な無茶振りをされましたが(笑)、やはり実際にお話しできる時はいつもテンションが上がります。
「ジャズ作曲家」に込めた想い
――その「ジャズ作曲家」についてなのですが、挾間さんは作曲家の前に”ジャズ”をつけた肩書を名乗っていらっしゃいます。もちろん、ジャズ作曲科を卒業されている訳ですから当然といえば当然なのですが、例えば、ポップスやクラシックの作曲家はみんな作曲家としか言いませんが、あえてご自身のメインのジャンルを表に出すのには何か理由があるのでしょうか?
そうですね、ジャズ作曲家です、と名乗ることには訳があります。大学生の頃、自分の大編成バンドなんて持てないですから、トリオを組んでピアノを弾きながら自分の作品を発表する活動をしていました。大学卒業後は山下洋輔さんの事務所に所属していたこともあって、山下洋輔が見つけてきた”ジャズピアニスト”として世間には映ってしまったんです。そうやって、周りからの目線や評価がジャズピアニストとして定着してしまって、現役音大生ジャズピアニストとしてデビューしないか、というお話もいくつかいただきました。でも、自分の中ではジャズピアニストとしてやるつもりは毛頭なくって、作曲をしたかった。そういう主張もしたのですが、その当時は否定されましたね。ニューヨークへの留学はどちらかと言えば、そういうレッテルから逃げる、というような意味合いが強かったです。いったん避難、みたいな(笑)。最終学歴がジャズ作曲科卒業なら、ジャズ作曲家と名乗っていいだろう、という変な理屈があって。
――名乗ってみてどうでしたか?
肩書きがシンプルにわかりやすくなり、楽になったと思います。せっかくアーティストとしてデビューするのであれば、自分のブランドをより強く維持したいという思いがあったので、ジャズ作曲家と名乗ることでジャズのメソッドを使って作曲している人なんだよ、ということを一言で示すことができました。ゆくゆくは“ジャズ”という言葉がなくても自分のブランドがしっかり独立してくれれば良いのですが。
――その名称も日本人には珍しいので、キャッチーですよね。
例えば、須川展也さんや今井美樹さんなど、クラシックやポップスで活躍されている方々からお声がけいただくこともありました。ジャズっぽいことに挑戦したいんだけど、どういう風に何をしていいか分からなかった、という相談を受けたり。だから、ジャズ作曲家と名乗ることによって自分のブランドを明確に示して興味を持ってもらうきっかけを作る、そういう意味では楽に活動ができたと思います。
「今井美樹『Classic Ivory 35th Anniversary ORCHESTRAL BEST』レコーディング・ドキュメンタリー」より
世界に認められたm_unit
――「自分のブランドを強く維持する」という意味においては、挾間さんの自己ブランディングの象徴が、ご自身の声かけによって集まった精鋭たちからなるm_unit*だと思うんです。2019年には第62回グラミー賞の「最優秀ラージ・ジャズ・アンサンブル・アルバム部門」へノミネートもされました。このm_unitができた経緯を教えていただけますか。
* 挾間さんの呼びかけによって集まった13人の楽器編成からなるジャズ室内楽団。ヴァイオリン(2名)、ヴィオラ、チェロ、ピアノ、ベース、ドラム、サックス(3名)、トランペット、フレンチホルン、ビブラフォン。これまでに、『Journey to Journey』、『Time River』、『Dancer in Nowhere』という3枚のアルバムをリリースしている。
『Dancer in Nowhere』のプレビュー動画
ニューヨークに留学した頃、先生や友達が当たり前のように自分のバンドを持って演奏活動している姿を見て、こういう風にやっていかなくてはいけないんだなと思いました。何かしら自分のバンドを持たないと、ニューヨークでは自分の作品を発信出来ないんだな、と気づいたのです。ただ、私の頭の中で鳴る音って、ビッグバンドではなく一にも二にもオーケストラなんですよ。だから最小限の編成でオーケストラの響きに近づくようにと考えてできたのが、13人ジャズ室内楽団のm_unitなのです。大学院の2年間かけて仲間を集めました。卒業リサイタルで演奏したとき、これはいけるなという手応えを感じて録音したのが、1枚目のアルバム『Journey to Journey』でした。
――どのアルバムも世界観が作り込まれていて、そのビジュアルのセンスの良さからも興味を持ってくださる人がいるのではないかと思います。
m_unitに関しては、楽曲以外にもコンセプトや衣装など、全て自分で決定しています。制作に携わってくれるメンバーも会ったこともないのにネットで連絡とって、ナンパして、という風にして探しました。写真、デザイン、ミュージックビデオなども信頼を置いているアーティストがいいパフォーマンスを発揮してくれて、その上で私がかなり色々口出しをしています。逆に制作の時点で今まで誰からも口出しされなかったですね。仮にもしされても聞かないと思いますが(笑)。それくらい自分のわがままを詰め込んだプロジェクトです。もともと、本当に誰に言われる訳でもない状態から始まったプロジェクトなので。
――やはり、半端ないほどのこだわりがあるのですね。
あと、活動自体を長いスパンで考えられている、ということが良いと思います。1枚目の時からロゴがあり、コンセプトカラーがあります。例えばジャケットのビジュアルでも必ず帽子を被るとか。実は背表紙に付いているロゴもアルバムが増えていっても同じ位置できちんと並ぶように、と考えて入れています。そういうビジョンを最初から持っていられたのです。ただ1枚目を作るときはビジョンはあるものの、誰に何を頼んだらいいか分からない手探りの状態だったので、自分としては一番中途半端な感じはしていますが、枚数を経るごとに口出しできる範囲が広がっていきました。おそらく30年後にもm_unitの活動を同じようなスタンスでやっていることに、何の疑問もないですね。
『Time river』より《月ヲ見テ君ヲ想フ》 / m_unit featuring Steve Wilson (Soprano sax.)
――m_unitのこれからのビジョンはありますか?
m_unitは自分がバンドリーダーとして自分のブランドを表現する主軸となるバンドです。アメリカでキャリアを積んでいくことによって、作曲家としてのネーム・バリューが他の国にも派生していくといいなと思いながらやっています。今年はモンタレー・ジャズフェスティバルから委嘱をいただいておりまして、新作も発表する予定です。
人生という名の旅は続く
――これまでに多くの本番を経験されてきたかと思いますが、忘れられないコンサートはありますか?
舞台上の瞬間瞬間で言うと、m_unitのメンバーって最高に贅沢な空間で、いつも彼らと演奏をする時って、見たこともない景色を見せてくれるんです。もちろん、他の演奏家の方でも起こりますが、その幸福度が圧倒的に高いです。
――最初に伺った、DRBBとのこれからのことについて、少し聞かせてください。
3年間の契約期間があるのですが、その間に自分の作曲した作品で彼らといいアルバムを作りたいという思いがあります。m_unitはビッグバンドではないこともあって、今まで自作曲によるビッグバンドのアルバムを出したことはありませんでした。そして最初のアルバムは絶対にDRBBとやるべきだと思っていて、今回はそのレコーディングを行う予定なのです。アルバムは今年の秋にリリースされる予定ですので、ぜひ楽しみにしてもらえたら、と思います。
――作曲家としての目標はありますか?
今の作曲活動はジャズのためだけにやっているのではありません。そもそもこんなにクラシックが好きなのに(笑)。ジャズの世界とオーケストラがもっと繋がって欲しい、ということも大変大きな夢の1つです。それこそ、原点に戻れば小さい頃の夢だった、大河ドラマの音楽もいつか機会があれば作ってみたいですね。ゆくゆくは「挾間美帆に頼めばこんな音楽ができる」という状態になることが理想です。そうしたら、もしかするとジャズ作曲家と名乗る必要も無くなるかも知れない。既に体現されていらっしゃる方といえば、吉松隆さんや坂本龍一さん。吉松隆っぽい音楽って、ありますよね。あるいは、「坂本龍一に音を出させれば、こういう音楽になる」というのもあると思います。そういう感じで、名前でブランドが出来上がってしまうというのはすごいなと尊敬しています。プレイヤーでいうと上原ひろみさんとか。どの音楽ジャンル・編成においても成り立つようにすることが目標です。
――なるほど。この目標を聞くと今現在「ジャズ作曲家」という肩書きでいらっしゃることがとても腑に落ちました。
やはり、自分自身のブランドをより強固なものにしていくためにも音楽的センスはこれからも磨き続けなければいけない訳で、そういう意味ではニューヨークに身を置いているということはいい音楽も聴けて、切磋琢磨できていいですね。ただ、今のニューヨークはロックダウン状態でゴーストタウンと化しているので、早く元気を取り戻してくれることを願うばかりです。
――挾間さん、最後に聞いてもいいですか。先ほど、「譜面を書くことが本当に好きなんだと思う」と語ってくださいましたが、どのくらいお好きなんでしょうか?
放っておいても、五線紙に向かおうとします。私、実は留学後大学院を卒業してから4ヶ月くらい仕事がない時期を過ごしたんです。タイミングとしては1枚目の『Journey to Journey』というアルバムを出した頃です。アルバムを出せば忙しくなると思ってたんですが、全然そんなことなかった(笑)。学生の時は学校に行きながらだったので、それなりに仕事をしているつもりだったんですが、実際はそれほどでもなかったのです。その時どうしてたかな、と思うと読書でもなくスポーツでもなく飲んだくれるでもなく、はたまたドラッグに溺れることもなく。五線紙を前にしてああでもないこうでもないと言っていた気がします。何もなくなっても向かうもの、かな。運動したら、って言われるのにやらないんですよ。でも作曲はする、みたいな。やっぱり作曲が好きなんだと思います。あ、あと食べることも好き!この2つは欠かさないから(笑)。
(取材・文 北山奏子)
今後の予定
NEO-SYMPHONIC JAZZ at 芸劇 〜スプラッシュ・ザ・カラーズ!〜
NEO-SYMPHONIC JAZZ”の第三弾。特別編成のオーケストラでおくる最先端シンフォニック・ジャズ!3回⽬となる本年の公演は、昨年に続き東京フィルハーモニー交響楽団と気鋭のジャズ・ミュージシャン16名による「挾間美帆 m_big band」で、挾間美帆が常任客演指揮者を務めるオランダの名⾨、メトロポール・オーケストラと同じ編成のスペシャル・オーケストラを編成、挾間が⾃らタクトを執り、現代の最先端シンフォニック・ジャズ・サウンドが体験できます。
プログラムのテーマは、挾間がメトロポール・オーケストラのために作曲した新作のタイトル「スプラッシュ・ザ・カラーズ」。デューク・エリントンや穐吉敏⼦の名曲から、マリア・シュナイダーや挾間美帆まで、タイトルに⾊が⼊った古今東⻄のジャズ・ナンバーをセレクトされています。そして今年のゲスト・アーティストは、モノンクルのヴ―カリスト吉⽥沙良。スペシャル・オーケストラのサウンドに更なる⾊彩を加えてくれることでしょう。
公演名 | NEO-SYMPHONIC JAZZ at 芸劇 〜スプラッシュ・ザ・カラーズ! |
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日時 | 2021年07⽉30⽇ (⾦)19:00 開演 (ロビー開場18:00) |
会場 | 東京芸術劇場コンサートホール |
出演 | [指揮]挾間美帆 [演奏]東京フィルハーモニー交響楽団 挾間美帆 m_big band 池⽥篤、辻野進輔、吉本章紘、⻄⼝明宏、⽵村直哉(sax) 真砂陽地、広瀬未来、河原真彩、⽯川広⾏(tp) 半⽥信英、⾼井天⾳、⾼橋真太郎、野々下興⼀(tb) 佐藤浩⼀(p)、須川崇志(b)、⾼橋信之介(ds) [ヴォーカル]吉⽥沙良(モノンクル) |
プログラム | デューク・エリントン:ブラック・ブラウン・アンド・ベージュ 穐吉敏⼦:ロング・イエロー・ロード マリア・シュナイダー:グリーン・ピース 挾間美帆:スプラッシュ・ザ・カラーズ(⽇本初演)ほか |
料金 | 【⼀般発売】 4⽉24⽇(⼟)から S席8,000円 A席6,500円 B席5,000円 ⾼校⽣以下1,000円 |
お問い合わせ | 東京芸術劇場ボックスオフィス TEL:0570-010-296 (休館⽇を除く10:00〜19:00) |
詳細 | こちら |
リリース情報
- Edition RecordsよりDRBBとのニューアルバムが今秋発売予定。
挾間美帆 (Miho Hazama) 作・編曲
国立音楽大学およびマンハッタン音楽院大学院卒業。これまでに山下洋輔、東京フィルハーモニー交響楽団、ヤマハ吹奏楽団、NHKドラマ「ランチのアッコちゃん」などに作曲作品を提供。また、坂本龍一、鷺巣詩郎、NHK交響楽団、テレビ朝日「題名のない音楽会」などへ多岐にわたり編曲作品を提供する。New York Jazzharmonic (アメリカ)、Metropole Orkest (オランダ)、Danish Radio Big Band (デンマーク)、WDR Big Band(ドイツ)等からの招聘を受け、作編曲家としてだけでなくディレクターとしても国内外を問わず幅広く活動している。
2012年、『ジャーニー・トゥ・ジャーニー』リリースによりジャズ作曲家として世界デビューを果たす。2015年に2枚目のアルバム『タイム・リヴァー』をリリース。2016年には米ダウンビート誌の「未来を担う25人のジャズアーティスト」にアジア人でただ一人選出され、2019年ニューズウィーク日本版「世界が尊敬する日本人100」に選ばれるなど高い評価を得る。3作目のアルバム『ダンサー・イン・ノーホエア』は、2019年米ニューヨーク・タイムズ「ジャズ・アルバム・ベストテン」に選ばれ、米グラミー賞ラージ・ジャズ・アンサンンブル部門ノミネートを果たす。
2017年シエナ・ウインド・オーケストラのコンポーザー・イン・レジデンスに、2018-19年オーケストラ・アンサンブル金沢のコンポーザー・オブ・ザ・イヤー、さらに2019年シーズンからデンマークラジオ・ビッグバンドの首席指揮者に就任。
(オフィシャルサイトより)