――今回のアルバムの表題曲でもあるラフマニノフの《チェロ・ソナタ》について、聞かせてください。この作品はもう随分長く演奏してこられたそうですね。
20代の頃から大好きな作品だったので、いつかレコーディングしたいとは思っていたんですけれど、ラフマニノフの音楽特有の「甘さ」とでも言えるでしょうか、若い時はそれがただ甘いだけ、になってしまっていたのです。オペラっていうチョコレートケーキがありますよね。あれもいろんな種類があって、なかには押し付けがましいくらい甘いものもあるけど(笑)、一方で甘いだけではなくてちゃんと味の余白を残したものもあります。かつての自分は「こう弾きたいんだ」というのが強すぎたところがありましたが、今は一度飲み込んで内側から染み出るような音楽になってきたように感じます。
また、当時はまだそれほど表現の引き出しも多くなく、感情ひとつをとっても「嬉しいか悲しい」のどちらかしかないような感じでした。両極端だったんですね。でも今は、いろんな経験を重ねたことによってどんな風に嬉しいのか、どんな風に悲しいのか、といった“どんな風に”の部分が増えてきたように思います。
――満を持してのレコーディングとなった訳ですね。宮田さんがこの作品に惹かれていらっしゃるのはどんなところですか?
演奏するたびに毎回作品から感じる物語が違うところです。霧がかかったようなところから始まるような時もあれば、自問自答しているようなイメージから始まったりとか。登場人物も、主人公がひとりぼっちのこともあれば2人の時もあったり……その時どきでいろんなシーンが浮かんでくるのです。
――イマジネーションを喚起させやすい作品だからこそ、確かに表現の引き出しが豊富なほうが適していますね。レコーディングをしようと思ったきっかけについて、ひとつは今の話で宮田さんご自身のタイミングがあったとのこと。他には何かあったのでしょうか?
この作品はラフマニノフ自身、《交響曲第1番》の失敗というとても辛い状況にあったなかで、もがきながらも希望を見出そうとしていた時期に生まれた作品です。そうした背景が、今のこのコロナ禍ともリンクするように感じました。さらに曲も、最初は先が見えないような不安定な始まりなのですが、楽章が進むごとにだんだんと光が見えてくるような、そして第4楽章に向かってとても前向きになっていくのです。苦しい状況から這い上がっていくようなストーリーを作品自体も持っていて、それを演奏することが今の時代に生きる人にとってのメッセージにもなりうると思いました。
――実際、今回の共演者でもあるジュリアン・ジェルネさんとはコロナ禍で久しぶりの共演だったのだとか。
そうなんです。ジュリアンとはもう10年以上の付き合いになりますが、これまで多い時は年に3~4回日本に来て一緒にツアーを回っていました。最後の共演は2019年で、今回は3年ぶりの再会となりました。やっと一緒に演奏できる、という喜びはとても大きかったですね。その思いが今回の演奏にも現れているんじゃないかな。
――ラフマニノフではお2人が一心同体というか、非常に一体感のある演奏が印象的でした。この一体感はどこから生まれてくるのか気になりました。演奏するにあたって何か共有しているイメージなどがあったのでしょうか?
僕たちのリハーサルはちょっと特殊なんです。普通、チェロはピアノに背を向けて演奏しますが、ジュリアンとの場合はチェロとピアノが向き合うような形でリハーサルをします。そうすると、リハーサル中にジュリアンは僕の弾いた音を感じ取って、ウィンクしてくれたりするんですね。言葉でやりとりをするのではなくて、ジュリアンは音で対話できる相手なんです。なので、ここは大きくあそこは小さく、という風な決めごととかはあえて作ってなかったですね。
――予定調和ではない世界観というのもこの作品にとてもあっていると思います。でも、お互いの方向性が違う場合などはどうされたのでしょう?
そもそも「違うな」ということが幸いにもあんまりないんですよ。ただ、彼が自分とは違うアプローチをしてきたとしても、「それもいいな」と思えるんです。逆に僕がそれまで演奏していたのとは少し変化をつけて演奏した場合でも、ジュリアンはしっかりついてきてくれました。これもあえていろいろ決めていないからできることなのかもしれません。
――今度はアルバム全体のことについて。ラフマニノフの他には同じロシア人作曲家のカプースチンも入っていますね。
これまでもコンサートでジュリアンとカプースチンを演奏してきたのですが、お客様の反応がとても良かったのです。でも、実際カプースチンの作品はそれほど有名ではないので、まだ聴いたことがないという方にもぜひ知っていただきたいという思いで今回、チェロとピアノのオリジナルの作品を3曲入れました。
それから、アルバム全体はひとつのコンサートのようにして楽しんでもらえるかなと思っています。メインがラフマニノフの《チェロ・ソナタ》で、カプースチンはジャズの要素も入っているのですが、アンコールのような感じですね。ラフマニノフはもう1曲《パガニーニの主題による狂詩曲》の第18変奏も入れていて、今回のために僕とジュリアンで編曲しました。
――ラフマニノフの壮大な世界の後に、雰囲気ががらりと変わってジャジーなカプースチンが入るという緩急のつけ方が絶妙ですね。レコーディングの中で印象に残っていることはありますか?
自分たちの演奏をチェックしているときに、ジュリアンが「とても細かなニュアンスまで逃さずに収録してもらえて嬉しい」と言ってたんですね。それで改めて、仕上がったものを聴いて、これはジュリアンがメールをくれたのですが「自分の演奏を聴いて涙した」そうなんです。普段はクールな彼の心を動かすくらい良く録っていただいたし、僕たちにとって再会を果たすことができた今回の録音は、とても充実したものになったと思っています。
――こうしたさまざまな条件が重なってアルバムがリリースされた今、宮田さんはどんな心境でいらっしゃいますか?
年齢を重ねると共に演奏も変わってきますが、これまでいろいろなことを経験してきた今の自分にしか出せない音が今回のCDに詰まっていると感じています。そしてそれにふさわしい作品を選び、満足いく仕上がりになりました。
また、先ほど「コンサートのようにアルバムを聴いてほしい」と言いましたが、レコーディングの時からコンサートに臨むような感覚で一回一回を大切にしながら取り組みました。だから実際はとてもハードでしたね……(笑)。でも、それがうまく演奏にも表れているといいなと思っています。
――まさにコンサートのような臨場感満載のアルバムでした! コンサートといえば、11月下旬からはリリースを記念した公演が各地で行われますね。ぜひ、来てくださる方へのメッセージをお願いします。
僕もジュリアンも、ようやくお客様の前でこの作品を演奏することができる、という喜びでいっぱいです! コンサートが「処方箋」代わりではないですが、音楽を聴いて自分が今どんな気持ちでいるか、感じ取ってみていただけたら嬉しいです。
コロナ禍での公演はまだまだ規制が多く、掛け声が出せなかったり、サイン会ができなかったりと、一見演奏家とお客様の距離が離れたようにも思えるのですが、僕はそうは感じていなくて、むしろ以前にも増して、演奏中にお客様と一緒に音楽を作っている感覚が強くなりました。コンサートは一期一会の場だと思うのですが、これまで各地を回ってきて二回として同じ演奏はありません。だから本当はお客様に全部の公演に来てほしいくらいです(笑)。ぜひホールで音に包まれる体験を味わっていただけたらと思います。
(取材・文 北山奏子)
インフォメーション
CD情報
タイトル | ラフマニノフ:チェロ・ソナタ |
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商品番号 | COCQ-85594 |
演奏 | [チェロ]宮田大 [ピアノ]ジュリアン・ジェルネ |
曲目 | 1-4. ラフマニノフ:チェロ・ソナタ ト短調 Op.19 5. カプースチン:ニアリー・ワルツOp.98 6. カプースチン:エレジー Op.96 7. カプースチン:ブルレスク Op 97 8. ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲Op.43より 第18変奏(ジュリアン・ジェルネ/宮田大 編) 録音:2022年4月19-21日 ハイスタッフホール(香川県) |
詳細 | こちら |
宮田大 チェロ・リサイタル
日時・会場・お問い合わせ | ●11月19日(土) 14:00開演(13:15開場) 所沢市民文化センターミューズ 詳細はこちら 問■公益財団法人所沢市文化振興事業団 TEL:04-2998-6500 ●11月20日(日) 15:00開演(14:30開場) ●11月23日(水・祝) 14:00開演(13:15開場) ●11月25日(金) 19:00開演(18:30開場) ●11月26日(土) 14:00開演(13:15開場) ●11月29日(火) 18:30開演(17:30開場) ●12月3日(土)、4日(日) 15:00開演(14:30開場) |
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出演 |
[チェロ]宮田大 [ピアノ]ジュリアン・ジェルネ |
宮田 大(チェロ)
2009年、ロストロポーヴィチ国際チェロコンクールにおいて、日本人として初めて優勝。これまでに参加した全てのコンクールで優勝を果たしている。その圧倒的な演奏は、作曲家や共演者からの支持が厚く、世界的指揮者・小澤征爾にも絶賛され、日本を代表するチェリストとして国際的な活動を繰り広げている。
2009年にスイスのジュネーヴ音楽院卒業、 2013年6月にドイツのクロンベルク・アカデミー修了。
チェロを倉田澄子、フランス・ヘルメルソンの各氏に、室内楽を東京クヮルテット、原田禎夫、原田幸一郎、加藤知子、今井信子、リチャード・ヤング、ガボール・タカーチ=ナジの各氏に師事する。
これまでに国内の主要オーケストラはもとより、パリ管弦楽団、ロシア国立交響楽団、フランクフルトシンフォニエッタ、 S.K. ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団、スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団、プラハ放送交響楽団、ハンガリー放送交響楽団、ベトナム国立交響楽団などと共演している。また、日本を代表する多くの演奏家・指揮者との共演に加え、小澤征爾、E. インバル、 L. スワロフスキー、 C. ポッペン、 D. エッティンガー、V.ポリャンスキー、V.シナイスキーをはじめとした指揮者や、 L. ハレル、 G. クレーメル、 Y. バシュメット、 M. ヴェンゲーロフ、 A. デュメイなどの奏者と共演。