昨年9月、ブザンソン指揮者コンクール優勝のニュースで一躍注目を集めた、沖澤のどか。
そんな彼女に改めて、「指揮をすること」について問うた。話を聞くと、コロナ禍のこの状況や、はたまた落選した過去のコンクールの経験をも、全て自分の血肉に変えようとする姿勢が浮かび上がってきた。まるで、生きることそのものが指揮をすることであるかのように。加えて、「人の演奏を聴きに行くのにお墨付きはいらない」、そう語りながら彼女は受賞をあくまでも結果として受け止め、より先の未来を見据えていた。活動拠点とするベルリンの音楽事情から、今感じ考えていることをありのままに、そして自由に語ってもらった。
コロナ禍でのいくつかの出来事
―― 新型コロナウイルスの流行、という状況を沖澤さんはどんな風に感じていましたか?
世界中、みんな同じような状況に陥ったことで、今まで舞台でしか見たことなかったような巨匠たちが自宅から出演するインタビューを見たんです。バレンボイムが(コンサートが中止になったことで)1日12時間寝てる、とか。雲の上の存在だと思っていた人が、自分と同じ状況にいる。過ごし方もそうだし、感じ方や捉え方も違って「みんな人間なんだな」と思いました。
―― 日本でも本格的に流行し始めた頃は、ベルリンにいらっしゃったんですよね?
はい。その時、日本での演劇界の動きに注目していました。東京芸術劇場の芸術監督である野田秀樹さんが「ウイルスの蔓延にあっても演劇の公演は継続し、中止は最後の手段であるべき」という声明を出されたんです。その中でスポーツ界の話を引き合いに出したりしたことで、批判の声も上がっていました。
―― どんなところが気になりましたか?
業種ごとの対立構造ができてしまうと怖いなと思いました。私は野田さんの文章を読んで、そこまで違和感を感じなかったのですが、演劇やクラシック音楽の存続を訴えづらくなっているように感じました。普段ならそんなことないはずなのに、みんなが神経質になっていて、芸術を受け入れる余裕が無くなりつつあることに、恐怖を覚えました。「もっと大変な人が他にいるのだから」、「こんな状況で音楽なんて」と思われるのではないか、と。自分自身もそうだったんですけど、世の中全体が、何が正しいのか分からない状況だったと思います。
―― そのような状況で沖澤さんが起こされたあるアクションについて、教えてください。
自分に何かできればな、という思いからFacebookで、オーケストラの支援先をまとめて発表しました※。世間の空気的に発言のしづらさを感じたので、すぐできるほうがいいと思いました。また、野田さんはポストがありますが、自分はどこのオーケストラにも所属が無いのが、かえっていいなと思いました。
https://www.facebook.com/nodoka.okisawa/posts/2809021605833617
※4月10日、自身のFacebookで全国約40のオーケストラの寄付金受け入れ窓口のURLを一斉に貼り付け、支援を呼びかけた投稿。
――反響は大きかったでしょう。
仲間がたくさんシェアしてくれました。また、投稿を受けて、オーケストラ連盟が共通の窓口を開設してくれました。特定の楽団ではなく、オーケストラ文化全体に貢献したい、という人がいらっしゃったそうです。
―― 素晴らしいです。この夏は、日本でも本番があったそうですね。
今年1月ぶりの本番で、最初は泣くほど感動するのかなと思ったんですが、実際はそんなことなくて(笑)、やらなきゃいけないことに必死でした。でも、リハーサル初日に音を出した時はやはり感動しました。自分の居場所に戻ってきた感触はありました。
―― 約半年ぶりですか。
社会復帰、って感じでした。これまでは、本番の間が空いてもエンジンは切らないままだったのですが、完全にストップしていたので、本番に照準を合わせることに苦労しました。本番前には激しい胃痛に襲われたりして・・。大なり小なり他の方も本番への精神面での調整に苦労されたと思うんですけど。
―― 楽団のみなさんとはどうでしたか?
マスクをしてのコミュニケーションというのは、難しかったです。近況を話したい人もいれば、できるだけ話したく無いという人もいて、人によって違う距離感を探りながら過ごしていました。
―― 本番前に胃が痛くなることは初めて?
実は毎回こうなんです。
―― ブザンソンの時もですか?
そうです。「出番です」ってトイレに人が呼びにきました。(笑)
―― でも、本番を迎えられて良かったですね。
いや本当に、体が軽くなった感じがしました。始まるまではものすごく緊張するんですけど、始まってみると、呼吸がしやすくなりました。
指揮について
―― 今までも、こうした身体への影響はありましたか?
毎回、本番に臨む前は緊張をし、指揮をすると解放される気がします。
―― その「解放感」は、楽器の演奏からでは得られないものですか?
何度も練習した曲を自分が何も考えないで弾くことができたら自由さを感じるのですが、それよりもオーケストラの方が圧倒的にいい演奏だから。良い音って気持ちがいいんです。自分の演奏技術では出せない音が出せるのがいいですね。
―― 指揮棒を振っている時は何を考えていますか?
ものによりますが、抜粋ではなく全体を通して演奏する曲は解放的になりますね。
―― 沖澤さんが指揮をやる理由ってどこにあるのでしょうか。
奥が深くて、長く取り組めるところです。自分の生き様が出る職業だと思うんです。今は、目の前の本番が怖かったりしますが、指揮者っていう職業を考えたとき、50年後どういう人間になっているかが直結すると思うと、とても魅力的に感じます。一生かけてやる価値があると思います。
―― ずっと追求していくことができますよね。終わりがない。
指揮の場合、技術を磨くための練習、例えば何時間も腕を振るというものではなく、楽譜を読む作業や歴史を学ぶ作業が多いので、全ての時間が勉強で何をやるにしても演奏に通じます。
―― 楽譜を読む作業は、1回やった曲でも毎回やるのですか?
もちろんやります。身体が覚えてる、というのはありますが毎回新しく読み直します。
あと、周りを固めるということをやります。例えば、ベートーヴェンの交響曲を勉強する時、まず伝記を何冊も読みます。また、同時期に書いていたピアノ曲は?歌曲は?当時の楽器は?当時の人の様子はどうだったんだろう、といったことを調べます。ついついやり過ぎてしまい、演奏する曲の譜面を読む時間がなくなって慌てることも。
―― でも、そうした過程を経ることこそが音楽作りにとって大切だと思います。
そう信じてます。網の目を細かくしていく作業だと思うんです。時代背景や同時代の詩人など、深く学んでいくと、作品の細かいところをキャッチできるようになっていきます。これはあの曲に出てくるメロディーだなとか、この時代はこういう傾向があるな、とか。細かくしていく作業を続けていくと、将来的には色々なことが結びついてくると思います。
コンクールというもの
―― ブザンソンでの優勝後、何か変化はありましたか?
自信がついたと思います。ずっと、机の上で勉強したり、人の練習を見たりすることが多かったんですが、優勝したことで実践の場が増えました。どんな風に演奏しよう、とかここのテンポがうまく出ないときはどうしようとか、それまで漠然としていた課題や悩みが具体的になって、解決しやすくなりました。
―― 指揮者としての成長って、例えばこういう受賞後に感じるものなのでしょうか。どういう時に、ご自身の成長を感じますか?
そこの手応えが無いところが難しいです。でも、オーケストラから鳴る音が変わった時ですね。そして指揮者の大事な仕事である「テンポ」。今は、自分のイメージするテンポにならないことのほうがまだ多いんです。それが実現できた時、音楽が自然に流れた時に感じます。
―― すごい。手応えない中で前進し続ける強さを、沖澤さんから感じます。
これまでたくさんコンクール受けて失敗する中で、得るものが多かったと思います。以前受けた、オペラのコンクールの第一次予選で、予選の後にオーケストラの中にいらっしゃったとあるヴィオラ奏者の方に「君がこの予選に落ちたら、僕はヴィオラを辞める」って伝えにきてくださったんです。すごく感動しました。自分の職業をかけてまで、応援してくださった。結果、パスして彼は辞めずに済んだのですが、私にとってはとても印象深い出来事でした。
―― 今振り返ってみて、沖澤さんにとってどんな経験として残っていますか?
「結果は結果に過ぎない」ということを学びました。彼みたいに言ってくれる人が一人でもいてくださることで、自分のやることに価値があると思えました。この他にも、これまで落ちたコンクールで色々な人がかけてくれた言葉が今でも本当に支えになっています。だから優勝しても、結果に一喜一憂しなくなりました。
―― そうは言っても人間、欲があるものでは・・
もともとそんなに上昇志向がないんです。コンクールを受けたのも、ヨーロッパで仕事をするためでした。留学でベルリンへ来て、すごく居心地が良かったんです。コンクールを受け始めたのは、卒業後もこのままここで生活したいという、かなり現実的な問題からでした。
ベルリンでの生活、そして音楽環境
―― ベルリンの居心地の良さってどんなところですか?
とにかく自由な空気があります。音楽も一流のものから、B級なものまでなんでもあります。ピラミッドのサイズがすごく大きい。やっている音楽のクオリティに関わらずお互いに尊敬し合っています。さらにそのピラミッドと社会的ヒエラルキーは別もので、自分がどう生きるか、ということのほうが大事です。オーケストラを振っても楽団ごとに個性が強くて、もっとここで指揮がやりたいと思いました。
―― 聴衆はどんな感じですか?
コンサートには、ドレスアップして綺麗に着飾ってくる人と、Tシャツにジーンズの人もいたりします。
―― トーンの違うファッションが同居してるんですね。
また、聴衆はコンサートを勉強の場、としてではなくて、とにかく楽しもうとしながら非常に能動的に会場へやってきます。例えば、シリアスなオペラでもちょっと面白いセリフがあると笑い声が聞こえます。他にもこんなことがありました。以前ベルリンフィルの公演で舞台転換中に奈落の可動がうまくいかなくなり、ソリストのピアノが出てこなかったんです。お客さんは怒り出すこともなく、しばらく待って奈落からやっとピアノの顔が出てきたときに、(熱狂的な声で)「ブラボー!」っていう声が上がりました。「え、そこに?」と思いましたが、面白いですよね。こういう雰囲気は、お行儀よく聴く文化が根強い日本だと、考えにくい状況のような気がします。
―― コロナ流行後の音楽事情はいかがでしたか?
ホールが閉鎖されてしまったことで、楽団員がボートに乗って川下りしながら演奏したり、他にも、駐車場で車の中から野外オペラを観る、ドライブインオペラをやっていました。
―― なんてユニーク!
とりあえず、やってみるんです。そのあと改善していく。これがベルリン流です。サイモンラトルがあるインタビューで、「外国人がドイツ人になるのは難しいが、ベルリン人なら誰でもなれる。」と仰っていました。まさに、その通りだと思います。ベルリンは誰でも受け入れてくれる感じがします。
―― オーケストラが舞台上での飛沫の飛距離検証を行う様子も、日本のテレビでやっていました。
それもベルリンの7つのオーケストラが病院と一緒に、世界のどこよりも早くやりましたね。音楽が生活の中に入り込んでいるので、とにかくやることが早いんです。
これから先のこと
―― これからの予定はどのような感じでしょうか。
8月末からベルリンフィルの新しいシーズンが始まるのですが、キリル・ペトレンコさんのアシスタントをする予定です。
―― 今後、日本で演奏を聴いてくださる方にメッセージをお願いします。
固定観念や予備知識など、取り払って、裸で演奏を聴いてもらいたいです。自分の感覚だけを信じて音楽に向き合ってほしいなと思います。自分が良い・悪いと思ったことを大事にして欲しいです。それが人と違うことが面白いのです。お行儀よくしなくたって良いんです。
―― すごく実感がこもった一言ですね。
自分自身、オーケストラのない県で育って、ベルリンへ来て、たくさんのギャップを経験してやっとここへたどり着いたと思います。形式から入ることは楽なんですけど、そこにこだわると本質が見えてこない気がします。
―― 音楽のことを知らない、ということをマイナスだと捉えてはもったいないのかも知れません。
そう思います。音楽の知識が全くない人と一緒に演奏を聴いても、不思議とすごく良い演奏と全然良くなかった演奏っていうのは感想が一致するんです。もちろん、その中間の演奏では意見が真逆だったり、というのはあるんですが。予備知識は究極必要ないのかも知れません。知っていたら楽しめることはたくさんありますが、偶然その音楽を聴いた人の心を動かす演奏をするべきなんですよね、本当は。
―― この先、沖澤さんが目指すところはどこでしょうか?
時々、自分の身体から音楽が放たれているように感じる瞬間があるんです。そういう瞬間を増やしたいです。
―― それは意図せずやってくるんですか?
その時は、自分の中に音楽が深く入り込んでいる時だと思うんですが、勉強時間などに比例している訳ではなくて、オーケストラと良いコミュニケーションが取れてる時だと思うんですけど。今はそれがいつやってくるかわからない。だからその確率を高めていきたいです。
それと、何かに縛られないで自由でありたいです。
(取材・文 / 北山奏子)
今後の公演について
沖澤のどか
東京藝術大学音楽学部指揮科首席卒業。同大学院修士課程修了。ハンス・アイスラー音楽大学ベルリン修士課程指揮専攻修了。第56回ブザンソン国際指揮者コンクール優勝。同時に聴衆賞、オーケストラ賞を受賞。第18回東京国際音楽コンクール〈指揮〉にて第1位及び齋藤秀雄賞を受賞。オーケストラ・アンサンブル金沢元指揮研究員。指揮を高関健、尾高忠明、クリスツィアン・エーヴァルト各氏ほかに師事。下野竜也、井上道義、パーヴォ・ヤルヴィ、クルト・マズア、リッカルド・ムーティ各氏の指導を受ける。