日本のクラシック音楽コンクールの中でもっとも権威と伝統のあるものと言えば、間違いなく「日本音楽コンクール」。1932年スタートの本コンクールは若手音楽家の登竜門でもあり、90年以上の長きにわたって輝かしい歴史を刻み続けています。第73回大会にてみごと1位を受賞し、あわせて増沢賞、井口賞、野村賞、河合賞、聴衆賞をひとりでかっさらったのが、ピアニストの外山啓介さん。
ピアノを始めたきっかけから“不惑”を前に学びなおしたというその実直な姿勢まで、たっぷりとお話を伺いました。
きっかけは、友だちと一緒の習いごと
―― ピアノを始めたきっかけを教えてください。
友達が近所のピアノ教室に通っていて、そこに習いに行っていました。小さな町だったので、友だちみんなで同じ習いごとに通うような感じだったのですが、ピアノもその延長線上でした。放課後、スイミングや習字に行くような感覚です。4~5歳のころに始めて、その先生には小学校2年生で転校するまで習っていましたが、すばらしい先生でレッスンが本当に楽しかったです。
―― ご両親が音楽をされていたとか、習わせたかったとか、そういうわけではなかったのでしょうか。
父は銀行員でしたし、音楽にはまったく関係ない家庭です。
―― それは意外でおどろきました。いつごろから「プロのピアニストになる」ということを意識されたのでしょうか。
小学校6年生くらいから、門下生がコンクールに出まくるような、バンバン弾ける子が集まる先生に師事し始めました。そのころから僕もコンクールに出るようになって、漠然とピアニストになれたらいいな、と意識し始めたことを覚えています。小学校の卒業文集には「ピアニストになりたい」と書いていました。
―― プロのピアニストへの登竜門ともいえる東京藝術大学を目指し始めたのはいつごろからでしょうか?
実はあまり大きなきっかけはありませんでした。本当にざっくり「ピアニストになれたらいいなぁ」と考えていましたが、中学校に入ったあたりからだんだんとコンクールで成績が出せるようになってきて、先生から「今後どうしたい?」と聞かれて、ようやく考え出したくらいです。
中学校3年生の時に、たまたま藝大の先生に聴いていただくチャンスがありまして。本当にきちんと藝大の先生に師事し始めたのは、高校に入学してからです。
高校はいわゆる普通科高校でした。
―― 藝大を目指して音楽高校に入学することは考えなかったのでしょうか?
あまり考えませんでしたね。というのも、中学校3年生の本当に終盤で先の藝大の先生に初めて聴いていただいたので、そのタイミングではもう高校受験もすべて終わっていたんです。「藝高に入り直すという道もあるよ」と先生からお話もあったのですが……結構がんばって受験勉強して高校に合格したのに、浪人してまた受験するのが嫌で(笑)。そのまま3年間通いました。
あとは出身が札幌なので、東京にある藝高へ行くとなると15歳から親元を離れてひとり暮らしをしなきゃいけないわけですが、その選択肢が頭になかったこともあります。
いろんな経験ができて、普通校でよかったなって思うことが多いですね。意外と藝大も、半分くらいは普通校出身者ですよ。
無音の状態を怖がらないように
―― そんな外山さんがふだんの演奏で気を付けていることを教えていただけますか。
無音の状態を怖がらないように、ということはよく考えています。“ものすごく残響のあるホール、その舞台に自分しか立っていない”……そんな状況で「音」がしないって、すごく怖いじゃないですか。でも、ステージへ出る時、捌ける時、お辞儀をする時なども含めて、いわゆる「演奏していない時間」って意外と多いんです。そういう部分にこそ、120%の気力と時間を使うように気をつけています。そこで凛としたたたずまいを出せると、演奏会全体が締まるような感じがしますよね。
生徒さんにも言うことが多いんですが、やっぱりステージに出る時って緊張しているから、歩く速度がどうしても速くなりがち。大きなホールだと袖口からピアノまでの距離も遠いですし。緊張している時に“弾く”以外のことってなるべくしたくないじゃないですか。でも、自分の時間を充分に使ってゆっくり歩いて、ゆっくりおじぎをすると、すごく余裕があるように見えるんです。もちろんその部分だけではなくて、精一杯演奏することは大前提のお話ですが。
コンサートって、お金を出してチケットを買ってもらって、聴くためにわざわざ足を運んでいただくという、手間も時間もかかるイベントです。緊張して余裕もなさそうで、あくせくあくせく出てきてというのは、ちょっとカッコ悪い(笑)。ステージの上にいる時間は120%すべて自分の時間だと思って使うようにしています。
―― 外山さんのキリッとしたたたずまいからは、その心持ちが見えてくるようです。
昔、先生に教えていただいたアドバイスですがもうひとつありまして。
若い時とても汗っかきだったので、一生懸命弾くとかなり汗だくになってしまっていました。滴る汗を楽章間に汗を拭いていたら、「それなんかダサいよ」みたいなことをポツリと言われて……(笑)。聴いている方の集中力も切れちゃうから、汗を拭くにしてもなるべく最小限にした方がいいと言われて、確かにそうだよな、と。
音を出すこと以外にも、気をつけなきゃいけないことってたくさんあるんだと、その時に気が付きました。
一期一会のコンサート
―― 外山さんがこれまでに行かれたコンサートで印象に残っているものはありますか?
僕、ソプラノ歌手のアンナ・ネトレプコの大ファンなんですが、2016年、サントリーホールでのコンサート、あの公演はとても印象に残りました。
共演は旦那さんのみの、ほぼソロコンサートです。たくさんのアリアを歌っていくプログラムでしたが、舞台上での存在感、華やかさ、衣装のマッチ感、会場の空気の変化、そして堂々とした所作。どれを取ってもまさに大スターなのだなと思いました。あの公演は忘れられません。
―― ご出演されたコンサートで印象に残っているものを教えてください。
ありがたいことにたくさんありますが、2011年に天皇皇后両陛下(当時)が自分のリサイタルにいらしてくださったことは強く印象に残っています。その後も皇后陛下(当時)には二度もご拝聴いただいて、それはとても光栄で貴重な経験でした。今でも僕の中での大きな支えのひとつです。
ピアノと同じく“付け焼き刃”が通用しない筋トレ
―― ストイックな印象を受ける外山さんですが、ふだんの生活で気を付けていることを教えてください。
気を付けているというほどではないですが、ジムには一生懸命行っています。非常にストレス解消になるんです。でもきっかけは30歳を超えたあたりから「あれ、食べたら食べただけ太るぞ」ということに気が付いたからでした……(笑)。
それまでは運動という運動はまったくしていなくて、お酒も飲んでいて、一時期すごく太りました。「ちょっとジムにでも行ってみようかな」くらいのスタートでしたが、これが意外に楽しくて。なんだか自分の体の中の淀みが取れる感じがするんですよね。今ではジムが自分の中での優先順位がかなり上に来ています。
トレーニングってピアノと一緒で、付け焼刃ではダメなんです。やればやるほど結果が付いてくるので、その意識もピアノへとつながっていると思います。
―― 何か目標を定めて始められたのでしょうか?
何か目標を決めてとか、鍛えたいとかではなく、ライトな感じで続けています。目標がないので「○キロ痩せなかった」などと落ち込むこともありませんね。
最初はひとりで取り組んでいましたが、やはり我流では腰や手を痛めだしたので、今はパーソナルトレーナーに全部決めてもらって続けています。そのおかげか、実は筋肉量が増えて10年前より20キロくらい増量してしまったので、演奏用のスーツがほぼ着られなくなりました。意外とすぐにサイズが変わるので、いつ作るか結構悩みますね(笑)。
―― 20キロは見た目も変わるレベルですね! それこそ演奏にはもっと影響しているかと思いますが、ご自身としてはいかがでしょうか?
多少スタミナはついたような気がしますが、トレーニングを続けているからと言ってリサイタル後の疲労感がなくなるかというと、意外とそうでもなかったりします。ただ、なぜか汗をかく量はかなり減りました。なので、昔のように楽章間に汗を拭くことも少なくなりましたね(笑)。
メンタルも安定しましたし、今では息抜きも兼ねているので、もうなくてはならない存在です。
演奏にも直結する“財産”を築いた、コロナ禍のお話
―― ここからは2023年10月9日(月・祝)にサントリーホールでおこなわれるリサイタルについてお伺いします。各地を飛び回っている外山さんですが、長いコロナ禍でやはり生活は一変しましたか。
コンサートが一気になくなりました。ほぼ毎週、東京から札幌の大学に教えに行っていたのですが、それもすべて休講やリモートになり、デビューしてから初めて半年間まったく移動しない生活をしました。
でも、ここで生まれた時間は非常に有意義でした。これまでありがたいことに、コンサートが終わってもすぐに次のコンサート、という生活を続けてきたので、公演と公演の間が空くことはあまりなかったんです。自分を振り返る良い時間になりました。
もうすぐ40歳になりますし、この先50歳60歳になった時にどういう人間になりたいのかを考えて、演奏のクオリティを上げたいと思っていた矢先でした。
―― そのために、具体的にご自宅ではどのようなことをされていましたか。
机に向かう時間ができたので読書をたくさんしました。それまでなんとなく知っていたベートーヴェンの人生だとか、一応勉強はしたけれどなんとなくつけていた解釈も、きちんとアップデートできた時間でした。さまざまな本を読んで調べて、自分の中で解釈が変わった曲もあります。
これがとても幸せな時間で、今まで本当にいろんなものに追われていたんだなぁと思ったりもしました。
―― その勉強が、今回の演奏会や選曲にもつながってきているのでしょうか。
特にベートーヴェンはそうかもしれません。古典派の作品はルールがとても多いので、「ダメ」「禁止」の連発で苦手意識がある若い方も多いと思います。けれど、なぜそのルールが存在するのかをきちんと勉強し直してみると「なるほど、こんなことだったのか」と、腑に落ちるんです。
ルールに縛られているわけではなく、根拠があることとして理解できて、おもしろくなりますね。
すべての曲を聴き終わった後、お客さまに笑顔で帰ってもらいたい
―― 今回の選曲はとても華やかで楽しい曲が多い印象ですね。
世の中が重い雰囲気に包まれていたこともあり、明るくて楽しい曲を弾きたいと考えていました。あまり暗い作品ばかりを扱うと、自分自身もどんどん沈みがちというか思い詰めていく部分もあって……(笑)。
―― ピアノ・ソナタ第24番《テレーゼ》は、ベートーヴェンの作品の中でも非常に優しい印象を受ける作品です。
ベートーヴェンにとって《テレーゼ》は非常に大切な作品だと思います。ちょうどピアノという楽器がどんどん進化している真っただ中の作品です。《ワルトシュタイン》でピアノの性能が上がって、鍵盤の数も増えて、変化に対しての喜びと戸惑いがあって、《熱情》のころにはベートーヴェンも「自分の才能が楽器についていかない」と葛藤していたのではないでしょうか。《熱情》という大作を仕上げて、そのあとに少し違う毛色というか、新規開拓の気持ちをもって書いたのが、《テレーゼ》なのかなと考えています。
もちろんほかの事情があったのかもしれませんが、ああいうかわいらしくて愛情に満ちあふれた、手放しの明るいベートーヴェンってなかなかありませんよね。これまでもずっと弾きたいなと思っていて、今回のプログラムに入れました。
―― ショパンの《アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ》も優雅な作品ですね。
今回のプログラムは実はとてもお気に入りでして。「明るい曲が弾きたいな」と思ってまずパッと思い浮かんだのが、ショパンの《アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ》でした。ショパンが若いころの、エネルギッシュな、それでいてとても優雅なポロネーズで大好きな作品です。
実は大学3年生の時に日本音楽コンクールで第1位をいただいた際の、いわゆる“ご褒美コンサート”で演奏したのがこの《アンスピ》で、僕にとって非常に思い出深い作品なんです。ですがほかにもたくさん弾きたい曲や勉強したいことがあったので、ここまでなかなか再度弾く機会がなくて。「今年は絶対《アンスピ》弾くぞ!」と思っていたのでとてもうれしいです(笑)。
ショパンって、やっぱり作曲するのがとても上手なんですよね。本人も弾ける人だったから、難しい曲が多いのは確かですが、なんというか、こうピアニスト冥利に尽きると感じるフレーズがたくさん出てきます。個人的には“これ見よがしじゃない”ところがショパンの一番の魅力かなと思っていて、直接的な言葉では言わないけれど、きちんと印象に残るところがすごい。
《アンスピ》は弾いていて、好きだなと素直に思わせてくれるところがすごいなと思います。
―― たびたびサントリーホールで公演されていますが、特別な舞台だと感じますか?
ありがたいことにデビューコンサートがサントリーホールで、ほぼ毎年立たせていただいています。でも実を言うと、ここだけが特別だとは感じていません。すばらしいホールには間違いありませんが、どこのホールへ行ったとしても、やっぱり緊張する時はすごく緊張しますし、意外とあまり変わらないかな。そこまで考える余裕がないというのもありますが(笑)。
昔に比べて「弾くことが怖い」思う機会が多くなった気がします。「ああなりたい」という理想が増えてきたこと、そしてピアニストして“ピアノを弾く”ことを仕事にしている部分が大きいかもしれません。
自分のためだけに弾いているのだったら、極端な話、弾きたくなくなった時点で「やっぱりここでやめます」と言えばいいのですから。でもお客さんはお金を払って来てくださっているし、僕がコンサートをすることでたくさんの人も動いてくれている。とてもいい意味で、若いころよりもプレッシャーを感じる部分は増えてきています。昔はその演奏をこなすだけで精一杯、一生懸命だったし、今から考えると怖いもの知らずでしたね(笑)。
精神的に成熟してきて、次の段階に進んだのかもしれません。
―― ありがとうございました。最後にららら♪クラブの読者へ向けてメッセージをお願いします。
シンプルに、一緒に音楽を楽しんでいただきたいです。コンサートって、やっぱり現地に行くその空気感が楽しいじゃないですか。開演を待っている間も楽しいし、プログラムを読んでいる時間も楽しい。
お客さんはもちろん、その会場に存在するものすべてをふくめてコンサートだと思うので、特に世の中の状況が変わってきた今年は、一緒に会場で作っていただきたいなと思っています。
(取材・文・構成 浅井彩)
今後の公演情報
外山啓介ピアノ・リサイタル~君に捧ぐ~
日時 | 10月9日(月・祝) 14:00開演(13:15開場) |
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会場 | サントリーホール 大ホール |
出演 | [ピアノ]外山啓介 |
プログラム |
ショパン(リスト編):私の愛しい人 シューマン(リスト編):献呈《君に捧ぐ》 リスト:愛の夢 第3番 ベートーヴェン(リスト編):アデライーデ ベートーヴェン:エリーゼのために、ピアノ・ソナタ第24番《テレーゼ》 ショパン:ワルツ第9番《告別》、ワルツ第6番《小犬》、スケルツォ第2番、ノクターン第14番、アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ |
チケット | 全席指定:S席4,000円 A席3,000円 |
詳細 | こちらから |
お問い合わせ | チケットスペース TEL:03-3234-9999 |
★同プログラム公演は以下でも開催★
8月6日(日) | 【静岡】沼津市民文化センター お問い合わせ:イーストン TEL:055-931-8999 |
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8月25日(金) | 【北海道】札幌コンサートホール Kitara お問い合わせ:オフィス・ワン TEL:011-612-8696 |
9月2日(土) | 【大阪】ザ・シンフォニーホール お問い合わせ:ABCチケットインフォメーション TEL:06-6453-6000 |
9月9日(土) | 【岡山】岡山県立美術館ホール お問い合わせ:岡山音協 TEL:086-224-6066 |
外山 啓介(Keisuke Toyama)
札幌市出身。5才からピアノを始める。
2004年、第73回日本音楽コンクール第1位(併せて増沢賞、井口賞、野村賞、河合 賞、聴衆賞を受賞)。東京藝術大学卒業。 08年よりドイツ(ハノーファー音楽演劇大 学)留学を経て、11年、東京藝術大学大学院を修了。18年、第44回「日本ショパン協 会賞」受賞。札幌大谷大学芸術学部音楽学科特任准教授。洗足学園音楽大学非常勤講師。 07年、デビュー・アルバム『CHOPIN:HEROIC』リリース。 サントリーホールを始め全 国各地で行われたデビュー・リサイタルが完売、新人としては異例のスケールでデ ビュー。08年、2作目のアルバム『インプレッションズ』をリリース。 09年、ワル シャワ国立フィルハーモニー管弦楽団来日公演にてショパンのピアノ協奏曲を共演。 3作目のアルバム『ラフマニノフ』は『レコード芸術』誌特選盤に選出された。 10 年、4作目のアルバム『幻想ポロネーズ』をリリース、12月31日には「東急ジルベス ターコンサート」に出演(テレビ東京系にて全国ネット生中継)。 11年、過去4枚の アルバムから選曲した『外山啓介BEST』を発売。12年、札幌コンサートホールKitara でのニューイヤー・コンサートに出演。 13年、ベルギー国内5か所でフランダース交 響楽団定期演奏会に出演しヨーロッパ・デビュー。NHK交響楽団との共演がNHK Eテレ にて全国放送。 6作目のCD『展覧会の絵』が『レコード芸術』誌特選盤に選出され た。14年、映画『砂の器』のテーマ曲「宿命」を東京・大阪にて演奏(ライヴ録音CD 発売)。 15年、CD『ショパン:バラード全集』をリリース。16年にはベルリン交響楽 団日本公演ツアーにソリストとして参加。 17年はデビュー10周年記念ツアーを全国約 20か所で実施、最新CD『マイ・フェイヴァリッツ』リリース。
毎年全国規模のリサイタル・ツアーを行っており、その繊細で色彩感豊かな独特の音 色を持つ演奏は、各方面から高い評価を得ている。
これまでに、NHK交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、日本フィルハーモニー 交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、読売日本交響楽団、 札幌交響楽団など 多くのオーケストラと共演。植田克己、ガブリエル・タッキーノ、マッティ・ラエカ リオ、吉武雅子、練木繁夫の各氏に師事。