ピアノの普及
クラヴィコードやチェンバロから進化したピアノフォルテ。クリストフォリの発明した楽器は、ジルバーマン発案のダンパーペダルの原型や、シュタインが改良したハンマーの構造が組み込まれ、約100年をかけて、18世紀末ごろには近代のピアノに近い形になりつつありました。
その頃ウィーンでは、貴族から中産階級の市民へ音楽の後援者が代わる時を迎えていました。背景にあるのはナポレオン軍との戦争による国庫の経済破綻、さらなるインフレ、通貨大暴落、出資した貴族たちの相次ぐ破産といった負の連鎖でした。しかし、それよりも大きかったのは、マリア・テレジアとヨーゼフ2世が施した外国籍を問わない国内在住者の人材育成政策によって、重要な社会的地位についた市民の存在でしょう。彼らは経済的に国家を支えるだけでなく、文化活動に参画することでも市民権を得ていきました。楽友協会の会員としてのオーケストラ定期演奏会鑑賞、自宅で音楽を楽しむための楽器と楽譜の購入、家庭的でカジュアルなサロンコンサートの私的開催などで後援者となり、楽譜や音楽新聞の出版、楽器製造といった音楽産業の活性化にも貢献しました。こうして音楽愛好者が増え楽器の需要が高まった当時のウィーンでは、100を超えるピアノ製作者たちがしのぎを削ったと伝えられています。特に、鍵盤での軽いタッチにも繊細に反応するハンマー、強音は出せないものの速いパッセージが弾きやすく、指の力だけで演奏者の意図する音が出せるワルターやシュタインのピアノには人気が集まったそうです。
ウィーン式ピアノ
シュタインの後継者シュトライヒャー夫妻とベートーヴェンの親密な関係、楽器の改良とピアノ音楽の発展については、これまでにも番組で取り上げられていましたね。シューベルトのピアノ曲も同様に、ワルターやシュタインに代表される「ウィーン式ピアノ」を使用していたことが作曲に影響したと考えられています。このウィーン式ピアノは軽やかで華麗な音色が特徴ですが、他にも重厚な音響と音量、そして音色のコントラストがつく「イギリス式ピアノ」と呼ばれる対極的なピアノも製作されていました。番組で紹介されたエピソード、幻想曲《さすらい人》を披露する場面でシューベルトが上手く弾けず「悪魔にでも弾かせろ」と叫んだのは、もしかすると当日の会場の楽器がたまたま彼の手に合わないイギリス式だったからかもしれません。
イギリス式は乱暴な打鍵への耐久性を持つ一方で、アクション(楽器内部の構造)の特性により腕力やたたきつける弾き方を要するものもあり、これを嫌ったシューベルトは、弱音でのニュアンスや細やかな表現力に富むウィーン式を好んで使用したそうです。友人宅に居候することが多かったからか自分の住居もピアノも持たず、借りたピアノを頻繁に独占していたようですし、おそらくそのほとんどがウィーン式でしょう。シューベルトの友人たちが地位とコネクションと財力を総動員して自費出版を成し遂げた歌曲《魔王》や、それ以降に書かれた歌曲のピアノ伴奏パートへの工夫。オペラ作曲家になろうとした野心の副産物かのような、オペラ序曲を思わせる第1楽章から始まる幻想曲《さすらい人》。4手連弾、室内楽ほか、彼のピアノ音楽での表現における挑戦の数々は、市民に普及していたウィーン式ピアノを渡り歩いたノマドワーカーだったからこそかもしれませんね。
(文・武谷あい子)
参考文献:
「音楽と社会 : 1815年から現代までの音楽の社会史」ヘンリー・レイノア著 ; 城戸朋子訳, 音楽之友社, 1990
「ピアノの歴史 : 楽器の変遷と音楽家のはなし」大宮眞琴著,(音楽選書, 69)音楽之友社, 1994
「作曲家人と作品 シューベルト」村田千尋著, 音楽之友社, 2004
「欧米のピアノメーカーの歴史–ピアノの技術革新を中心に」大木裕子著, 京都マネジメント・レビュー 17巻, 京都産業大学マネジメント研究会, 2010
「作曲家から見たピアノ進化論」野平一郎著, 音楽之友社, 2015
「フランツ・シューベルト : あるリアリストの音楽的肖像」ハンス=ヨアヒム・ヒンリヒセン著 ; 堀朋平訳,(叢書ビブリオムジカ = Bibliomúsica)アルテスパブリッシング, 2017
「ウィーン市立博物館」公式ホームページ
「メトロポリタン美術館」公式ホームページ