●このコンサートは終了しました。
4月某日、5月30日に行われる「The Road to 2027 仲道郁代 ピアノ・リサイタル 幻想曲の系譜 ― 心が求めてやまぬもの」の記者会見が行われ、ららら♪クラブ編集部が参加してきました。The Road to 2027リサイタル・シリーズ(詳しくはこちら)とは、2027年にベートーヴェンの没後200年と仲道さんの演奏活動40周年が重なるということで、2018年から10年間計画で進行中のものです。この記者会見では、仲道さんが今回のコンサートで演奏される、モーツァルト、シューベルト、シューマン、ベートーヴェンの作品について、実演を交えて曲の背景や聞きどころなどを解説してくださいました。

自身の身体と向き合いながら
仲道さんはまず、出席した記者たちへ「いかがお過ごしですか?」と問いかけられました。「本当に大変な一年でしたね。」と、新型コロナウイルスが蔓延しているこの状況を噛みしめていらっしゃるようでした。続いて話は、この1年の振り返りへ。そこで一同驚いたことに、長らく彼女が抱えていた、ある身体的な面での苦痛を告白してくださったのです。

仲道:ここ数年、とりわけ2018年の秋頃から、体の左側が不調でした。肩なんかはひどい時にはシャンプーができないくらいにあがらない状況にまでなって。痛みは一進一退を繰り返して、それでもピアノを弾いていたのですが、コロナ禍でコンサートがなくなったことによって、身体を休めることができました。そのお陰で、ずいぶん軽くなったなと思っていたのですが、2020年の7月にみなとみらいホールで弾いてみたものの、やはりまだ完全ではないと思いそこから肩の専門のお医者様にかかるようになりました。その後10月に、東京文化会館でドビュッシーを弾いたとき、かなりよくなった手応えを実感しました。(このコンサートへの想いを語ってくださったインタビューはこちらから:「音を求め続けるピアニスト、仲道郁代〜人生をかけて「音楽する」〜」)さらに、野球の投手が肩を壊した時にかかるマッサージケアの専門家にかかったり、様々なリハビリやトレーニングを経て、今、私は絶対復活できる、という実感が湧いてきたところです。これまでは良くなるか分からなかったので、こういう話もなかなかできなかったんですけれどもね。
そうした治療を経て、今年(2021年)の3月には左手が不調なために長らく封印していたショパンの「革命」のエチュードと、「英雄ポロネーズ」を弾けるようにまでなりました。「なんだ、弾けるじゃないか」と思いました。
また、同じ時期にヴァイオリニストのヒラリー・ハーンさんが、100日練習という動画をインスタグラムにアップしていたことも、大変勇気づけられました(2021年1月1日からヒラリー・ハーンは「100日間の練習(100 Days of Practice)」というインスタグラム・プロジェクトを立ち上げ、自身が練習している様子を撮影した動画を100日間連続で投稿した)。彼女はその1年ほど前にサバティカル(長期休暇)をとって、ほとんどヴァイオリンを弾かなかったそうです。そこから、再びヴァイオリンを弾く時に、関節をどうやって動かすかという細かいところにまで神経を使って練習し、動画と一緒に綴られていた彼女の想いに触れて励まされていました。私も今はハノン(音階や分散和音などのバリエーションからなるピアノの練習曲集)から始めているんですよ。
「心が求めてやまない想い」とは?
こうして長らく左肩と向き合いながら過ごされていた仲道さんですが、5月30日にサントリーホールにて行われるコンサート「The Road to 2027 仲道郁代 ピアノ・リサイタル 幻想曲の系譜 ― 心が求めてやまぬもの」は、彼女にとって「再生」の機会と捉えているそうです。仲道さん自身もほぼ100%に近い状態になることを見込んで日々治療を行なってきたのだとか。そんな、復活をかけて臨む今回のコンサート。いよいよ核心へと進み、そこに込められた想いを語ってくださいました。

―幻想曲の系譜 。
幻想曲―それは即興的な想念の連なり
求めてやまない想いを音に記してきた作曲家たちの系譜が 、
そこには見えてくるのだと思います。
ままならない想いに心がざわつき、
それでも夢を見る 、見ようとする。
そこに共通するのは、
生きることの煌めき。
それぞれの作曲家の人生の輝きを、
幻想曲とともに辿ってみたいと思います 。 (公演フライヤーより)
プログラム:
モーツァルト:幻想曲 K. 475 ハ短調
シューマン:幻想曲 Op. 17 ハ長調
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第28番 Op. 101 イ長調
シューベルト:「さすらい人幻想曲」D760 Op. 15v ハ長調
仲道:まずお話したいのが、副題にあります「心が求めてやまぬもの」という言葉の意味についてです。今回、「幻想曲の系譜」ということで、4人の作曲家を取り上げています。ベートーヴェン以外の作品にはタイトルにも「幻想曲」という言葉がついています。これらの作品で描かれているものは、いわゆるファンタジック(=幻想的)な世界というものとは異なっていて、作曲家の切実なる願い、祈り、想いが反映されていると考えています。実際、「幻想曲」というのはドイツ語的、音楽用語的な意味では即興的であるとか、想いが連なるものという意味も含まれています。
例えば、モーツァルトの《幻想曲》は短調で書かれていて、モーツァルトの場合は数少ない短調の作品が作られるとき、「死」との関連が指摘されることがあります。この作品も重々しく、どこか、受け入れなければならないものを受け入れないといけない、という想念が次々と連なって出てくるように感じます。

シューベルトについて、彼は短命の作曲家ですが本人が生き急いでいたかどうかは分かりません。でも、あとから私たちが振り返った時に思うのかもしれませんが、《さすらい人幻想曲》からは早くに人生を終えてしまう人の輝きや想いというものを感じずにはいられません。様々な和音が出てきますが、それらはまさに思いの連なり、さすらうのです。さすらった先に、彼岸を見ている。解決できないけれども何かを求めているような世界観を形作っていると思います。
ベートーヴェンの《遥かなる恋人へ寄す》との関連
仲道:シューマンの《幻想曲》とベートーヴェンの《ピアノ・ソナタ第28番》には、共通する特徴を見出すことができます。まず、シューマンの《幻想曲》ついて、この楽曲はハ長調で書かれていて、その主となる和音は「ド・ミ・ソ」なのですが、この和音がなかなか出てきません。第一楽章の冒頭から左手はソの音が続き、主和音が出てこない。これはどういうことかというと、(ドの音ではなく)ソの音に曲が支配されることでどこか宙ぶらりんな印象となって、実際にその状態は第1楽章の最後まで続きます。この “宙ぶらりんな感じ” は、ベートーヴェンの《ピアノ・ソナタ第28番》にも見ることができます。この作品はイ長調なのですが、和音が次々に変わっていき、同じく主和音に落ち着くことがありません。これらに見られる主和音に落ち着かない状態は、「願っているけれども、落ち着くところがない。」という心情に置き替えて解釈することもできます。「心が求めているのに、手に入らない」とも言えるでしょうか。
この2つの作品にはもう1つ共通するところがあります。それはベートーヴェンの連作歌曲《遥かなる恋人へ寄す》(全6曲からなる歌曲で、愛する人への恋心を歌ったもの)からの影響です。ベートーヴェンの《ピアノ・ソナタ第28番》の冒頭の旋律は、四度上昇する(「ソ♯ラシド♯」と音程が上昇している)のですがこの四度上昇する動きは《遥かなる恋人へ寄す》でも使われています。面白いことにその他にも、いたるところに《遥かなる恋人へ寄す》のモチーフが見てとれるのです。
いっぽう、シューマンの《幻想曲》には、《遥かなる恋人へ寄す》の6曲目冒頭に出てくるメロディがはっきりと引用されています。そこには《遥かなる恋人へ寄す》に通底する「遠くにいる人にこの恋心を届けます」という想いが何かしら反映されているのだと思います。加えて、曲の冒頭にはシュレーゲルの詩「ひそかに耳をすます人には、かすかな一つの音が聞こえてくる」というメッセージが書かれています。耳をすます人とはシューマンにとってはクララなのですが、そのクララへの想いが様々な形で表現されています。
この2曲は叶わぬ恋や愛を思わせるところからはじまりますが、最終的に行き着くところは全くちがっています。それぞれ第3楽章でシューマンは祈りに、一方ベートーヴェンはフーガになります。フーガとは、人間が論理的につくり上げる建築物のようなもの。私たちの、人間の思いを肯定するものとなっていく。同じようなはじまりから第2楽章を経て、どのように曲が発展していくのか、というところにも注目していただけたらと思います。
自身の変化や世界の変化を経て
冒頭で語ってくださった身体的な面での変化に加え、仲道さんはこの1年で起こった世の中の変化を経験して芽生えた、音楽に対するある気持ちについて話してくださいました。

仲道:コロナ禍でそれまで当たり前だったコンサートがない時間は “不全感” を強く感じていました。改めて人前で演奏することはどういうことか、と考えるようになりました。私は、作曲家が感じた想いを探り、私のピアノを通じて直接お客様へと伝えたい。それは自分自身の「心が求めてやまぬもの」なのだと気づきました。私はコロナ禍を経験して、 “音楽は動詞だ” ということを色々なところで語ってきました。(仲道さんは以前インタビューでも “音楽は動詞である”ということについて「演奏家が奏でるという能動的な行為と、お客様が受け止めようとしてくださるという動的な相互作業によって成立するものなのです」と語っている:インタビュー「音を求め続けるピアニスト、仲道郁代〜人生をかけて「音楽する」〜」) 演奏家が「こういうことを伝えたい」と思って演奏し、また聴く人も何かを聴き取ろうと能動的に聴いてくださるとき、あるとき心のチャンネルが定まって、「あっ」と思う瞬間が生まれるのだと思います。それはとても特別な瞬間です。コンサートでは音が空気の振動を通じてダイレクトにお客様に届き、想いも心から心へと伝わるように感じます。お客様のおひとりおひとりに対して音を届け、それぞれに受け止めてくださる、これは本当に素晴らしく、とても貴重なことなのです。
今回の作品はどれも何かしらの作曲家の想い、「心が求めてやまぬもの」が込められているわけですが、結局どれも解決しないまま(求めているものが成就しないまま)終わっています。「こうなんです」と胸を張って主張するような音楽ではなく、そこにある作曲家の気持ちの揺らぎのようなものを、丁寧に音にしていきたいと思っています。
<文・ららら♪クラブ編集部>
The Road to 2027 仲道郁代 ピアノ・リサイタル
幻想曲の系譜 ー心が求めてやまぬもの
日時 | 2021年5月30日(日)14:00開演 (13:00開場) |
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会場 | サントリーホール |
出演 | [ピアノ]仲道郁代 |
曲目 | モーツァルト:幻想曲 K. 475 ハ短調 シューマン:幻想曲 Op. 17 ハ長調 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第28番 Op. 101 イ長調 シューベルト:「さすらい人幻想曲」D760 Op. 15v ハ長調 ※曲目・曲順は都合により変更となる場合がございます。 |
お問い合わせ | ジャパン・アーツぴあコールセンター 0570-00-1212 |
