
シャーロック・ホームズ&ワトソン博士、ジョン・レノン&ポール・マッカートニー、あるいはギルバート&ジョージにも匹敵する、ブリティッシュ・カルチャーを象徴する名コンビ。今から約30年前に誕生したウォレスとグルミットは、そう呼んでも過言ではない存在だ。その30年の間にテレビ、映画、ゲーム……と舞台をどんどん広げてきた彼らが、コンサートの形でストーリーを伝える『ウォレスとグルミット IN CONCERT』が、いよいよ日本にやって来る。
◆「ウォレスとグルミット」クリエイティブ・ディレクター メルリン・クロッシンガム 紹介動画
まずは、ふたり――正確には“ひとりと一匹”と言うべきだろうか?――を主人公に擁するアニメーション作品『ウォレスとグルミット』について、簡単におさらいをしておこう。
生みの親にあたるのは、ストップモーション・アニメーションの奇才ニック・パーク。80年代半ばにイギリスのナショナル・フィルム・アンド・テレビジョン・スクールに在籍して、アニメーションを専攻していたニックは、卒業制作として、かねてからスケッチを貯めていた発明家のウォレスとビーグル犬のグルミットというキャラクターを用いた、クレイ・アニメーションの制作を思い付く。作業量があまりにも膨大だったために結局卒業までに仕上げることは叶わなかったのだが、彼の才能に惚れ込んだアードマン・アニメーションズ(イギリスのブリストルを本拠地とするアニメーション・スタジオ)の主宰者に招かれて、同スタジオに参加。そのノウハウを活用して、『ウォレスとグルミット』の第一弾にあたる『ウォレスとグルミット/チーズ・ホリデー』を完成させたのは、構想を暖め始めてから5年以上が経過した1989年のことだ。
従って思いのほか長い時間を要したものの、翌年イギリスのテレビ局チャンネル4で放映されるや賞賛を浴び、英国アカデミー賞の最優秀短編アニメーション賞を受賞。第63回アカデミー賞の短編アニメ映画部門にもノミネートされ、ニックとアードマンは以後、30分程度の短編作品、長編映画(2006年に日本で公開された『ウォレスとグルミット/野菜畑で大ピンチ!』)、テレビ・シリーズ、或いはブランドのCM、イギリスの政府広報などなど、様々な形態で『ウォレスとグルミット』を制作し、多彩な脇役たちと彼らが繰り広げる騒動を、時にスリリングに、時にユーモラスに描き、ここ日本を含む世界中にファンを獲得してきた。
人気の理由はやはり、1950年代くらいのノスタルジックな英国のどこかの、西ワラビー通り62番地で暮らしている、ふたりの絶妙なケミストリーだろう。次々に奇妙なマシーンを考案するウォレスのパーソナリティは、ニック自身の父にインスパイアされたともいい、子供みたいに無邪気で楽天的。どこか頑固なところもあり、かつ、少々お人好しでもある。他方、そんなウォレスに忠実に寄り添って、淡々と彼の要求に応えるグルミットは、思慮深くてインテリで勉強熱心。危機対応能力にも優れ、ウォレスの発明品が誤作動を起こしたりして、彼らがトラブルに巻き込まれるたびに、機転を利かせてピンチを切り抜けてきた。つまりふたりの関係は“飼い主とペット”どころか、対等な関係の同居人であり、様々な看板を掲げて商売に乗り出すビジネス・パートナーでもあり、互いに依存し補完し合う。そう、シンプルに“親友”と呼ぶのが、一番しっくりくる。
そんな彼らがオーケストラとのコラボレーションで作り上げた『ウォレスとグルミット IN CONCERT』は、二部構成。うち第一部にあたる『ウォレスとグルミット/ミュージカル・マーベルズ』は、新たに制作されたアニメーションを交えてライヴで披露される最新エピソードであり、BBC(英国放送協会)が毎年開催しているクラシック音楽の祭典『BBCプロムズ』の2012年版プログラムの一環として、同年7月にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールにて初演されたものだ。これが大きな評判を呼び、翌年以降イギリス国内外でツアーを実施。各地で老若のオーディエンスを沸かせてきたパフォーマンスを、2021年1月22日(土)東京文化会館にて橘直貴の指揮と東京室内管弦楽団の演奏にて、いよいよ体験できる。

もちろんコンサートと言っても、ウォレスとグルミットが手掛けるのだから、一筋縄ではいかない。演目は、音楽に造詣の深いグルミットが中心になって選んだそうで、モーツァルトの『フィガロの結婚』序曲に始まり、モンティの『チャールダーシュ』、ドビュッシーの『月の光』、グルミットが愛するバッハの楽曲を含むバロック・メドレーなどなどの有名クラシック音楽のほか、ジュリアン・ノット(ニックとはナショナル・フィルム・アンド・テレビジョン・スクールの同窓生で、イギリスのテレビ/映画の世界で広く活躍する作曲家)によるお馴染みのテーマ曲もラインナップ。大きなスクリーンを配したステージでこれらの曲が演奏され、例えばロマンティック極まりない『月の光』に乗せてウォレスの恋愛遍歴を振り返ったり、これまでに制作された『ウォレスとグルミット』の名場面集で楽しませてくれる。
しかしこの間、舞台裏では、コンサートを円滑に進めるべくウォレスとグルミットがいつものように大奮闘。ウォレスは指揮者のために、“マエストロマティック”なる指揮台を兼ねたマシーンを新たに発明し、何かトラブルが起きるたびにこのマシーンを介してステージと舞台裏の間で連絡を取り合って、ギリギリまで微調整を行なっている。つまり『ウォレスとグルミット/ミュージカル・マーベルズ』は、“Musical Marvels(驚くべき音楽)”と銘打っているだけあって、コンサートホールの表と裏、アニメーションと音楽、ふたつの世界をクロスオーバーさせて進行する、かつてない形のショーなのだ。

また、もとを正せば『ウォレスとグルミット/危機一髪!』(97年日本公開)に脇役として登場し、独自のシリーズで人気を博すことになったキャラクターといえばご存知、ひつじのショーンだが、本公演にはショーンに捧げたコーナーもある。『ショーンと仲間たち~牧場は今日も平和な1日?!』と題されたそのコーナーは、コンサートのために特別に作られた音楽そして名場面集だとか。
そして一番の目玉は何といっても、ニックさえ知らなかったという音楽的才能を発揮してウォレスが作曲した、『ピアノ狂騒曲 第1番(My Concerto in Ee, Lad)』(“Lad”はウォレスがグルミットに呼び掛ける時にいつも使う、親愛の籠もった言葉)のお披露目だ。聞けば、この曲にはランカシャー出身である彼(ランカシャーはニックの故郷でもある)ならではの暖かさ、気骨、度胸が反映されているという。「グルミットは私の新しい職に嫉妬しているようですね」と自慢げに語り、「作曲というのは窓を磨く作業に似ています。以前は少々曇って見えたことがはっきりしてくるんです。どちらも肉体的なハードワークを要しますしね。ただ、作曲は楽に儲かる仕事だと指摘しておきたい。さらに指揮者ときたら、腕を振り回すだけで大金を得られるんですよ」などと豪語しているが、果たして無事に日本初演に漕ぎつけるのだろうか……?
ちなみに海外での公演では、ウォレスの声を担当していた俳優のピーター・サリスの引退を受けて(2010年にBBCで放映された『Wallace and Gromit’s World of Invention』が最後の作品となり、2017年に死去)、初めて異なる声優(ベン・ホワイトヘッド)が起用されたが、日本公演では第一作目からお馴染みの萩本欽一が、新録吹替で今回もウォレス役を務めている。そして第二部の『ウォレスとグルミット/ペンギンに気をつけろ!』でも、今回のために新たにウォレスの声の吹替を新録。

本公演では、1993年末にBBCでオンエアされ、第66回アカデミー賞短編アニメ映画賞と1994年の英国アカデミー賞の最優秀短編アニメーション賞をダブル受賞したこの『ウォレスとグルミット』のシリーズ第二弾が、オーケストラによるサウンドトラックの生演奏を伴って上映される。ウォレスが発明したテクノ・ズボン(『タンタンの冒険』や1950年代のSF映画にインスパイアされたという、壁を登ったりもできるズボン)に目を付け、お尋ね者の泥棒だという素性を隠して西ワラビー通り62番地に間借りするペンギン、フェザーズ・マッグロウを巡る、シリーズきってのアクション大作だ。殊に、列車に乗ったウォレスとグルミットとフェザーズのチェイスのシーンは、ニック・パークが全作品の中で最も気に入っているという名場面中の名場面。穏やかならないストーリー展開に準じてジュリアンが作曲したサウンドトラックは、元からオーケストラを配したドラマティックな音楽であるだけに、生演奏で映えるエピソードであることは間違いない。
以上、ウォレスとグルミットのコンビの妙を、ふたつのアプローチで、最高の音楽で楽しむ『ウォレスとグルミット IN CONCERT』は、一夜限りの貴重な催しになりそうだ。
(文:音楽ライター 新谷洋子)